COVID-19、通称、新型コロナウイルスの影響が多く報道され、現在各地で感染者が報告されています。また、北米ではインフルエンザの猛威も報告されています。これらはまだ実態がつかめないところがありますが、教会としては1月31日に大司教が出された指針(※1)に対応してきました。
指針により聖堂入り口の聖水器の聖水は抜いていますが、聖堂の出入り時は、自らの洗礼を受けたことを思い起こすために、十字をきって、聖堂に入りましょう。清めのしるしでもあるので、信者でなくても十字をきれます。
同じく、人に移さないようにということで、手洗いの励行をお願いします。教会のお手洗いには、薬用石けんを新しくしていますし、司式司祭もミサ前と聖体拝領前に、流水手洗いをしています。皆さんも丁寧な手洗いをこまめにされることをお勧めします。
カトリック新聞最新号の一面では、司祭がマスクをしながら、ミサ司式をしている写真が載っています(※2)。香港ではより細かく指示されており、マスクをつけての司式以外にも、不特定多数が触れる聖歌集の扱いを中止し、使い捨ての聖歌プリントをもって、毎回のミサに参加すべきという意見もあります。もし、多摩教会周辺で状況変化がありましたら、香港の指針も一部取り入れることになるでしょう。その際は説明をいたします。
実は私は、このニューズ原稿を都内某大学病院の時間外診察待合室で作っています。私の肉親の一人が、心臓機能の減退の兆候がみられるというので、連れてきたのです。
ひっきりなしに、救急隊が担架に人をのせて運び込みます。すべての受診希望者は、規定により最初の診察をうけます。トリアージといいます。症状を診て、どの患者に緊急性があるかという判断がされ、その順番で治療が始まります。幸い私たちは、軽症とみられたので、最後となりました。病院に着いたのが20時30分でしたが、治療が始まったのは、翌日午前3時30分からでした。処置はつづき、もう直ぐ5時になろうとしています。その間、トリアージ室からは呼び出されて、不安になっているご家族、ほっとした表情で部屋を後にする方、青ざめた表情になって、震えながら家族専用待合室に向かう人など、様々な往き来があるのです。共通している思いは、「好き好んで、病気を担ったのではない」ということ。
診察室のそれぞれに、「中国渡航歴のある方」という案内があります。現場では必要な医療を受けることができないで、病状が悪化しているという話や、外出が禁じられているので、かえって事態が深刻になっているという叫びもあります。もし国外に移動できたとしても、いわれのない言葉を浴びせられていることが報告されています。
聖書に登場する病人の苦しみは、病気自体による苦しみだけではなく、社会から排除され、隔離され、蔑視され、差別、偏見、嫌悪の的になっていました。それは、人間として耐えがたい惨めな体験を突きつけていると言えます。私たちの中で、得体の知れない者に対して恐怖感があるのは、致し方ないとしても、排除や隔離をしても、所詮ウイルスは、壁をもすり抜けることができるのです。
病院の待合場で過ごしたおよそ9時間。頭に浮かんだ言葉は、2月11日の世界病者の日の教皇メッセージです(※3)。教皇フランシスコは、病者を眺める人ではなく、病者を見るという言い回しを丁寧にしています。善きサマリア人 (ルカ10:25-37) のように、心で人を見つけることができるように。愛の目線で、友愛の視点で、友と呼べるようになるまで、相手を観ることができるように、この緊張感あふれる時勢に、心のゆとりを神様に求めても、良いのではないかと思います。
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【 参 考 】
(※1)「1月31日に大司教が出された指針」
カトリック東京大司教区の菊地功大司教は、2020年1月31日付で、「新型コロナウイルス感染症に伴う注意喚起」という文書を発表。教会関係者や信徒、教会においでになる方々に、諸々の注意を促した。
・「新型コロナウイルス感染症に伴う注意喚起 2020/1/31」(カトリック東京大司教区「菊地大司教メッセージ」、2020/1/31)
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(※2)「カトリック新聞最新号の一面では、司祭がマスクをしながら、ミサ司式をしている写真が載っています」
(以下の「カトリック新聞」は短期間でリンクが切れますので、その後はCNSのほうをご覧ください)
・「バチカン、防護マスクを寄付、中国の新型肺炎感染拡大で【バチカン2月3日CNS】」(カトリック新聞「今週の記事」、2020/2/16)
・「To prevent spread of COVID-19, Hong Kong Diocese cancels Masses」(Catholic News Service 、2020/2/13)
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(※3)「2月11日の世界病者の日の教皇メッセージ」
・「2020年『第28回世界病者の日』教皇メッセージ(2020.2.11)」(カトリック中央協議会、2020/1/27)
・「MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS FOR THE XXVIII WORLD DAY OF THE SICK 2020 (2020.2.11)」(THE HOLY SEE、2020/1/3)
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【 連載コラム 】
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第106回
田村一男さん さよなら
田村さんが去る2月10日亡くなられた。またひとり多摩教会創設に尽力した同志がいなくなった。寂しい限りである。1月の終わりころ突然電話をいただき、「私の葬儀の時、ミサの司会を頼む」というものだった。聞き取りにくくはあったが、声に力を感じたので、こんなに早く逝ってしまったことに驚いている。
田村さんとの出会いは、多摩教会が東京教区から認められて間もないころだったように思う。当時はニュータウンといっても、諏訪・永山・愛宕しかなかった。私も田村さんと同じ諏訪に住んでおり、多摩教会のニューズの編集を私の家でやり、夜遅くなって、彼を家まで送っていったのを覚えている。その日、彼は私の家に来る途中、足をひねり、痛みをこらえての編集であった。そのため帰りは私が自転車の後ろに乗せ、彼の家まで送った。そのころ私は車を持っていなかったのである。
こんな彼との関係だったので、彼を先生と呼んだことはなかったし、彼もそんな関係をよしとしていてくれたのだと思う。
田村さんがエリオットの研究で、カトリック学術研究奨励賞を受賞したのは1979年のことである。一研究者としての彼の実力は、素晴らしいものだったようである。同じ出身大学の彼の後輩の言によれば、田村さんってすごいですよ。私なんか足元にも及ばない。しかしながら、教会の中では誰とでもあの人懐っこい笑顔で接してくれた。
田村さんも私も、その後ニュータウンの拡大に伴い、鶴牧地区へ来たが、よく彼の家へお邪魔させてもらった。そんな折、「最近、授業中の学生の私語がうるさいんだよ。」 なんて言われたことを覚えている。彼が歳をとったせいで、今まで感じないものが感じられたのか、学生の質が落ちてきたのか、わからないが一教官として、小中高の教員と同じような悩みを持っておられたことに、何かホッとするものを感じたことを覚えている。
2012年退官と伺ったが、長年の教官生活に生意気な言い方をさせていただくなら、やはり最も適したこところに彼はいたのだと思う。最も生き生き出来るところに彼自身がいたのだと思う。その意味からすれば幸せな人生なのだと思う。
この何年かの年賀状は、ご自分の体調の悪さを書いてきて心配していたが、昨年からの年賀状に次のような歌が書かれていた。
過ぎし日の その時どきの よき出会い 胸裏に収め 喜寿を 超えゆき (2019年)
晩歳を 令和のみ代に 生かされて ひと日ひと日の 空を仰がむ (2020年)
この歌を読ませて頂き、田村さんが生涯の終わりを感じながら、この静かな心境、いままでの人生をすべて肯定するような心境になれることを羨ましく思う。それも彼が自分の実績を誇るのではなく、「出会い」、「生かされている」自分に喜びを感じられていることである。
田村さんさようなら。 私たちのために天国から祈ってください。