立秋を過ぎたころから、暑さが収まってきました。今まで、やぶ蚊さえも避暑をしていたかのように出没しない教会周辺でしたが、今は、猫や(子猫が増えました)、小さな生き物たちが元気よく活動しています。
先週、多くの荷物を聖堂に上げるためにエレベーターに乗りました。階数ボタンを押そうと文字盤をみると、そこにはニホンヤモリがぴったりとおさまっているのです。
「あの~、何階に御用ですか??」
と声が聞こえそうなクリクリな目を向けながら微動だにしない数秒の
小さな生き物が憩う教会の雰囲気をお伝えするのも大切ですが、神を信じる人の集まりの教会ですから、教会としての最近の動向をおしらせするのもニューズです。NEWなことをお伝えするのも巻頭言のお役目です。以下記します。
1. 典礼色の配置を変えました
教会の典礼には典礼色があります。現状では白、紫、赤、緑で一部ではバラ色が使われます。多摩教会も十数年前から奉仕者が典礼色を身に着けることにしたと聞いています。
典礼委員会での話し合いを経て、聖母被昇天より典礼色の掲示箇所を変更します。詳しくは地区集会にて説明させていただきます。
2. 築20年前後となった教会の建物を維持していくにあたり
先日の経済問題評議会で、構内二つの建物の定期補修のスケジュールと、おおよその金額の提示をし、周知を始めました。この数年、建物を施工した2社の建設会社や、他教会での作業実績のあった工務店などの聞き取りをしたものです。その話をまとめてみますと、
多摩教会聖堂は、最も高いところで地上23メートルですから、外壁補修の金額も住宅の金額というよりは、中層規模をちょっと超えた建物を維持する金額となります。エレベーターの保守も法律で定められており、また、デザイン重視の構造物となっているので、贅沢をしていなくても、経年劣化対応と法令順守にかかる費用は思ったよりもかなり掛かることがわかりました。
教会の経済問題評議員の方の構成メンバーは、今まで教会運営をされた経験を持った方ですが、年度途中ですが改選させていただき、これからの世代の方を含め、今後の建物の管理を含めて評議し、進めていくことにします。
皆さんにおかれましては、教会維持・活動のため運営は献金で賄っておりますので、建物の維持という課題意識のもとにも協同することになります。
3. ここナツ・ここクリについて=関係をどうつくるのかに着点を=
私の着任前から実行されている「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス」「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り」ですが、この夏は実行委員の皆さんが希望している日が、福島での会議と重なり、実行委員会は今夏の開催をしないことを決めました。連日、体調に影響するほどの暑さが続きましたので、多摩教会までいらしてくださる方の健康上、体力の消耗も考えると、今回の開催を見送ったのは、安全上よかったのかもしれません。
夏に向けた実行委員会も5月に発足し、会合を重ねてくださっていました。今回はその分野の専門とされている評議会副委員長に同伴してもらい、実行委員内で人間関係構築ワークショップを行っています。“Welcome”の次の“Share the Journey”へと、教会モットーに即しているという感じを受けたのでした。
KJ 法を用いて、この企画の原点は何かをさぐる時間も実行委員会で設けました。KJ 法の会を進行した私が分かったのは、この企画の方向性は、きっと始めたときの神父様の考えにはあったのだろうけど、それを手伝いたいという協力的な方は、実にさまざまな想いをもって関わってくださっているということです。「多様性の一致」をかかげる東京教区司教のモットーを思い浮かべて、方向性をどこにもっていくか確認する必要もありました。
この夏は実行委員の方にとって、実りあるものと受け取っていただいたということで、今後の展開を、与えられた時間を有効に使って設けていくことになるでしょう。
多摩教会の聖堂に入るとき、マリア様が入り口で待っていてくださいます。酷暑のこの夏も、出迎えてくださいました。
神さまが教会を常に導くことを示す正面のマリアさまの姿、日が暮れて、涼しくなるとでてくるヤモリ。ヤモリは縁起のよい生物なのは有名です。愛を受けて癒やされてこそ、良い奉仕につながるといえるのかもしれません。これから行事が続きます。一つひとつ丁寧に感じながら過ごしていきたいものです。
ヤモリの実際の写真を載せると気になさる方もおられるでしょう。WEBイラストで代用します。
(説明の都合で紙面版とweb版で内容が異なっているところがあります。ご了承ください)
【 連載コラム 】
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第90回
渡辺治神父様のこと
8月12日(日)のミサの説教で、「渡辺治神父様が1963年7月30日に長野県篠ノ井の千曲川で、引率していた子どもがおぼれそうになったのを助けようとして亡くなられた」というお話が出ました。この名前を聞いて、半世紀以上前の記憶が突然蘇ってきました。
1963(昭和38)年7月31日。その日は暑い日で、夏休みということもあり、我が家の隣にあった伯父の家に泊まった朝でした。まどろみの中で大人たちがひそひそ話しをしているのが聞こえました。「どう伝えたらいいか・・・、誰が伝えるか・・・」。いきなり起き上がった私に、伯母が渡辺神父様が亡くなられたことを伝えたのです。あまりにも突然のことに涙が止まりませんでした。親族を除いて、人の死にこれだけの涙を流した記憶がありません。当時、私は小学校5年生、11歳でした。
伯父の長女が修道会に入ったことをきっかけに、私が4歳の幼稚園児のときに、一家はそろって関口教会で洗礼を受けました。当時の関口教会仮聖堂は、現在のカテドラル構内の教会事務所の辺りに木造2階の建物がありました。聖堂は2階にあり、1階は私が通っていた聖園(みその)幼稚園でした。
当時はまだ第2バチカン公会議の直前で、子どもたちは土曜学校に通い、白い立派な顎鬚の青山伝道師(青山兼徳、和美両神父のお父上)から話を聞きました。子ども心に怖い話をいつも聞かされていたように思います。
そんな教会生活は小学校3年のときに赴任された、新司祭渡辺治神父の出現によって、がらりと変わりました。実によく子どもたちと遊ぶ神父様でした。当時の関口教会には広いグラウンド(現在の大聖堂が立つ場所)があり、そこで野球や、鬼ごっこ、かくれんぼ、司祭館で卓球など、子どもが遊び疲れるまで付き合ってくれました。中でも、神父様の自家用車である黒いオートバイの後部座席に乗せてもらって、教会内を走り回る楽しさは格別でした。
男の子たちには夏休みに侍者練成会がありました。当時ミサは司式司祭と侍者のラテン語での応答で進みます。侍者はミサに不可欠の存在で、そのための男子の教育は厳しいものでした。朝6時半のミサにあずかり、朝食をとり、いざ勉強です。これが2週間ほどありました。
その年(1963年)の夏は、渡辺神父様のご実家で合宿することになりました。私も行きたかったのですが、たまたま小学校の林間学校と日程の調整がつかず諦めました。事故はそこで起こりました。
子どもの頃から千曲川で泳いで遊んでおられた神父様は、泳ぎに自信がありました。目の前を流れる千曲川で遊ぶ子ども達を実家の縁側から眺められていたそうです。その時一人が足をとられて流されました。神父さまは着衣のまま、すぐさま飛び込みました。無事助け上げたあと川の中に消えました。皆は、神父様が皆を驚かそうとして隠れたんだと思ったそうです。その時心臓はすでに止まっていました。
葬儀のことはほとんど記憶がありません。ただ暑い日でちょうど建設最中だった聖マリア大聖堂のステンレスの外壁の鈍い光が、仮聖堂の窓越しに見えたことだけ覚えています。
「君は神父になれ」。事あるごとに神父様に言われました。わずか3年の出会いでしたが私にとっては忘れ得ない方となりました。
暑い夏の朝、あの思い出がまたやってきました。
【 お知らせ 】
記録的な酷暑が続いている8月の初金ミサで、神父さまは、8月初金の日の由来、趣旨の紹介の後、以下のように宿題を投げかけられました。
「今何を要求されているか、愛のわざとは何か考えてみる必要がある。先行き不透明なこの時勢、自分を立て直すのでいっぱいの人が多い。このため頑張るのだが、何をすればの確認で頭が飽和する。頑張ることをやめて顧みることも有力な方策となる。
災害が多発しているが、自然を人知で制御できると考えるのは人の思い上がり。プラスチックによる汚染も問題になっている。フランシスコ教皇の回勅『ラウダ-ト・シ』にある問題のとらえ方を理解、咀嚼し、ともに暮らす家、神様の創造されたこの地球を良い状態で保つには、私たちは何ができるか、この初金ミサの宿題として持ち帰ってほしい」
8月の「初金家族の会」はお休みでしたが、9月は7日の金曜日、午前10時からのミサの後、11時頃から1時間ほど信徒会館で開催する予定です。今回は尾崎ひろみさんによる、「サンチャゴ巡礼の総集編」と題してのお話を予定しています。
「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。