春の穏やかさは終わり、気温の変動を気にしながら過ごす時季となりました。
そんな気候でも、あいかわらず多摩教会には毎日夕刻から一匹のネコが訪れ、午後教会に居る人の注目を浴びています。
名前は未だ無いそのネコはニュータウン通りを行き交う車の数がすくなくなるころ、トヨペット販売店さんのほうから斜め横断し、橋を渡り、ちゃんと正面から入られます。教会の扉が開いていても入ることはしないで、構内で自由にすごしています。
動物写真の岩合光昭さんが残したメッセージで『ネコが幸せになれば、人も幸せになり、地球も幸せになる』というのがあるそうです。たいがいの家畜は紐でつながれてきた歴史がありますが、そうではなく唯一といっていいくらい自由で人の思い通りにならず過ごしてきた。それゆえネコには衰えてない野生の勘があり、人よりも環境に敏感であること。自然に対して畏怖という感覚がうすくなりがちな人間が利益主義に没頭していることに対し警鐘をならしているという意味があるそうです。
教会の暦は、復活節も聖霊降臨の祝いで結ばれ、年間の典礼をすごしています。
復活徹夜祭で洗礼式、聖霊降臨で堅信式、キリストの聖体の日に初聖体式と入信の秘跡に関わったこの期間、神さまがおつくりになったこの世界を正しく誠実に味わっているか。恵みとして感謝し、それを伝えるために奉仕していく使命を遂行できているかを年間の典礼でみていきましょう。
今は空前のネコブームといわれます。「ネコ・カフェ」なるものも存在し、ネコに引っ掻かれた跡を見せ合いながら、魅力を楽しんでいる利用者が映像で時々紹介されています。
しかし、ブームの流れでみるのではなく、被造物が共存し合う共同体とはどうなのか、神さまのまなざし、いのちのまなざしについての学びをもって、エコロジーな視点で夏を過ごしてはいかがでしょうか。
【 連載コラム 】
「荒野のオアシス教会を目指して」
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第78回
「石の門の聖マリア」
5月の中旬、私は友人と、スロベニア、クロアチアを旅してきました。
マロニエの花が咲き、石造りの建物が連なるスロベニアでは、9世紀に、砦として建てられた「リュブリャナ城」、城の中の静謐な「聖ジョージ礼拝堂」、バロック調の荘厳なお御堂の「聖ニコラス大聖堂」、可愛らしいピンク色の「聖フランシスコ会教会」、天に伸びる鐘楼をもつ「聖母被昇天教会」、澄み切った湖の湖畔に佇む「ブレッド城」と、行く先々で感激でした。また、暗闇でキラキラと輝き、動物や人の顔に見える多種多様な純白の石柱や、オーロラやダイヤモンドのような鍾乳石が全長21キロに渡り広がっている「ポストイナ鍾乳洞」では、まるで、ルーベンスの絵の中に迷い込んだようでした。
アドリア海に面したクロアチアでは、バラの天窓や「涙の聖母」の祭壇画がとても美しかった「聖ヤコブ大聖堂」、キリスト教徒を迫害した皇帝の「ディオクレティアヌス宮殿」、男性合唱の奏でたハーモニーが心に染み入った伝統音楽の「クラパ」、まばゆく凜とした空気が漂う「聖母被昇天」の祭壇画を掲げた「ドゥブロヴニク大聖堂」の主祭壇、エメラルドグリーンに輝く「プリトヴィツェ湖群国立公園」、修復中にも関わらず、「お帰り」と招かれた「聖母被昇天大聖堂」など、さまざまなものにふれ、美味しいワインも堪能しました。
紀元前から、ギリシャ植民都市として築かれたクロアチアは、長い歴史から、城壁に囲まれた市街地が多数点在し、首都リュブリャナでも、その面影を残す「石の門」と呼ばれるグラテツ地区と外界を隔てていた入口がありました。内部には「聖マリアの礼拝堂」があり、およそ300年前の大火災で奇跡的に無傷で残り、祭られていた「聖母マリア」のイコンの前に立ったとき、私は一瞬、幼子に戻り、マリア様に抱かれました。子どものことで悩み、受洗してなお、自分は愛情の薄い人間との思いを引きずっている私に、「そんなあなたでいいのよ」と溢れる愛を注ぎ、微笑んで、私をまるごと包んでくださることを感じました。
この旅をともにした4人も、それぞれに子どものことで悩み、暗い迷路にいた時に出会った仲間です。苦しみ悲しみを共にし、分かち合ってきました。この仲間こそ、私にとってのオアシスだと気づき、このような友を与えてくださった主に、感謝の気持ちがふつふつと湧き出しました。
私は、感謝の気持ちを忘れずに、このかけがえのないオアシスを大切にして、常に共にいてくださるマリア様を感じながら、祈りの日々を送りたいと思います。
画像左は、「聖母被昇天」の祭壇画を掲げたドゥブロニク大聖堂の主祭壇(クロアチア)
画像右は、ブレッド城(スロベニア)
= 双方、記事投稿者提供 /画像はクリックで拡大します=
【 お知らせ 】
緑の季節、6月2日の初金ごミサで、豊島神父様は、「全てをご存知の神様の愛のど真ん中で私たちは生きています。貴い教えを大切に、従順に過ごしましょう。他人に対して従順であるよりも、むしろ自分に対して従順であることの方が難しいです。神様に愛されていることに気づかずにいる私たちのためにも愛が注がれていることを思い、熱心にごミサにあずかりましょう」と話されました。
続いての初金家族の会では、去る3月末、10日間のイスラエル巡礼に多摩教会から参加なさった4人の信徒のうち、中嶋誠さんと岩藤大和さんのお二人が、旅のスライド写真を上映しながらご体験を話されました。
≪四旬節に聖地で黙想を≫と目指した巡礼で、ナザレ、ガリラヤ、ヨルダン川沿い、エマオほか、イエス様が誕生し、育ち、教え、歩かれた場所、そして受難の道や、数々の由緒ある教会を目の当たりにされた参加者として、「頭で描いていた聖書の中の風景とは全く違って、花咲き乱れ、野鳥の心地よい囀りも聞こえる楽園そのものの現地の姿でした。神様の愛がこの美しい地で育まれたのだ、風土が人を作るのだと実感しました。 イエス様が聖トマスに言われた、『あなたは私を見たから信じたのですか、見ないで信じる人たちは幸いです』(ヨハネ20・29)とのみ言葉を体感しました」など、実り豊かな巡礼の旅の報告でした。
初金家族の会、次回の7月7日は、「海外で奉仕する宣教者たち」と題して、信徒の井上信一さんのお話を予定しています。ごミサのあと、信徒館で貴重な体験など聴いて語り合い、お互い信仰の絆を深め合う、楽しい集いです。皆さま、どうぞお気軽にお立ち寄りください。(11時ごろからです)