懐かしい場所(受洗者記念文集)

デュナミス(仮名)

 プロテスタントの友人と一緒に初めてカトリック教会のミサに行った時、なぜだかとても懐かしく感じ、涙が出ました。初めて行った場所なのに、まるで故郷(ふるさと)に帰ってきたかのような不思議な思いがしましたが、そうしてミサにとても魅力を感じた私は、その後、時々一人で晩のミサに通いました。とはいえ、以前居た、とある諸派ではカトリック等の正統教会に対しての偏見を教えられていたため、カトリックで求道すること、まして入門講座に通うのには非常に大きな抵抗がありました。

 やがてネットで多摩教会の晴佐久神父のことを知り、その話を聞くうちに、どうしてもその教会に行ってみたいという思いが強くなり、勇気を出してようやく入門講座に通うことができました。そして、ミサというものを神学的な意味でも理解できました。初めて経験したミサは、私にとってはまだ知らずしてずっと憧れた故郷(天国)の先取りだったのです。(カテキズム1090 地上の典礼は天上の典礼にあずかる)

 この春の復活徹夜祭で、洗礼を受けることができました。洗礼によって消えない霊印を受け、神の子の一人としてご聖体にあずかれることに、大きな喜びと満足、そして安心感を抱いています。それと同時に、できればもっと早く、人生の若い頃にカトリック教会で洗礼を受けたかったという思いも強く、それまでの人生で大きな回り道をし、健康も損ねてしまったことが残念です。過去はもはや変えられないので、仕方ないことですが、辛いことが多かった回り道の人生にも、キリストが共にいて、導いてくれたのだと思っています。

 「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。」(ヨハネ6章44節)