花のしたにて(受洗者記念文集)

和泉 はるか(仮名)

 ねがはくは 花のしたにて 春死なん
  そのきさらぎの 望月の頃

 僧の西行の歌です。イースターは春分後の最初の満月の次の日曜ですから、旧暦では如月(きさらぎ)2月の満月の頃と申し上げても、特に今年の場合は差し障りはないでしょうか。復活徹夜祭は川べりの桜が見事な夕べでした。私は「花のした」でこの世の限りある命ではなく、新たな永遠の魂を授かりました。

 花の宵 光あれとの 声聞こゆ
  道進む本意 かなひぬるかな

 西行に倣って私も詠んでみました。拙い作ではありますが、受洗後の素直な気持ちです。
 ミサの説教の中でも取りあげていただいたのですが、私は中学生の頃にイエスさまの夢を見ました。当時の私はプロテスタント教会に通っていました。夢の中では、白い衣を着た方が白く続く道の入口に立っていらっしゃいました。道は緩やかな登り坂で左に折れ曲がり、その先は見えません。白い衣の方は名乗られたわけではありませんが、私は直感的にイエスさまであると思いました。
 イエスさまはおっしゃいました。
 「この道の先にあなたの未来がある。あなたはここを進みたいですか」と。
 しかし私は、逡巡の末に断ってしまったのです。
 するとイエスさまは、
 「それでは早くあなたの道にお戻りなさい。○○が来る前に」とだけお応えになり、その後は白い道の奥をご覧になったまま、もう何もおっしゃいませんでした。
 何が来る前になのか・・・聞き漏らしてしまいましたが、私はその場を走って逃げ去り、息を切らしながら目を覚ましたのです。

 それから30年が過ぎてしまいました。その間、神さまは、あの手この手で私の心に働きかけてくださっていたのだと今はわかります。幾度となく受洗の機会はありましたが、どうしても一歩を踏み出すことができませんでした。私は「一神教」にとらわれすぎていたのです。イエスさまの道に進みたいけれども、それは他の道をないがしろにしてしまうことのように考えていました。
 「家を継ぐことは墓を継ぐことだ。だから俺は家を捨ててきた」。通っていた教会には、このように言う青年もいました。わが家も祖父母のお墓は仏式です。私は自分が将来、墓守になることを自覚していましたから、キリスト教を信仰すると宣言しきれなかったのです。

 カトリック多摩教会に来ることになったのは、さまざまな偶然の結果のようにも見えます。でも、神さまのご計画どおりだったのかもしれません。つらくて悲しいこともたくさんありましたが、すべてが必然だったのでしょう。涙を流すことがなかったら、もっと遠回りをしていたと思うのです。そして、ここに来た最初の日に、すべての迷いは消えました。
 晴佐久神父さまは、「本物の宗教なら同じところに通じている。そしてこの世のことは形式的なもので、キリスト教を信仰しながら仏式の墓を守り続けても、まったく問題ではない」と教えてくださったのです。

 イエスさま、長いことお待たせいたしました。それとも全宇宙の時間からみれば、桜が咲いて舞い散るまでぐらいの、ほんのわずかな間だと言ってくださるでしょうか。
 私は「○○が来る前」に戻れたのですよね?