「うれしい! 天にも上る思い!」
この試練の多い人生において、たとえ一度でもそんなひとことを口にできる人は、なんと幸いなことでしょうか。
そんな幸いなひとことが、そう言った本人の言葉として実際に載っている小冊子があります。ほかならぬ、カトリック多摩教会2013年の受洗者記念文集です。このたび、多摩カトリックニューズ別冊としてお配りいたしましたので、ぜひお読みください。今春受洗した大勢の新しい教会家族の、それぞれの受洗の感想が載っています。いずれもまごころから溢れる真実の言葉で書かれた、喜びと感謝に満ちた内容で、読んでいて本当にうれしくなるし、感動するし、励まされます。
冒頭のひとことは、その中のひとりの受洗者の感想で、喜びに舞いあがっている様子に思わず顔がほころびますが、これはたまたまアイウエオ順に並んだ文集の、最初の人の文章から引用したというだけで、他の人たちの感想も一様にそのような喜びと感動に満ちています。それまで苦しみを背負い、虚無感にとらわれていた人が福音に出会って救われ、時に劇的に生まれ変わっていく様子は、まさに驚異的と言っていいほどです。まあ、いいから読んでみてください。ここに、ほんの一部を抜粋してみます。
「私の世界はガラリと変わりました。すべてを神様の御手に委ねて、軽くなって、こんなにあたたかくて、今本当に幸せです」
「わたしは本当に変わりました。ミサに出る度に心身ともにどんどん楽になっていきました。『神は愛であり、私たちはその愛によって望まれて生まれ、その愛に救われます』ということを知った時、『これだ!』と思いました。これまで、『生まれたくなかった』と、自分の誕生や存在に嫌悪感を抱いていたけれど、ようやく自分の誕生を認めることができました」
「今僕は、自分の将来が楽しみで仕方ありません。これからどんなお恵みを与えていただけるのでしょうか。本当に楽しみです。あのパン・・・今まで食べたどの食べ物よりも、おいしかったです。本当においしかったです」
「『これ以上悲しい思いはしたくない。何とかしなきゃ!』と思い、『私、洗礼をうけます』と思い切って伝えました。その宣言から、少しづつ周囲の皆とも和解をし、ずっと暗闇の中にいた私に光が射し始めました」
「導かれて多摩教会のミサにあずかりました。神様の言葉が直接私の魂に響き、その後も数日かけて愛と喜びが全身全霊に広がってきました。神様に愛されていることを初めて心と体と魂で感じました。今までの数十年は、洗礼に向けての準備期間で、すべては神さまのご計画だったと腑に落ちました」
「ミサや入門講座で度々、『私たちはすでに許されている、だからもう大丈夫ですよ』とおっしゃっていました。私はその言葉にどれだけ救われたか・・・その言葉を聞いた時、『私、クリスチャンになる!』と決心がつきました。洗礼式を終えて、私は神の子となり今、自分にこう言い聞かせています。『もう大丈夫、私は許されている、だから生きていてもいいの・・・』と」
これを神の業といわずしてなんというべきでしょうか。
この文集を作ったのは、そんな神の業を教会家族で分かち合うため、そして多くの人にも伝えるためです。ぜひこれを活用してください。本人に「読んだよ」と声をかけ、親しくしてください。知り合いに「読んでよ」と渡して、福音を伝える道具にしてください。キリストの教会を知り、「世界がガラリと変わる」人が、身近に大勢いるはずです。
受洗者の証言ほど、説得力のあるものはありません。文集の最後の人はこう書いています。
「神様は、私が幸せになる機会を逃しても、私を一度も見捨てることなく何度も呼びかけて、導いて、招き入れて下さいました。私の罪を許し『あなたは私の目に貴い』と言ってくださいます。天の父は、御ひとり子イエス・キリストによって、全ての人を無条件の愛の内に招き入れて下さる事を、証しします」