「心のオアシスを求めて」
山歩きが好きな私たち夫婦。毎月1、2回は日帰り、あるいは3〜4日がけのハイキングに出かけます。
重いリュックを背負い、汗みずくになり息を切らせながら足を引きずって一歩一歩頂上を目指して歩きます。喉はカラカラ。そんな時大好きな歌手さだまさしの「自分の重さを感じながら坂道を登る。いくつもの峠を越えて、もっともっと上を目指す」と心の中で唱えながら歩き続けます。
それでも疲れきって、「もう一歩も歩けない」と、くじけそうになる頃、山あいの湧水に救われたことが何度もありました。(白馬、槍ヶ岳、燕岳、会津磐梯山、安達太良山、、。)冷たく清々しい湧水! 口いっぱいに含み喉をうるおし、顔を洗い、タオルを濡らし首に巻くと、不思議と元気が蘇り、再び歩き続けることができました。まさに「砂漠のオアシス」です。
そして遂に頂上。雲上に見え隠れする山々、はるか下方に見晴らせる景色に、登りの苦痛は一瞬にして消え、天国に少し近づけたかのような神々しい気持ちがし、また次の挑戦へと誘われます。
ところで、「砂漠のオアシス」で思い浮かぶのはシルクロード。「もっと若ければシルクロードを巡る旅もしてみたかった」と夢を馳せます。
その昔、世界交易の要地だったシルクロードのオアシス都市は、人種、国籍、宗教、老若男女を問わず、あらゆる人々が旅の途上で憩い、交流しあった平和な聖地だったのではないでしょうか。
現代では宗教・人種・国籍、信条の違いから、共存さえできぬかのように争いが絶えないのは何故でしょうか。
私たちの日々の暮らしでも貧富の差、考え方の違い、病気や怪我などの悩みや都会の喧騒・人間関係のストレスから、家族間でさえいさかいが増え、日々暗いニュースばかり目に付き心の傷が絶えません。
一見仲良さそうに振舞っている私たち夫婦にも、ちょっとした揉め事が途絶えることがありません。でも毎週のミサで、晴佐久神父様のお話を聞くようになってから、何故か二人とも、心癒され「だいじょうぶだよ」と励まされ、新しい週を歩み続ける元気を得ることができるようになりました。
多摩教会は、私たちの心のオアシスとなりました。このオアシス、自分たちが救われるだけでなく、ひとりでも多くの方に味わって貰いたく仲間を増やせたらと願っています。
教会に通うようになって思い起こしたことに、ボランテイア活動があります。
学生時代、長崎で英会話教室の教師だったフランス系米国人セイガン夫人の教えです。
「奉仕活動をする時間のない社会人は寄付金や現物寄付を! 寄付できなくとも時間と力のある学生たちは労力奉仕を!」と呼びかけ、当時頻繁に寄港していた米国海軍の軍艦が港に着くたびに、水夫たちを募ってバスを仕立て、孤児院の建物のペンキ塗りや慰問に駆り出していました。
われわれ学生は通訳兼助手として参加。英語の実習にもなり、楽しみながらみんなに歓迎されるボランテイア活動を体験しました。
多摩教会でも活発に続けられているボランテイア活動に、改めて向き合ってみたいと思っているこの頃です。