私たちの生活の中にはいろいろな決まりがあります。
例えば道路を渡るには青信号で渡りましょうとか、電車に乗る為きちんと並びましょうとか・・でもこれはぜひとも守るように強要されているものではありません。でも大方の人はそういうルールを守っています。何故でしょうか? 守る事によって自分の身を守る事が出来ますし、周りの人に嫌な気持ちを起こさせないで済みます。
教会にも掟なるものがあります。主日のミサに参加しましょうとか、各々の分に応じて教会の財政を助けるため維持費を納めましょうとか、少なくとも年に一度はゆるしの秘跡を受けましょうとか・・。
ところでこのゆるしの秘跡ですが年々受ける人が少なくなってきているように感じます。
もしかしたらゆるしの秘跡に偏見を抱いていないでしょうか?ゆるしの秘跡は罪人が受けるもの!?などと・・・。いいえ。もしそう思っていたらそれは間違いです。教会で聖人と呼ばれている方々はゆるしの秘跡をよく大事にしました。
ゆるしの秘跡は復活なさったキリストご自身が、人々の救いの為にとお定めになり、罪を赦す権能を使徒とその後継者である司教及び司教の協力者である司祭にお授けになりました。
私たちは洗礼を受けて心は清められ救いの恵みを受けました。でも考えてみて下さい。きれいなコートも着用しているうちにいつの間にか汚れてくるように、私たちの心も気付かないうちに少しずつくすんできます。洋服をクリーニングするように私たちの心もクリーニングが必要です。それがゆるしの秘跡・・・。
毎日神様の愛にどのようにお応えしたか、神様から遠ざかっていなかったか、神様からの愛に気づいていたか、ちょっと心の静けさを保って神様と向き合いましょう。
神様は透き通った鏡のよう。私たちは鏡を見て身だしなみを整えます。きれいな鏡ほど服の汚れとか顔のくすみとかを鮮明に映し出 します。すると私たちは見えているその部分をきれいにします。
ゆるしの秘跡も似たようなもの。曇りない鏡である神様の前に映し出された自分の心のくすみを取り除いて頂くため、神様の代理者である司祭に心の状態を打ち明けご指導を願います。そうすることによって心が清められ、ますます神様の愛が心に反映され神様の愛に近づいていく者となるでしょう。
ちなみにイエスのカリタス 修道女会のシスターは少なくとも月に一度ゆるしの秘跡にあずかっています。司祭にはゆるしの秘跡の中身について話してはいけないという守秘義務が厳しく課せられています。
多摩カトリック教会では3月9日と3月10日に共同回心式とゆるしの秘跡があります。ぜひ率先してゆるしの秘跡にあずかり、くすみかけた心に輝きを取り戻しましょう。