昨年5月、手帳を見ながら歩いていた妻が、橋への曲がり角と勘違いし、手前の階段を一気に20段転がり落ちる大事故に遭遇しました。命は助かったものの顔面縫合と大腿骨頸部骨折手術を受け、車椅子生活は必須と覚悟しました。しかし懸命のリハビリの結果1カ月ほどで普通に歩けるようになり、奇跡的早期回復に心から感謝致しました。
50年来のカトリック信者の妻は、早速ミサに行き感謝の祈りを捧げ、晴佐久神父様の親身ないたわりの言葉が嬉しく、助かったのはきっと神様の「まだ何かすることがあるよ」との啓示だと思ったそうです。
そこで「夫は仏教徒で洗礼を受ける意思はありませんが、入門講座を受けさせて貰えますか」と尋ねたところ、「もちろん。ぜひ連れていらっしゃい」と快諾いただき、妻の勧めで6月半ばから土曜日の入門講座に出席し始めました。
禅宗にひかれ般若心経を日々唱える身で、当初は戸惑いも感じましたが、毎週、神父様の日々の生活に密着した講話を聞き、多忙を厭わず東日本大震災被災地支援や悩める若者達救済に献身的かつ精力的に活躍される姿を目の当たりにするうち、この方になら、ぜひついていきたいと思うようになりました。般若心経の「無」が人生は大自然・大宇宙の営みのほんの一瞬と認識することで一切の悩みや苦しみから開放される悟りの境地とすれば、その宇宙創造の主を神と信じるカトリックの教えとは何の矛盾もないのではと考えるようになりました。
教会の図書で出身地長崎にちなんだ本「長崎の鐘」を読み、永井医師がカトリック信者に至った経緯、また自ら原爆被爆医師として活躍しながら、爆心地浦上教会の瓦礫の中から掘り出し仮設の鐘楼に据えたアンジェラスの鐘。その澄んだ音色が被災者達の沈む心に生きる希望と元気を与えたことを知りました。大好きな歌謡曲「長崎の鐘」にこんなエピソードがあったことも初めて知りました。
また同じく長崎に関係深い聖人コルベ神父の伝記にも深く感動し、洗礼名とさせていただきました。後で多摩教会の守護聖人だと知り、奇遇に驚きました。
また先日、教会で見た前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の伝記映画「KAROL」で、ナチや共産主義ロシアによる不当な迫害にも力で抵抗せず「愛情平和ゆるし」の心に徹された生き様を知り、さすがに晴佐久神父の信奉される方だと、その信仰の力の凄さに感銘を受けました。
こうして多摩教会に足を運んでいる内にいつの間にか洗礼を受けた自分がいて、我ながら不思議な気さえしています。妻も思いがけぬ展開に私以上に驚いたようですが、とても喜んでくれました。
洗礼式には息子夫婦が孫連れで来てくれたのも嬉しいサプライズでした。
晴佐久神父様・代父のT様・入門講座や洗礼式準備などお世話になった皆々さま、有難うございました。今後とも宜しくお導き下さい。
「朝の祈り」「晩の祈り」を特に心がけて唱えることから始めています。