巻頭言:洗礼こそは神の愛の表れ

主任司祭 晴佐久 昌英 神父


 カトリック教会の活動の基本は、「洗礼を中心とした教会共同体づくり」にあります。
 洗礼の秘跡を教会活動の中心とすることで教会共同体が元気になり、それによって福音を語る教会の輝きがいっそう増すからです。
 神の愛を最高のかたちで表しているのはイエス・キリストであり、キリストのからだである教会ですから、その教会の原点である洗礼こそは、神の愛の目に見える最高のしるしなのです。
 現代の教会は、もっともっと洗礼の秘跡を大切にし、もっともっと人々を洗礼に招かなくてはなりません。メンバーが次第に減っていくチームを、誰が信頼するでしょうか。考えてみてください。もしも今後洗礼を受ける人が一人もいなければ、現在の信者の最後の一人が消えたとき、この世の教会も消滅するのです。

 25年前に司祭になった私は、神学校で習った通りに、ミサをすべての活動の源泉とし、ミサの根源である洗礼の秘跡を中心にして、教会共同体づくりに励んできました。信者たちに洗礼の意義を語り、入門講座を充実させ、入門係を集め育て、教会を訪れる人にひたすら福音を語って入信の秘跡に招き続けてきました。当然のことながらこの25年間、担当した小教区で信者の数が減るという体験を一度もしたことがありません。多摩教会の受洗者も、この3年で113人になりました。所属信徒が一割以上増えたことになります。
 これは、初代教会以来変わることなく、洗礼が神の国の目に見えるしるしの極みであることの証しです。神は、ご自分がどれほど一人ひとりの神の子を愛しているかということを、なによりも、闇から光へと導かれて救いの喜びに満たされている受洗者の顔の輝きによって示しておられるのです。

 ここに、新受洗者の言葉をお届けします。これらの言葉は、私たちの教会が確かに福音を語っていること、その福音が本物であること、洗礼こそは福音の実りであることの証しです。
信者はもちろん、まだ福音を知らない人にぜひ読んでいただきたいと願っています。