伊藤 英美(仮名)
正直に言います。
洗礼を受ける前と受けた今では何も変わったことはありません。
私が洗礼を受けるきっかけとなったのは、夫の実家がクリスチャンだったというのと、十字を切るのがかっこいいとあこがれていたからです。
神父様との面接の時にそう伝えると「愛だね」と言われました。そのときはピンとこなかったけれど、愛なのか?…そもそも愛って何だ?と考えているうちになんだかそう思えてきました。
神父様はずるいと思いました。「もう大丈夫、救われた」と晴佐久神父様に言われるとそんな気がしてきます。イチコロです。
特に悩みなんてないような私でさえも、何となくコロッといきました。しかし、気持ちの上では何も変わっていないのです。まだまだ洗礼を受けたばかりの赤ちゃん状態の私ですので、これから神様のことを知って行きたいと思います。
洗礼式で水をかけられているとき、「霊的な願い事をすると叶う」と言われていましたが、すっかり忘れてただただ手はどうするんだっけ?どこで「アーメン」だったっけ? ということにとらわれすぎていたので、少し損した気分になりました。
洗礼式以来ひとつだけやっていることがあります。食亊の前と夫の運転する車に乗ったときなどに得意気に十字を切っています。(もちろん神様にお祈りしながら)念願の十字を切ることができました。