1964年10月中旬。たぶん、日曜日の昼下がりだったと思います。父が突然言いました。「オリンピックを見に行こう」。
当時6歳のぼくにはオリンピックが何であるかはわかりませんでしたが、父はぼくを連れていそいそと出かけました。そのころ住んでいたのは文京区の駒込ですから、たぶん山手線で代々木へ行ったのでしょう。国立競技場の外に着くと、ぼくを肩車して言いました。「昌英、ほら、オリンピックだよ」。
父が指差した先を見ると、スタンドの一番高いところの大きなカップの上で火が燃えているのが見えました。その火が何を意味しているのかもやはり分かりませんでしたが、いつになくはしゃいだ感じの父がその火を見て高揚していることは、よく伝わってきたのを覚えています。
貧しかった我が家にとって、チケットを買って競技を見に行くなどということはおそらく考えもしなかったことでしょうが、戦後の札幌で必死に働き、結婚して東京本社に栄転し、子供をもうけ、昭和30年代の高度経済成長時代を精一杯生きていた父が、戦後20年、ついに日本で開催された平和の祭典、東京オリンピックの聖火を一目見に行きたかったその気持ちはわかる気がします。歴史の証人として、せめて平和のシンボルである聖火だけでも息子に見せておきたかったという気持ちも。
あれから半世紀。縁あってぼくは2012年7月のロンドンオリンピック開会式に参加する機会を得ました。
そうでなくともイベント好きなぼくは、あらゆるイベントに参加してきましたが、なかでもぼくにとってスペシャルであり、いつか参加したいと願ってきたのは、オリンピック、しかも開会式です。
中立であるはずのオリンピックですが、時に政治利用され、商業主義に支配されるなど、いまや純粋に平和の祭典とは呼べない側面があるのは事実ですが、少なくとも参加している選手たちはそんな不純な動機は持っていないでしょうし、見る側もそんな不穏なものは見たくないはず。人類は4年に一度、「ぼくらはもしかしたら本当に仲良くできるかもしれない」という希望を目にしたいのです。
ロンドンオリンピックの開会式は、あきれるほど厳重な警備の中で行われました。会場近くの地下鉄ストラトフォード駅を降りてから、実際にオリンピックスタジアムの自分の席に座るまでの間、ゲートが4か所、チケットの確認が10回近くあり、会場入り口では空港のようなセキュリティチェックを受けて、ペットボトルまで取り上げられました。50年前には想像もつかなかったテロという現実を抱えている現代の平和の祭典は、平和の危うさと、それゆえのかけがえなさをいやおうなしに見せつけているのでした。
開会式は大変よく準備されていて、訓練を受けた7千人のボランティアたちのキビキビした動きは見ていても気持ちよく、英国の田園風景が産業革命で一変していくドラマチックな演出など、いかにもヨーロッパ的な洗練されたものでした。英国ロックの影響力にも改めて感銘を受けましたし、ミスタービーンの演技や女王陛下本人を用いたパロディなど、英国流ユーモアの懐の深さも実感できました。
しかし、最も感動したのは、意外にも選手の入場行進でした。
テレビで見ているときはどちらかというと退屈な印象でしたが、現場にいるとそれこそが最高のイベントだということが、ひしひしと感じられるのです。想像してください。全世界、今回で言えば204の国と地域の人たちが、同じく世界中の人が見守る中、実際に一か所に集まってくるのです。韓国も北朝鮮も、イラクもアメリカも、アラブもイスラエルも、みんな国旗を立てて、にこにこしながらゲートをくぐって入ってくるのです。最後にイギリスが入場してついに全世界がそろったとき、涙が出ました。目の前にあるのは理想ではありません。現実です。全世界の人口と同じ70億枚の紙吹雪が舞う中、ぼくは心の中で叫んでいました。「人類、やればできるじゃん!」。そこには確かに、天国が先取りされていたのです。
もしもそこが天国ならば、父もいるはずです。みんなが見守る中、会場中央に聖火が灯されたとき、ぼくは、いつかは父に言いたかったことを、小さな声でつぶやきました。「父さん、ほら、オリンピックだよ」。