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大震災の犠牲者のために捧げるレクイエム

井上 信一

 私たちの共同体には色々なタレントを持っておられる方がおられますが、その中で作曲家として活躍されている方を二人ご紹介しましょう。しかもこのお二人が昨年の大震災の犠牲者に捧げるレクイエムを作曲されたお話です。

その1
 昨年の復活祭で奥様と一緒に受洗された石島 正博さんです。石島さんは桐朋音楽大学作曲科の主任教授をされています。生まれ育った石巻の町と自然が震災で跡形もなく流され沢山の人たちが犠牲となりました。その深い悲しみを《REQUIEM for piano》という曲に込めて作曲されました。そして、この曲は日本だけでなく、海外でも演奏され、世界的に有名な作曲家からも高い評価を受けています。私は昨年の8月21日八王子で開催されたピアノ・コンサートでこの曲を聴く機会を得ました。ヨーロッパを中心に第一線で活躍されているハン・カヤさんとうピアニストの演奏でこのレクイエムが紹介されました。演奏の後、石島さんはステージに上り、この曲についての思いを次のように語られました。
 「2011.3.11は特別な日でした。地震と津波によって壊滅的な被害を被った東北の小さな、美しい海辺の町、石巻は私の父の故郷、私自身も多感な少年時代を過ごした場所だったからです。
 自らが流木になったような気持ちをどこかに繋ぎ止めなければならない必然を感じて、私は《REQUIEM》を書きました。それは、異常な緊張と押しつぶされるような情感の海に漂った1週間でした。目の前で無くなっていくものをどうにかしてとどめたい、しかしそれは叶わない。ならば、私自身の記憶をせめて音にとどめよう、そう強く思いました。
 だから、という訳ではないのですが、第1曲目にはishinomakiを音列化(アルファベットを音変換)して全曲の統一モティーフを作り、第2曲にはわらべ歌をデフォルメしたモティーフを用いました。続く第3曲の最終小節の音は、実は楽音ではなくノイズによって表現されるのですがその音に私は dolorosamente「悲痛に」という発想記号を書き込みました。 悲痛な雑音! 第4曲は私自身の精神のある錯乱を presto(極めて速い)と pesante(重々しい)な時間の対比を表現しています。そして第5曲は嬰へ音のオスティナートで貫かれた《死の行列》です。その列の向こうから「嘆きの鐘」が聴こえてきて、やがて、その鐘の音に《子守唄》が重ねられますそして、曲は閉じられることなく終曲第6曲へと受け継がれます。
 《波にさらわれた子供たちの霊》を慰める。その一念の子守唄。
 しかし、その唄は最後まで唄われることなく虚空に消え去ります。」

その2
 もう一人の作曲家はやはり10年ほど前に私たちの教会で洗礼を受けられた藤田 玄播さんです。特に吹奏楽の分野で数々の名曲を生み出し、その中には吹奏楽コンクールの課題曲として取り上げられたものもいくつかあります。洗足学園音楽大学で教鞭もとられていた方です。奥様は“ブドウの木”のグループで聖歌の奉仕をされています。藤田さんはこの数年来、厳しい闘病生活を余儀なくされていますが、そんな状況にあるにも拘わらず、昨年、宮城県気仙沼校の吹奏楽部の依頼で、震災の犠牲者へのレクイエムを作曲されました。曲名は「復活への道」ですが、「東北大震災のためのレクイエム」という副題がついています。
 昨年末から練習を始めたこの部員たちによる演奏会は気仙沼市内のホールで4月8日、すなわちご復活の主日に開催されました。
 大地震と津波の災害の荒々しさを表す序盤の演奏。そこでチューバを吹いた3年生の部は、「初めて演奏した時には、がれきだらけの自宅の前で立ちつくしたことを思い出した」と語り、犠牲者を悼むトランペットの独奏をした生徒は、犠牲になった親族の笑顔を思い浮かべながら、「音色がみんなの悲しみを癒せれば」と話しました。そして最後は復興に起ち上がる人の姿を思わせる闇から光への終盤につながります。この吹奏楽部の全員がそれぞれの苦い、そして悲しい体験を思い浮かべながらも、「聴く人にとっても新たな一歩を踏み出すきっかになれば」と思い、この曲を演奏したとのことです。(4月8日付読売新聞の記事に基づく)