巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

天国の入門講座

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 今月から、入門講座を始めました。金曜夜、土曜昼、日曜ミサ後です。すでに様々な人が集まっていますし、お世話する入門係チームも出来つつあります。ただ、この「入門講座」という名称は、誤解を招くこともあるかもしれません。
 「入門」というとこれからがんばって練習して上達しようというニュアンスですし、「講座」というとしっかり講義を聴いて学ぶというイメージです。そういう要素がないとは言いませんが、この集いで第一に目指しているのは、まずは直接福音を聞いてうれしくなり、実際に神の愛を体験して喜んでもらいたいということなのです。よく車のセールスで「今度の土日は体験試乗会」とか宣伝していますが、まさにそんな感じ。あれは別に、車の乗り方を練習するのでもなければ、エンジンの仕組みを勉強するのでもなく、ともかく乗ってもらいさえすればその良さを分かってくれるはず、というものでしょう。教会も同じです。ともかく福音を聞いてほしい、一度でも味わってもらいたい、イエスに出会ってくれればきっと分かってくれるはず、という思いです。言うなれば「福音体験会」なわけですが、それじゃ何だか分からないので、やむなく入門講座と呼んでいるに過ぎません。

 ですから、ぜひ、そのような集いであると、そのような集いを求めている人に知らせてほしいのです。一度だけでも構わないし、都合に合わせて来るのでもいい。講座の内容は、それこそお客に合わせてカタログを出すセールスマンのように、一人ひとりが求めているものを察しながら接しますので、どんな事情の人にでも対応できます。苦難の中で救いを求めている人、単にキリスト教に興味がある人、孤独の中で居場所を探している人などなど、理由はともかくだれでもが参加出来ることに意味があります。それこそ神が集めてくれた集いですから、必ずだれもが本物の福音に触れることができると、信じています。
 その意味でも、入門講座を、洗礼の勉強会としてだけ捉えてほしくありません。もちろん、洗礼がどれほど素晴らしい恵みであるかを知っているものとして、洗礼について話し、洗礼の恵みにお招きしますけれども、まずはあくまでも神の愛を知るという福音体験です。洗礼は、そのように福音をしっかりと受け止めた者が、やがて神に導かれて自然と受けるものなのであって、始めに洗礼ありきでは、かえって講座に来にくくなる事もあるからです。
 求道者のみならず、最近受洗したけれど引き続き福音を学んで行きたい、という人もどうぞ。きっと改めて、良い気づきや発見があるでしょう。さらには、信者暦は長いけれどここらでもう一度という人も参加できます。ただし、その場合はぜひ一緒にだれか求道者を連れてくるようにお願いします。福音は、それをもう一人の誰かに伝えるお手伝いをしたときこそ、真に受け止められるものだからです。

 いつも思うのですが、入門講座は本当に恵みの場です。そこには常に新たな出会いの喜びがあり、信頼関係が育っていく楽しみがあり、福音に救われる感動があり、やがて洗礼へと実る聖霊の働きが溢れているからです。ですから、講座のお手伝いをする入門係は、そこにいるだけで神の働きを実感できる、まことに恵み多い体験だと言えます。時には、去年洗礼を受けた人が今年は入門係をするということもあります。それこそ、教会の本質をあらわす美しい姿です。
 イエスは、ペトロに教会を託して、宣言しました。
 「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16・19)。
 教会は、天国の門なのです。その意味でいうならば「入門講座」という名称は、文字通りの講座としてふさわしいと言えるのかもしれません。