巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

病床も聖堂

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 来週、ドン・ボスコ社から「病めるときも」という小冊子が発行されます。「病と向き合うすべての人へ」というサブタイトルからも分かるとおり、病気の人を力づけ、大切な信仰を支え、つらい思いにそっと寄り添うために編集されたものです。ご病人へのお見舞いとして差しあげたり、ご病人のために祈るときなどに最適ですので、ぜひご一読ください。受付にて、百円で販売します。
 巻頭に、「夜の病室のあなたに」という文章を載せました。「こんばんは。晴佐久神父です。」という一行に始まり、自分の病気の体験に触れ、病のときは神の愛に目覚める恵みのときだと語り、「今夜はぐっすり眠れますように。おやすみなさい。」で終わるという内容です。何故そのような、「わたしが、あなたに」語りかける文体にしたかというと、それが病気の時最も必要なことだからです。
 病気の時、人は孤独です。痛みも不安も、ひとりで背負っている気持ちになります。病状が悪化する中で、時に神に見捨てられたような思いにとらわれることだってあります。ですから、病気の時にありがたいのは、その苦しみを一緒に背負ってくれる家族であり、そのつらさが分かるよとそばにいてくれる友人であり、「わたしはあなたを愛している。いつもあなたと共にいて、その苦しみを共に背負っている」と語りかけてくださるイエス・キリストの存在なのです。一冊の小冊子で語りかけることで、孤独なご病人がそんな救い主の語りかけを聞き取ってくれればと思ったのです。

 今月から、多摩教会の病床訪問チームを発足させました。まだ始まったばかりですから、関心のある方はぜひチームに加わってください。教会は、キリストの家族です。家族の病床を訪問し、ご聖体をお届けするのは当然のことです。キリストの家族として最も大切なことは家族の食事であるミサを共にすることですが、だれよりもミサで力づけられる必要のある病気の人が、そのミサに来ることができません。部屋で寝ている病気の子どもの枕元にお母さんがお粥を運ぶように、ご聖体をお運びするキリストの家族が必要です。
 もちろんお運びする第一人者は司祭ですし、現にお運びしていますが、教会家族みんながもっと普通に、もっと足しげくお運びするならば、教会はいっそう暖かい家族になっていくことでしょう。ご聖体は「聖体奉仕者」でなければ運べないと思っている方も多いようですが、主任司祭が任命すればだれでも運ぶことができます。たとえばご主人が病気になってミサにこられなくなった時に奥様が、あるいはお母様が高齢で外出できなくなった時に息子さんが、予め許可をもらって聖体奉仕者となることが可能です。毎週、主日のミサで聖体拝領の時にご病人の分も預かり、ミサ後にご自宅でお授けすればいいのです。
 そのようなご家族がいない場合やお一人で入院している場合などは、教会のお友達や地区会など近隣の教会家族がお運びしたらいいでしょう。それらをみんな含めて、病床訪問チームです。

 元気な時は当たり前のようにミサに通っていた人でも、ひとたび病気になると、聖堂で共に礼拝できることがどれほどありがたいことかを思い知ります。ミサに行けないことを申し訳なく思う人もいるし、教会を引退してしまったかのようなさみしさを感じる人もいます。聖堂に集れた元気な人たちが、そんなさみしい思いを抱えている大勢の家族のことを忘れてミサを捧げているのでは、おなかをすかせている病気のわが子に運ぶお粥を忘れているようなもの。明日は我が身なのですから、身近にそんな教会家族がいないか、お互いに心を配ることにしましょう。教会は、神の愛のしるしなのですから。
 病床であっても、主日の午前十時に、聖堂のミサに心を合わせてミサに連なることができます。「聖書と典礼」を広げ、十字を切り、集会祈願を祈り、答唱詩篇を歌い、聖書を朗読し、信仰宣言をし、共同祈願を捧げ、奉献文を読み、主の祈りを唱えて静かに待つ。やがて、昼過ぎには聖体奉仕者が午前中のミサの熱気を帯びたままやってきます。出来たてほやほやのご聖体を携えて。そして、今日のお説教はこんなでしたよと話し、ご聖体を授けてくれる。「わたしは、あなたを救う」と、枕元へキリストご自身が来られたのです。何と幸いなことでしょう。その時、病床はもはや立派な聖堂です。