多摩カトリックニューズにこうして巻頭言を書くことは主任司祭として当然の務めではありますが、わたしにとってはそれ以上の特別な意味があります。今号で第437号になるこのニューズですが、かつてわたしは、その第1号から117号までを一冊の本にする際の装丁を担当したのです。本文の活字組や扉のイラストから表紙の紙質までデザインし、117の巻頭言全てにカットを描き、そのためにすべての文章を何度も読んでは想を練ったものです。今から27年前、まだ神学生のころです。
本のタイトルは「荒れ野から」。著者はいうまでもなく、初代主任司祭である寺西英夫神父であり、彼が司祭叙階銀祝記念として出版したものです。わたしが装丁を頼まれた理由は、以前美校で編集デザインを学んでいたということもありますが、何よりもわたしが多摩地区の教会の青年活動で寺西師の影響を受けて神学校に入った者であり、多摩教会にも深い関わりを持っていたからです。実際、この本の175ページには師とも親しかったわたしの父の死にあたって書いた詩が載っていますし、228ページには神学生であるわたしに言及した文章も出てきます。ともあれ、この本に出てくる出来事の数々はわたし自身も体験したことであるため、出来事の本質を見抜こうとする師の見方からは多くを学ばされました。多摩カトリックニューズの巻頭言は、召命を受ける前後のわたしにとって、荒れ野を旅する教会の本質を自らの出来事と重ねつつ学んでいく格好の教科書でもあったのです。
かく言うわたしも銀祝が近づき、気付けば「荒れ野から」出版時の寺西師の歳になり、あろうことか多摩教会の主任として多摩カトリックニューズの巻頭言を書いているではありませんか。これが単なる偶然ではなく摂理であるのは当然のことで、神様が多摩教会をいっそう多摩教会にしていくために、なすべきことをなしておられるということではないでしょうか。つまりわたしは、聖堂がまだ関戸ビルの2DKだったころから足繁く出入りし、多摩教会という出来事の証し人とされ、教会の本質がなんであるかを目の当りにしてきたものとしてここへ遣わされてきたということです。
「多摩教会をいっそう多摩教会にしていく」とは、荒れ野で旅する教会として聖堂も持たずに設立され、だからこそ教会の本質である「福音を信じ福音を宣言する集会」としての教会を目指して苦労を重ねてきたという、多摩教会の恵まれた特質を再確認して再出発するということです。
「荒れ野から」の37ページにはこうあります。「2DKの小さな家では、(略)ミサ以外の時に訪ねてきた人は『これが教会ですか』という顔をする。しかし、これこそ教会の『はだか』の姿なのである。教会とは『キリストを信じるわたしたち』のことであって、そのわたしたちは『キリストの証しされた神の国(神の愛がすべてにしみとおって実現する状態)の到来を、この世にあって受け継ぎ、伝えて行く弟子たちの集り』にほかならない。(略)わたしたちは信じているのである。キリストの証しが、はだかの十字架からの復活によって行われたことを。教会は、その証しを続けていくものであることを。いずれ多摩教会も、少しづつ着物を着ていくことであろう。しかし、常にはだかのキリストを忘れないでいたいと思う。」
次々と着物を着て、多摩教会は今年献堂10周年を迎えました。いまこそ、なにもないところからすべてをお始めになる神のわざに信頼し、「はだかのキリスト」に立ち帰る節目です。働くのは神です。神が福音を語っているのだから、わたしたちも共に語るのです。どれほど建物が立派でも、福音を語る者が集うのでなければそこはキリストの教会ではありえません。師の言うとおり、「キリストを信じるわたしたち」として「神の国の到来をこの世で伝える弟子たちの集り」でなければなりません。
岡田大司教様は、ことあるごとに「教会はオアシスであるべき」と語っています。多摩ニュータウンも30年前に比べればずいぶん立派になりましたが、その中身は当時よりいっそう荒れ野化しています。多摩教会こそはまさに旅するオアシスとなり、救いを求めて渇ききった人々に福音を飲ませる教会とならなければなりません。この一年、「荒れ野で福音宣言する集会」をめざしましょう。荒れ野の旅はまだ始まったばかりです。