このたび、4日間ではありますが被災地を訪問してきました。塩釜教会のボランティアベースを中心に、七ヶ浜、石巻を回り、最後の日には米川ベースにも立ち寄って南三陸町の避難所を訪問しました。
現場を車で走りながら思わず口をついて出てきたのは「行けども、行けども・・・」という呆然としたつぶやきです。ともかく延々と、行けども、行けども惨憺たる光景が続くさまは、文字通り「手のつけようがない」有様でした。
しかし、だからこそ、そんな中で孤軍奮闘のように重機を動かす作業員や、今なお遺体を捜して側溝の泥の中に潜り込んでいく自衛隊員や、ただひたすらに瓦礫を片付け続けているボランティアたちの存在が、それこそ「地獄で仏にあったよう」に輝いて見えたのが、とても印象的でした。
さて、被災地の現状とボランティアの意義については今号の深江氏の報告に詳しいのでそちらを読んでいただくとして、ここでは少しカトリック塩釜教会のことに触れておきたいと思います。
塩釜湾は大小二百あまりの松島の島々が点在し、それが天然の防波堤となったため他の地区よりは少しだけ被害が少なかったようです。それでも津波は港から数百メートル内陸まで押し寄せましたが、ちょうどカトリック塩釜教会の手前のところで止まり、地震による損傷も軽微なものでした。あの激しい揺れでもお御堂のマリア像が台座から落ちなかった、というのが信者さんのご自慢で、「落ちないマリア様」として受験生の保護の聖母にしたいなどと、ユーモアたっぷりに案内してくれました。
しかし、ご存知の通り塩釜教会はこのたび、大きな犠牲を払いました。主任司祭を亡くしたのです。アンドレ・ラシャペル神父は、地震発生時仙台市内にいましたが、皆の制止を振り切って車で教会に戻りました。しかし教会周囲の道は津波で冠水していて立ち往生し、一晩極寒の車中で過ごしたために持病の心臓病を悪化させて亡くなったとのことでした。敬愛する主任司祭を失った塩釜教会の信者さんたちの悲しみは察するに余りあります。落ちないマリア像の前に、神父様の大きな遺影が飾ってありました。
そんな中、塩釜教会は、仙台サポートセンターのもとボランティアのベース(基地)となる教会に指定されて、教会をあげてベースを支えてきました。このたびそのベースの様子を見て、これは本当に信者さんたちの全面的な祈りと献身、犠牲なしには不可能だなと思い、頭が下がる思いでした。
ミサ後は、お御堂のベンチは片付けられ、女子の寝室になります。信徒会館のホールは男子の寝室兼食堂。日中瓦礫と格闘してきたボランティアたちが毎日何十人と出入りすれば当然汚れます。ボランティアは皆が信者とは限りませんし、中には教会のことをあまり理解していない人もいるはずです。当然普段どおりの教会活動はできないでしょうし、時には苛立つ出来事もあるのではないでしょうか。
そのような現実の中で、信者さんたちは毎日このベースを訪れて、だれであれ寛容に受け入れ、忍耐強く対応し、さまざまな工夫をしながらできる限りの奉仕をしているのでした。もちろん、直接的に運営しているのはカリタスジャパンであり、ベース長のブラザーや炊き出しに来ているシスターたちの献身的な奉仕あればこそのベースですが、そこでボランティアたちがさまざまなことを体験して成長し、時には福音に出会う姿を目の当りにするにつけ、そのベースを支える塩釜教会自体も尊い働きをしているなという実感を持ちました。まとめ役の主任司祭がいない中、信者たちが一致団結して話し合い、さまざまな配慮をしている様子は、まさに聖霊に導かれている教会の姿でした。
今回わたしも塩釜教会の信者さんに受け入れられ、その細やかな配慮と案内で、ご自宅や病院におられる病気の信者さんたちの病床訪問をすることができましたが、教会の本質は何はともあれ「受容」であり、震災後の教会のあるべき方向性はそこにあることを、はっきりと見た気がしました。
もしも教会が、自分たちの都合やら狭量な了見のために「もうベースはいいでしょう、そろそろお引取りください」などと言いだすとしたら、たとえ十字架は立てていても、もはやそれはキリストの教会とは呼べないでしょう。
わたしたち多摩教会も、今後、さまざまな形でこの塩釜教会を応援していきたいと思います。それがベースを応援することとなり、それが被災地を支援することになるのですから。