石井 省三
「荒れ野のオアシス教会」を目指して・・・というタイトルで何か一文を、とのご依頼に、拙文を一筆書くことにしました。
私は、ほとんど日曜日にミサに来るとき、障害者仕様の車を運転して来ます。手足麻痺のため、電車バスの公共交通機関が原則的に使えないためです。決してノロノロ運転するでもなく、法定いっぱいの速度で走っているつもりです。うっかり制限を超えて走ってしまうと、獲物を狙う白い狼の餌食になってしまうことは、よく知られているところです。一方、尾根幹線でもニュータウン通りでも、少しでも前車との間隔を開けると、法定制限速度や何のその、猛然と追い抜き追い越していきます。そのことも含めて、ドライヴァーのマナーだけの問題ではなく、仕事の世界でも、一般の日常生活のあらゆる場面でも、人心の在り様の一端に過ぎないと思えます。
教会外の一般社会、いわゆる世間が、あらゆる面からも、すさまじい“荒れ野”であることは、私だけの感じ方、見方ばかりとは思えません。
教会に着き、聖堂に入ると、もう大丈夫、ほっとした安心感に浸ります。私にとって、教会の存在そのものが荒れ野のオアシスなのです。その緑滴るオアシスへ入ると、いろいろな案内人が、甘い水はこちらへどうぞと案内してくれます。それが各種当番等の役割分担だと思います。そうした居心地の良い場所を求めて、これからも、「荒れ野の中のオアシスをめざして」、通い続けようと思います。どうぞ、よろしくお願いします。