35年ほど前、関戸のマンション教会の頃、土曜日のミサは宮崎カリタス(今のイエスのカリタス)修道女会のかおり保育園の御聖堂で行われていました。ミサの後、私たちが集まる場所もなく、挨拶やお話しは階段の上下でなされていました。お互いの交流もなく、ミサの後は夕食の時間でもありましたので、すぐにそれぞれ家に帰って行きました。しかし週に一度は日中聖書の勉強会がありました。そんな時神父様がしびれを切らせて子供の教育についてそろそろ考えたらどうかと提案がありました。私たちも何かしたい気持ちはありましたが、教会ではないので保育園を自分たちの場所として使うことはできないと思っていました。そんな時一人の信者がこの教会は誰も話しかけてくれないといって「ものみの塔」に移って行ってしまいました。しかしその頃は誰もが他の地区から移ってきたばかりで、時間も場所もない状態で、ただミサに与っていただけですから、皆同じ気持ちだったと思います。
それでもマリア被昇天やクリスマス、復活祭はここでマンション教会の人たちと一緒に、シスターの多大な御協力を得て、盛大に行われていました。そんな頃近所同士の信者が3〜4人ほど、おやつを共にしながら、こんど家庭ミサをしてみない、ということになり、私の家でミサと食事会をしました。30人ほど集まり靴はお風呂場にまで並べ、カレーライスなどで食事をしました。そして月に一度は家庭ミサ、又は近くの里山などに出かけ一緒にピクニックをしたりしていました。そしてどんどん仲よくなり、お互いの家にいったりきたりして深い仲間意識が生まれてきました。
マンション教会の人たちから、かおり地区はみんな輝いているねと羨しがられましたが、そのうち新しい御聖堂づくりが始まり、今の信徒館ができて始めて一つになり、ミサが土・日ともここで行われるようになりました。そして家庭集会はなくなり、ミサ後は会議や教会学校などで集まっていましたが、宮下神父様の頃、軽食サービスをしようということになり、最初は大変という気持ちが強かったですが、二ヶ月に一度ということもあり、皆協力して働きはじめました。今は一人暮らしのお年寄りや精神的不安定な方、又教会になれていない人たちのよりどころになっているようです。
私は土曜日のミサに出ているので、その恩恵にはなかなか与れませんが、土曜日のミサの人たちもこんな交流が出来たらいいなとは思いますが、みんな家族が待っているので、すぐに帰る人が圧倒的です。そして私たち数人が残って祈りの集いを長い間行ってきました。土曜日の夜は誰もいない御聖堂と静けさがあります。祈りをするのに最高です。私たちのオアシスとなっています。
連載コラム
内山 啓子