カルペンティール神父様への感謝
5月17日付けのカトリック新聞で、カルペンティール神父様が3月20日に帰天されたことを知りました。この記事が目に入った瞬間、ついに亡くなられかという悲しみと共に、101歳までよく頑張られたという感嘆の気持ちがこみ上げました。カルペンティール神父様は、当教会聖堂の窓を飾るステンドグラスを作製して頂いた方です。
献堂前年の1999年、当時の主任司祭 宮下神父様の要請を受けて、カルペンティール神父様はこのステンドグラスの作製に取り組まれましたが、神父様は新宿区百人町にあるドミニコ修道会の「学生の家」を本拠とされていました。製作状況を見たいと思い、工房を訪ねましたが、工房と言っても、物置小屋のような雰囲気の雑然とした作業場でした。一瞬、こんなところでステンドグラスが作れるのかと不思議に思ったほどでした。しかし、制作中の神父様を見ていると、その真剣な眼差し、素早い手作業で見事に色付けされたガラスが鉛の紐で、一つの絵にまとめられて行かれるので、ステンドグラスの誕生を僅かながら、垣間見た思いがしました。
神父様の学歴や美術家としての業績、そして多摩教会のステンドグラスについては、教会ホームページの「教会案内」に詳しく書いてありますので、ご参照下さい。特記すべきことは、若い時から美術を学ぶと共に、19歳で聖ドミニコ修道会に入会し、ベルギーの最高学府であるルーヴァン大学で学ばれ、1944年に司祭に叙階されたことです。
宣教師として1949年に来日され、その翌年には東京芸術大学に入られ、日本画を学ばれました。その精力的な学習と芸術活動の広さと深さには、驚かされます。それは、作品の様式が多彩なこと、その数量が半端でないこと、活動の範囲が世界的であること、などなどです。
2010年5月の献堂10周年には、記念ミサを歴代の主任司祭と共に、共同司式され、その後、ステンドグラスについて講話をして頂きました。小生が最後にお会いしたのは、2014年の秋で、引退の可能性について話され、故郷のアントワープに帰るか、四国にある養老施設に入るか、迷っているような話をされました。その後、送って下さったクリスマスカードの住所がアントワープであることから、やはり故郷を選ばれたことが分かりました。昨年末のカードが最後のものになりました。
人柄は物静かで、優しい方で、それは作品の中の人物の眼差しにもはっきりと表れています。こちらの無理なお願いでも、断られたことは一度もありませんでした。ただ、絵の勉強を教わった方々には、あるいは厳しかったのかも知れませんが。
2018年9月の100歳のお誕生日には、ベルギーのフィリップ国王からお菓子と記念品、アントワープ市長から花束が贈られ、沢山の人々が集まり、誕生日を祝われたとのことです。
因みに、カルペンティールというお名前はフラマン語の発音で、仏語ではシャルパンティエ、大工さんという意味です。二つともベルギーの公用語です。
カルペンティール神父様は今、主のみもとでも、相変わらず沢山の絵を描いておられるのでは? どうか安らかに憩われますように! 感謝の気持ちを込めて、お祈りいたします。