連載コラム:「神さまに招かれて」

「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第77回
「神さまに招かれて」

南大沢・堀之内地区 佐々木 由理子

 私が洗礼を授かったのは、2010年の4月3日のことでした。晴佐久神父様が多摩教会で最初に洗礼を授けたメンバーのひとりでした。
 字数が決まっているのであまり詳細は書けませんが、ひと言にまとめると、突然「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全てのことに感謝しなさい」という声がはっきり聞こえて、「神様についに招かれた」と確信して、洗礼を決意しました。最初プロテスタント教会に行っていたのですが、大学のゼミのシスターから「どうしてもカトリックにして」と言われて、一度だけ行ってみる約束で多摩教会に行き、晴佐久神父様と出会って額に電気が走ってしまい、ここが私の場所だと確信しました。2009年11月から金曜日の入門講座に通い始めて、翌年の4月に受洗しました。

 前のプロテスタント教会には2年ほど通ったのですが、その間に洗礼に至らなかった最大の理由は、私が「今夜自分が死ぬとしても、天国に行けると確信していますか?」という質問にハイと答えられなかったことがあります。私には今、二人の大学生の子供がいますが、その上にもうひとり、妊娠38週、予定日目前に死産した息子がいました。彼を死なせてしまった私は人殺しだから、天国に行く資格はない、そう思っていました。
 初めて会った晴佐久神父様は、その超えられなかった壁をいとも簡単に取り払われました。「あなたがどれくらい信じているか、なんてどうでもいい。神があなたを招いているかを私は見る。あなたは間違いなく招かれていますよ」私の中で何かが変わりました。「今度の4月にこの聖堂で洗礼を受けましょう」との言葉に、思わず「ハイ」と返事をしていました。そして私は、「私のオアシス」に、ついにたどりついたのです。

 受洗した後は、目まぐるしい日々の中、晴佐久神父様が次々思いつかれるイベントのほとんどをスタッフとして駆け抜けてきました。去年、豊島神父様がいらっしゃってからも、相変わらずいろんなイベントのスタッフとして働いています。豊島神父様は、晴佐久神父様とはまた違ったタイプの、すばらしいタレントを持った神父様で、安心してついて行ける良い牧者です。いろんなことを深く考えていらして、とても信頼しています。

 2017年、下の息子が大学生になり静岡県での下宿生活が始まりました。突然私も半分一人暮らしのような生活が始まり、不覚にもちょっとウツ気味ですが、神様は私に次のステージを用意されているようです。
 受洗した日の日記に、「いろんな人にステキな贈り物をもらいましたが、なぜでしょう? 『花を咲かせてね』とか、『種まく人』とか、なんだかとっても植物を育てる人なコメントをたくさんの方にいただきました。信者になって、改めて周囲にお日様みたいな光りを注ぐ、種をまき、育てる人になりたい、としみじみ思います」、私はこう書いていました。
 人生も後半戦、元気に活動できる時間があとどのくらい残されているのかは分かりませんが、神さまのお仕事をこれからも精一杯つとめていきたいと思っています。