巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

おやつの会

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 新年あけましておめでとうございます。
 2012年はまさに「新しい創造」(仙台教区の新生キャッチフレーズ)の年。過ぎし年の困難や試練をむしろ逆手にとって格好の機会とし、悲しみや絶望をみんなで喜びや希望に変えてしまおうではありませんか。教会という恵みの場には、そうするだけの経験と知恵、人材と条件、なによりも愛と信仰があるのですから、あと必要なのは「よし、やろう。きっと、うまくいく」という、明るいひらめきと素朴な決心だけなのです。

 新年早々、また被災地を訪問して来ました。被災地訪問も9回目。今回は釜石(4回目)と、大船渡(2回目)。いつも駆け足ではありますが、それでもいい出会いがたくさんあって、とても励まされます。
 釜石では2か所の仮設住宅を訪問しました。そのうちの一つでは併設された「談話室」を訪問したのですが、集まった方々が本当に明るい方たちで、元気いっぱいのおしゃべりに圧倒されました。談話室というのは、仮設住宅の人たちが孤立しないように設けられたコミュニティースペースで、12畳ほどの談話スペースにキッチンやトイレがついています。今回はそこでボランティアの人たちが「すいとん」を作って仮設の方々をお招きし、あわせて20人ほどで一緒にいただきました。このすいとんがとってもおいしかったこともあり、話が弾んで、笑い声のあふれる楽しい集いでした。
 このようなスペースは、大変貴重です。現に、そこに集まった人たちは一見古くからの知り合いのように見えましたが、聞けば実際には3か月前にこの仮設住宅が開設されたときに入居した人たちだそうで、それまではお互い全く見知らぬ仲だったのです。そんな住人達が互いに知り合って信頼関係を築いていくためには、いわゆる「サロン」のようなスペースが必要ですし、そこでのイベントがとても効果的です。つらい過去や不安な未来を共感しながら語り合い、互いに励ましあってひとときを過ごす仲間は、人が生きていく上では欠かすことのできないものだからです。

 今月、大船渡にカリタスジャパンの支援センターが開所しました。次第にボランティアたちも引き上げていくこの時期に、カトリック教会が新たに支援センターを立ち上げるのはとても前向きなメッセージとして現地にも受け入れられていて、まさに教会が「新しい創造」に協力している姿を示していると言えるでしょう。
 このセンターはボランティアたちの宿泊施設であると同時に、広く地元の人に開放して「サロン」として活用してもらうよう、談話室的な機能も持っています。お訪ねしたのは開所式の3日後でしたが、室内は地元の「ケセン杉」を多用したログハウス風の内装で、木材のいい香りがして大変明るく居心地がよく、これなら多くの人の心のよりどころとなるだろうなと、うれしい気持ちになりました。実は、ベース長の池田雄一神父は私の神学生時代の恩師で、うれしい再会になりました。神父様に開所のお祝いを申し上げ、多摩教会での被災地献金12月分をお渡しすると大変喜んでくださいました。まさに、支援センターは出会いの場でもあるのです。

 このように、被災地での「サロン」の役割は、大変重要です。それはまさしく、教会の役割が大変重要であるのと同じことです。教会こそ、現代社会のサロンであり、コミュニティースペースであり、談話室であるからです。教会こそ、つらい現実の中で人と人を出会わせ、互いに福音をわかちあい、神の家族として一つに結ばれる救いの場であるからです。魂の世界では東京もまた被災地だということもできますし、今の時代は、どこの地域でも「サロン」としての教会の役割に期待が集まっているのではないでしょうか。
 多摩教会で先月始まった「おやつの会」は、ささやかながら、そのようなサロンの機能を持った集いです。これは毎週木曜日、午後3時のおやつの時間にお茶とおやつが用意してあって、だれでも来ておしゃべりすることのできる談話室です。すでに信者はもちろん、求道者や近所の方も来ていますし、たいていは晴佐久神父も「そろそろ、おやつですねー」と現れます。
 この集いの基本的な考え方は「みんな家族なんだから、おやつの時間くらいは一緒に過ごしましょう」という素朴なものです。実際には、話が弾んで、日が落ちてもまだおやつが続いていることもしばしばですが。無料ですので、お気軽にどうぞ。差し入れも歓迎です。一緒におやつを食べながら出会いと会話を楽しんで、この困難な時代に、新しい創造にチャレンジしていこうではありませんか。いきなりミサや入門講座ではちょっと敷居が高いという方にも、ぜひお勧めください。
 小さな集まりですが、教会のサロンは大きな可能性を秘めています。その小さなサロンが、天国という究極のサロンの入り口なのですから。