神様に近づきたい(受洗者記念文集)

松嶋 信夫(仮名)

 私は2001年2月に最愛の母を肝細胞がんで亡くしました。当時、大学一年生であった私は悲しんでいる暇もなく、昼は大学の附属図書館で働き、夜は大学の講義を受け、何とか4年間で卒業しました。しかし、当時は就職氷河期で、就職もできずに大学を卒業しました。何か仕事をしなきゃと思っていた時に、大学の先輩が保育士を目指しているのを聞き、子ども相手の仕事も楽しそうと思い、都内の保育園でアルバイトを始めました。
 その直後すぐに、神奈川県内の公立小学校での障がいをもったお子さんの指導の仕事が入り、がんばって勤めました。平日の日中は、小学校の指導員として働き、夕方から深夜までは、スーパーの品出しとレジのアルバイト、土曜日は都内の保育園の一日保育のアルバイト、日曜はまた、スーパーでアルバイトをして生計を立てていました。

 その頃から、体調に不調を感じ、近所の総合病院の精神科を受診したら、うつ状態ですねと医師の言葉がありました。その日から、何種類もの抗うつ薬、安定剤、睡眠薬を処方され、いわれるままに服用していましたが、何週間、何カ月たてども、症状が良くなりませんでした。
 母を亡くし、天涯孤独になったさびしさ、仕事の大変さ、唯一の親類であった叔父からの暴力と、私なりに大変きつい思いをしました。こんな人生だったら、いっそのこと生きるのをやめようと思い、何度も救急車で大学病院の救命救急センターに運ばれたことを覚えています。警察署に通報され、パトカーに乗せられて、神奈川県横浜市港南区にある県立精神医療センターに連れていかれ、医療保護入院(私の場合は横浜市長の同意のもと)も経験し、テレビも新聞も何もない部屋に鍵をかけられて入院しました。

 退院後、小学校の子どもたちの多くがかけよってきて、「死んじゃうんじゃないかと思った」と言いながら、涙目で近寄ってきてくれました。この頃から、いのちとは何か? 人生どのように生きるべきかを問うため、近所の教会に定期的に足を運びました。毎週ではなくても、ときどきは礼拝(プロテスタント教会なので)にも出ましたし、バザーなどではボランティアもしました。
 もっともっと神様に近づきたい、祈りを深いものとし、信仰を深めたいと思った私は牧師先生に受洗のお願いをしました。しかし、精神的な病をもっており、毎週の礼拝に出席が必ずしもできない私には、受洗の許可がおりませんでした。
 何年も何年も毎年のようにお願いしてきましたが、だめでした。そんな時、友人の神学生さんが多摩教会を紹介してくださり、今年、念願の受洗がかないました。晴佐久神父様をはじめ、受洗に導いてくださった多くの多摩教会の関係者の皆様に深く感謝いたします。今後ともひとつよろしくお願いいたします。