巻頭言:主任司祭 豊島 治「正しく学びます」

正しく学びます

主任司祭 豊島 治

 COVID-19、通称、新型コロナウイルスの影響が多く報道され、現在各地で感染者が報告されています。また、北米ではインフルエンザの猛威も報告されています。これらはまだ実態がつかめないところがありますが、教会としては1月31日に大司教が出された指針(※1)に対応してきました。
 指針により聖堂入り口の聖水器の聖水は抜いていますが、聖堂の出入り時は、自らの洗礼を受けたことを思い起こすために、十字をきって、聖堂に入りましょう。清めのしるしでもあるので、信者でなくても十字をきれます。
 同じく、人に移さないようにということで、手洗いの励行をお願いします。教会のお手洗いには、薬用石けんを新しくしていますし、司式司祭もミサ前と聖体拝領前に、流水手洗いをしています。皆さんも丁寧な手洗いをこまめにされることをお勧めします。
 カトリック新聞最新号の一面では、司祭がマスクをしながら、ミサ司式をしている写真が載っています(※2)。香港ではより細かく指示されており、マスクをつけての司式以外にも、不特定多数が触れる聖歌集の扱いを中止し、使い捨ての聖歌プリントをもって、毎回のミサに参加すべきという意見もあります。もし、多摩教会周辺で状況変化がありましたら、香港の指針も一部取り入れることになるでしょう。その際は説明をいたします。

 実は私は、このニューズ原稿を都内某大学病院の時間外診察待合室で作っています。私の肉親の一人が、心臓機能の減退の兆候がみられるというので、連れてきたのです。
 ひっきりなしに、救急隊が担架に人をのせて運び込みます。すべての受診希望者は、規定により最初の診察をうけます。トリアージといいます。症状を診て、どの患者に緊急性があるかという判断がされ、その順番で治療が始まります。幸い私たちは、軽症とみられたので、最後となりました。病院に着いたのが20時30分でしたが、治療が始まったのは、翌日午前3時30分からでした。処置はつづき、もう直ぐ5時になろうとしています。その間、トリアージ室からは呼び出されて、不安になっているご家族、ほっとした表情で部屋を後にする方、青ざめた表情になって、震えながら家族専用待合室に向かう人など、様々な往き来があるのです。共通している思いは、「好き好んで、病気を担ったのではない」ということ。

 診察室のそれぞれに、「中国渡航歴のある方」という案内があります。現場では必要な医療を受けることができないで、病状が悪化しているという話や、外出が禁じられているので、かえって事態が深刻になっているという叫びもあります。もし国外に移動できたとしても、いわれのない言葉を浴びせられていることが報告されています。
 聖書に登場する病人の苦しみは、病気自体による苦しみだけではなく、社会から排除され、隔離され、蔑視され、差別、偏見、嫌悪の的になっていました。それは、人間として耐えがたい惨めな体験を突きつけていると言えます。私たちの中で、得体の知れない者に対して恐怖感があるのは、致し方ないとしても、排除や隔離をしても、所詮ウイルスは、壁をもすり抜けることができるのです。

 病院の待合場で過ごしたおよそ9時間。頭に浮かんだ言葉は、2月11日の世界病者の日の教皇メッセージです(※3)。教皇フランシスコは、病者を眺める人ではなく、病者を見るという言い回しを丁寧にしています。善きサマリア人 (ルカ10:25-37) のように、心で人を見つけることができるように。愛の目線で、友愛の視点で、友と呼べるようになるまで、相手を観ることができるように、この緊張感あふれる時勢に、心のゆとりを神様に求めても、良いのではないかと思います。

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【 参 考 】
(※1)「1月31日に大司教が出された指針」
 カトリック東京大司教区の菊地功大司教は、2020年1月31日付で、「新型コロナウイルス感染症に伴う注意喚起」という文書を発表。教会関係者や信徒、教会においでになる方々に、諸々の注意を促した。
・「新型コロナウイルス感染症に伴う注意喚起 2020/1/31」(カトリック東京大司教区「菊地大司教メッセージ」、2020/1/31
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(※2)「カトリック新聞最新号の一面では、司祭がマスクをしながら、ミサ司式をしている写真が載っています」
(以下の「カトリック新聞」は短期間でリンクが切れますので、その後はCNSのほうをご覧ください)
・「バチカン、防護マスクを寄付、中国の新型肺炎感染拡大で【バチカン2月3日CNS】」(カトリック新聞「今週の記事」、2020/2/16
・「To prevent spread of COVID-19, Hong Kong Diocese cancels Masses」(Catholic News Service 、2020/2/13
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(※3)「2月11日の世界病者の日の教皇メッセージ」
 ・「2020年『第28回世界病者の日』教皇メッセージ(2020.2.11)」(カトリック中央協議会、2020/1/27
 ・「MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS FOR THE XXVIII WORLD DAY OF THE SICK 2020 (2020.2.11)」(THE HOLY SEE、2020/1/3
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連載コラム:「田村一男さん さよなら」

= 喜びは与えながら、悲しみは寄り添いながら。キリストのうちに。 =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第106回
田村一男さん さよなら

鶴牧地区 北村 司郎

 田村さんが去る2月10日亡くなられた。またひとり多摩教会創設に尽力した同志がいなくなった。寂しい限りである。1月の終わりころ突然電話をいただき、「私の葬儀の時、ミサの司会を頼む」というものだった。聞き取りにくくはあったが、声に力を感じたので、こんなに早く逝ってしまったことに驚いている。

 田村さんとの出会いは、多摩教会が東京教区から認められて間もないころだったように思う。当時はニュータウンといっても、諏訪・永山・愛宕しかなかった。私も田村さんと同じ諏訪に住んでおり、多摩教会のニューズの編集を私の家でやり、夜遅くなって、彼を家まで送っていったのを覚えている。その日、彼は私の家に来る途中、足をひねり、痛みをこらえての編集であった。そのため帰りは私が自転車の後ろに乗せ、彼の家まで送った。そのころ私は車を持っていなかったのである。
 こんな彼との関係だったので、彼を先生と呼んだことはなかったし、彼もそんな関係をよしとしていてくれたのだと思う。
 田村さんがエリオットの研究で、カトリック学術研究奨励賞を受賞したのは1979年のことである。一研究者としての彼の実力は、素晴らしいものだったようである。同じ出身大学の彼の後輩の言によれば、田村さんってすごいですよ。私なんか足元にも及ばない。しかしながら、教会の中では誰とでもあの人懐っこい笑顔で接してくれた。

 田村さんも私も、その後ニュータウンの拡大に伴い、鶴牧地区へ来たが、よく彼の家へお邪魔させてもらった。そんな折、「最近、授業中の学生の私語がうるさいんだよ。」 なんて言われたことを覚えている。彼が歳をとったせいで、今まで感じないものが感じられたのか、学生の質が落ちてきたのか、わからないが一教官として、小中高の教員と同じような悩みを持っておられたことに、何かホッとするものを感じたことを覚えている。
 2012年退官と伺ったが、長年の教官生活に生意気な言い方をさせていただくなら、やはり最も適したこところに彼はいたのだと思う。最も生き生き出来るところに彼自身がいたのだと思う。その意味からすれば幸せな人生なのだと思う。

 この何年かの年賀状は、ご自分の体調の悪さを書いてきて心配していたが、昨年からの年賀状に次のような歌が書かれていた。

 過ぎし日の その時どきの よき出会い 胸裏に収め 喜寿を 超えゆき (2019年)
 晩歳を 令和のみ代に 生かされて ひと日ひと日の 空を仰がむ (2020年)

 この歌を読ませて頂き、田村さんが生涯の終わりを感じながら、この静かな心境、いままでの人生をすべて肯定するような心境になれることを羨ましく思う。それも彼が自分の実績を誇るのではなく、「出会い」、「生かされている」自分に喜びを感じられていることである。

 田村さんさようなら。 私たちのために天国から祈ってください。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「来ます」

来ます

主任司祭 豊島 治

 1月も半分が過ぎ、時の流れの速さを感じている方もおられます。外気温も高めが続き、インフルエンザを含め風邪もはやっているようです。ご自愛ください。

 教会の組織は12月が年度末ですし、今年の多摩教会行事予定は、2月に総会を行うことになっていますので、今の時期、雰囲気的に、どうしても組織運営的なものに気持ちが流されてしまうのは、致し方ないのかもしれません。私の関わっている教区管轄の任務のうち3組織が、その年度末の作業に忙殺されてしまっているので、後ろ向きな気持ちに引っ張られます。
 教会のカレンダーはそんな気持ちとは離れて、1月はクリスマスの祝いの続きから始まっていました。1月5日の降誕節の終わりが来ると、12日、主の洗礼を祝い、私たちの立ち位置を確認しました。その後からは、キリストと我々の関係を探索する年間主日が挟まれます。

 年間期間中の2月11日、ルルドの記念日があります。全世界の教会はこの日を「世界病者の日」としています。ルルドのマリアについては、多くの著書やウェブページが存在していますので、語るまでもありません。病者の日の選定については、教皇ヨハネ・パウロ2世が、病気の苦しみに関する教書に当たるものを布告した上で、決まりました(※1)。ですので「病者の日」の第一義は、病気にある人の癒やしを求めます。ミサをはじめ、行きたいところに赴くことができないその人たちも、大勢います。
 そして、関係する医療・施設・家族などと共に、病者の十字架を共に担うことで、疲労している人々、癒やしを求める方々のために、願いを捧げます。私も近年、齢を重ねた母のキーパーソンとして、医療機関との折衝で困り、しんどさを感じることがあります。多くの方がそのさなかにいます。どうしても抱え込みがちな状況にある方々に、力を与えられる祈りがあるとするなら、特にこの日でしょう。
 また、身体的な外面でわかる困難を抱えている人と、内面に抱えている人もいることにも意識して祈りを捧げます。困難を抱えている人が集まるのが教会なのですから、互いに助け合いの意識を持つことになります。温かなものを体感したとき、心の頑なさが柔らかくなり、苦しんだ分、苦しむ人のために、何かできることはないかという気持ちに向かいたいものです。互いの困難さに思いやりの心を寄せ、その程度に応じながら、具体的に、支え合って生きていくことができるように、慈しみの主の導きを願いましょう。

 教皇フランシスコは、2020年の病者のミサのテーマとして、“Come to me, all you who labour and are burdened, and I will give you rest” (Mt 11:28) 、「疲れた者、重荷を負う者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」 を掲げられました。日本語訳は、まだ世に出ていませんが、なぜ、イエスはそのような言葉を発せられたのかの文章が続いているようです。バチカンのウェブサイトから各国語版がでています (※2)

 病気などで通常の社会活動ができず、歯がゆい気持ちになっておられる方も大勢います。教会みんなで、そのことを思うことは当然です。
 その上で教会のミサにおいて、私たちは招いてくださったイエス様の本意を探求しながら、典礼を過ごしていくという視点も、忘れないようにしましょう。ミサに居ることを漫然としているのではなくて、イエス様は私の一週間の生活内のどこをご覧になって “Come to me” と呼ばれているのか、そうすると自分がミサに来ている意味が深まると言えます。

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【 参 考 】
(※1)「病者の日の選定については、教皇ヨハネ・パウロ2世が、病気の苦しみに関する教書に当たるものを布告した上で、決まりました」
 教皇ヨハネ・パウロ2世は、1984年2月11日(ルルドの聖母の記念日)に、使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリス(苦しみのキリスト教的意味)』を発表し、翌年2月11 日、教皇庁医療使徒職評議会を開設。1993 年には、この日を「世界病者の日」と定め、以降、歴代教皇は、毎年メッセージを発表している。全教会では毎年この日に、病者と、かかわる人たちのために祈りが捧げられている。
 ・ 諸文書:「世界病者の日 教皇メッセージ」(カトリック中央協議会)
 ・ 使徒的書簡:内山恵介訳「サルヴィフィチ・ドローリス(苦しみのキリスト教的意味)」(出版社:サンパウロ、1988/3/1)(Amazonでは>こちら
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(※2)「バチカンのウエブサイトから各国語版がでています」
 ・ Messages World Day of the Sick:「MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS
FOR THE XXVIII WORLD DAY OF THE SICK 2020 2020/2/11
」(THE HOLY SEE)
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連載コラム:「ひとしずく」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第105回
ひとしずく

稲城・川崎地区 松澤 郁子

「Agnus dei」
Agnus dei, qui tollis peccata mundi
miserere nobis.
Agnus dei, qui tollis peccata mundi
dona nobis pacem.

 指揮者の棒がそっとおろされる。静かに静かに最後の音の余韻が消えてゆく。聖堂に広がる感謝と平和と安堵の中に、私たちは包み込まれた。

 多摩教会混声合唱団(ぶどうの実)では、毎年「祈りと聖劇の夕べ」で合唱を披露しているが、今年度は初めてラテン語のミサ曲に挑戦した。
 シューベルトの「ミサ曲第2番」。彼が18歳の時に作曲した美しいミサ曲である。(ちなみに、かの有名な歌曲「魔王」も同年に作曲されている。)
 複雑な和音やリズムはほとんどない。それだけに青空のような澄んだ響きが求められる。
 団員一同必死に練習した。が、数々の困難が待っていた。怪しい音程やハーモニー、口がまわらぬラテン語、おまけにインフルエンザ・・・。本番、大丈夫か!?
 そのうえ何とも恐ろしいことに、今年はソロもある。しかも数曲! あまり動じなさそうに見えるらしい私でも、やはり恐ろしいので、まじめに練習してみた。当日声が出なくなってしまったらと考えると、とてつもなく恐ろしいので、体調管理も万全にし、のどに良い蜂蜜のお世話にもなった。

 そして迎えた本番。大きなミスもなく、合唱もソロも心を一つに練習以上に歌い、「アニュス・デイ」を残すだけとなった。うん、なかなかいい調子、決して悪くない。しかし、自分としては、何か大事なものを置いてきたような気がしてならないのだ。
 あと1曲。一番難しいソロがある。伴奏が始まり前に出た時、ふっと忘れ物が降ってきた。
 「この曲をお捧げします。」

 小学生の頃に読んだ本で、今でも忘れられない話がある。アナトール・フランスの『聖母の軽業師』という短編である。確かこんな話だった。
 「純朴で敬虔な軽業師バルナベは、ふとしたことで修道士となる。修道院では、修道士たちがそれぞれの能力を発揮して聖母への信仰を表していた。本を書いたり、音楽を創ったり、絵画を描いたり、彫刻を彫ったり、詩を詠んだり。
 そんな中でバルナベは次第に嘆き悲しむようになる。自分には何もできない、と。
 しかし、やがてバルナベは一人聖堂にこもるようになり、表情も明るくなっていく。何をしているのか不思議に思った修道士たちが聖堂を覗いてみると、バルナベは彼ができる唯一のこと、曲芸を祭壇の前で一心不乱にやっていたのだった。
 驚き、やめさせようとする修道士たち。しかしその時、聖母が祭壇から降りてきて、衣の裾でバルナベの額の汗を優しくぬぐった。」
 この話を読んで、なぜだか涙がこぼれた。そして、子供心にも感じ取った。バルナべの汗のひとしずくは尊い。自分のできることを、ただひたむきにひたすらに捧げるその生き方は美しい、と。
 きっと私は“歌って”いた。うまく歌おうとしていた。もちろん人前で演奏する以上、技術を磨くことは必要だが、一番大切なことは、歌は祈りであること。

 きっと、音楽への感性は研ぎ澄ませるものだろう。でも、それだけではない。柔らかく満たされていく祈りでもある。それが、これからも教会で私たちが歌い続ける意味だと思う。
 バルナベのような生き方はできないかもしれない。でも、私は私の“ひとしずく”を捧げよう。大河のほんの一滴にすぎないけれど。それでも、いつかきっと大海に注ぎ、恵みあふれるその一滴になれる、そう信じて。

※ 最後になりましたが、「祈りと聖劇の夕べ」の出演者やスタッフの皆さん、会場にお越しいただいた皆さん、そして支えてくださったすべての皆さんに心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

1月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 1月3日が初金の日となりました。初金ミサは幼児洗礼式を含めた式次第で行われました。
 今年の初金家族の会は、従来の自由な対話に加え、「初金の福音を語る」との要素を入れてみたいと考えています。
 ルカによる福音書15章には三つの寓話があります。そのなかのコインの寓話は、一日の生活のための必要なコインを無くしたが、捜しだし、喜んだとの話ですが、最後の神の使いたちの間に喜びがあるとの所と繋がりが直接的なものでない感じです。しかし、ここでコインを、一日を生きる大切なもの、明日を生きる希望と捉えると、灯火は神様の光、福音と捉え、家中を掃く心を覆う思い込み、不安、欲望などを取り去り、赤子のような無垢の透明な心でもって、「捜す」は祈る、希望を捜し出すまで祈ると解釈します。すると、コインを捜し出すことは明日を生きる希望を見いだすことと解釈できて、罪を離れ、神の使いたちの喜びにも繋がります。ここで、希望を捜す神による光を明るいものとしなければ、捜し出すのは難しくなります。
 初金の福音、心に残る聖書の言葉、教皇、聖者、回勅、説教の言葉などを語り合い、分かち合い、心のなかの神の光を輝かせたいと思います。希望は信仰と言えるほど深い関わりがあります(教皇ベネディクト16世回勅「希望による救い」)。ヨハネによる福音書では、「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている(ヨハネ1.4-5)」と、神と命と光の関係を示しています。光の中に希望を見出したとき、その喜びを人々に話したくなるものと聖書は示しています。
 初金家族の会は初金ミサの後、10時ごろより信徒会館で予定しています。初金ミサに出席される方は初金家族です。心ある方の参加を期待します。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「救い主を意識したクリスマス」

救い主を意識したクリスマス

主任司祭 豊島 治


 教皇訪日という特別な出来事がありました。スケジュールや会場に対しての扱いなど意見がだされましたが、訪日後の日本の司教団声明では、「訪日の意義を省察し、各地で発せられた数々のことばを読み解いて、分かち合う」ことの勧めを発表しています(※)。私の声明は、元旦メッセージでお伝えすることにします。
 現在、多摩教会聖堂エントランスでは、写真や報道各紙の内容などを掲示した「訪日記念展」なるものを用意しましたので、お立ち寄りください。各会場で話された内容を独自にテープ起こししたハンドアウトも用意しています。1月5日(主の公現)あたりまで行っています。

 教皇さまの長崎ミサが、教会の暦の最後「王であるキリスト」であったので、ご降誕祭の準備があわただしくて、説明不十分になってしまいました。今年は教皇訪日記念展の場でもある聖堂エントランスに、待降節のためのプレゼピオ(ご像)を用意し、25日を迎える一助とし、通常のご像は降誕祭当日になります。どのようになるかは演出の都合上、これ以上語ってはいけないとのことです。

 今年の待降節に設定された促しは、「飼い葉桶に寝かされたキリスト」を直視した上の「居心地の悪さから救いを仰ぐ」でした。
 飼い葉桶のイエス像は、藁が敷き詰められたところに白い布が置かれ、そこに幼子イエスが託されています。幼子の笑顔によって、私たちはふと肩の力が抜け、本来の喜びの感覚を取り戻すことができますが、イエスさまの飼い葉桶の寝心地はどうだったのでしょうか。
 私は神学生時代1年間、乳牛の世話の係をしていました。牛小屋での作業中、ちょっと真似をして藁の上に寝てみたことがありますが、とてもベッドや布団のような感覚にはなれませんでした。ご降誕当時の状況としては最善であったし、父母の最大限の配慮もあったのはわかります。でも「痛い」のです。痛いというのは不快の一つであり、それは「居心地の悪さ」を意味します。居心地の悪さは、私たちを不安に落とします。また、ときには怒りもこみ上げます。
 でも、救い主イエスさまは「寝ていた」と記されています。苦しくもなく、怒り顔でもなく、健やかな姿です。その健やかな笑顔の表情の原点はどこなのか、もしかしたら、私たちは生きてきた過去のつらさに支配されることが多すぎて、疲れてしまっているのではないでしょうか。
 「(多くの人が、人と上手に関わることができずに)ゾンビ化している」
 教皇さまが訪日で残された言葉のうちの一つですが、不安な時代を生きる私たちが笑顔で語り合えるように、主の降誕(クリスマス)を迎え、その喜びを降誕節の間に深め合おうと思います。

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( ※ )参 考:
 日本カトリック司教協議会 会長 ・ カトリック長崎大司教 ヨセフ髙見三明 「教皇フランシスコの訪日を終えて 司教協議会会長談話」 (カトリック中央協議会、2019年12月3日)
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連載コラム:「訪日教皇ミサ -in- 長崎」に参加して

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第104回
「訪日教皇ミサ -in- 長崎」に参加して

諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区 金澤 真実

 この度、長崎でフランシスコ教皇様が捧げられたミサに参加するお恵みをいただきました。東京のミサへの参加は抽選で、長崎のミサへの参加は申込み先着順と知り、すぐに申込みました。この長崎への旅は、ミサへの参加に加えて、私たち夫婦にとって新婚旅行で訪れて以来、またカトリックへ転会後、初めての訪問だったので、一生の記念に残る巡礼の旅になりました。

 長崎市内では、幹線道路の電光掲示版に、「11月24日ローマ法王来県! 渋滞緩和マイカー自粛をお願いします」と繰返し掲示され、路面電車の車内放送では、市内にある純心女子高校放送部による教皇様の長崎訪問時のマイカー自粛が呼びかけられており、教皇様来日(来県)への期待が高まりました。
 当日の天気予報は雨。東京から持参した雨具に加えて、前日までにビニール製の合羽やズボン、使い捨てカイロなどを買い込み、宿から会場までと会場入口付近の様子を下見して、万全の備え? で当日を迎えました。ミサは、座席ブロックの指定のみだったので、なるべく早く行こうと、入場開始時間の9時すぎに最寄り駅に着きましたが、そこには既に長い行列がありました。
 雨がだんだん激しくなる中、私たちも早速この列に加わり、割りあてられたブロックの一番前の席に座った時にはホッとしました。その後、雨はますます激しくなり、雷まで鳴り始めました。会場の長崎県営野球場には屋根がなく、傘の使用は禁止のため、レインコートの隙間から入り込んでくる雨に濡れながら、座席に座って待ち続けました。けれどもこの時間は、私たちも、お隣の和歌山からのご夫妻も、後ろのスペイン語の方々も、その時会場にいた誰もが、教皇様に会えるという期待と喜びを共有していた時間でした。
 ミサ開始の時間が近づくにつれて、激しい雨が小雨となり、ついに雲一つない青空と眩しい日差しが現れた時には、教皇様のご体調を気遣う私たち一同の祈りを神様が聞いてくださったのだと思いました。
 1時30分、ついに待ちに待った教皇様がパパモービルに乗って会場に入って来られ、人々を祝福される優しい笑顔が遠くに見えました。その瞬間、教皇様の「あなた方のことが大好き」という思いが伝わってきました。どんなに多くの人がいても一人一人に目を留められる教皇様を近くに感じることができたことは、大きな喜びでした。

 今回、鶴巻神父様のご紹介で、市内の巡礼地を案内してくださったある信者さんは、ご訪問準備のお手伝いを毎日しているとのことでした。そしてこの日は、巡礼団の大型バス誘導のため、ミサには参加できないと伺いました。長崎の信者さんなら、何を置いても参加したかったに違いないこのミサに、このような形で犠牲をささげられた方々がいらっしゃいました。フランシスコ教皇様は、裏方に徹しミサに参加できなかったこのような方々のことをお心に留めておられたに違いないと思います。
 最後に、今回のミサ参加には、喜びのおまけがありました。それは、以前勤務していたキリスト教団体で同期入社の友人が、私の斜め前に座っていたことです。お互い東京に住んでいるのに会う機会がなかったのですが、3万人が参加したこのミサで、数十年ぶりに再会した不思議な恵みに感謝しました。

12月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 10月4日の初金ミサ、この日の聖人はアシジの聖フランシスコでした。説教の中で豊島神父様は、まず、10月がロザリオの月であるので、忙しい生活のなかで自分を見失っている人々に、祈ることにより、聖母のとりつぎを願い、ロザリオの神秘に与る機会を持ってほしいと勧められました。そして、聖フランシスコが生涯をかけて求めたものについて語られました。富豪の家に生まれ、名誉を求め、十字軍に参戦したが、病にかかり、脱落して帰国。だが、心はむなしく、自分の居場所を求めて、修道生活に入ったこと。ひたすら清貧を求め、何も持たず、裸のままでいられることを有り難く思う境地を求めたこと。
 この聖人と同じ名前の教皇フランシスコは、我々が住むことを運命づけられている地球を傷つけ続けていることに警告を発しておられます。人間はどんなに追い込まれても、祈ることができます。その祈りにより、複雑な生活のなかでのシンプルさを求めることができます。「すべてのいのちを守るため」というテーマを持って来日される教皇のことを頭に入れて、前に進んでいきましょう。
 ミサ後、信徒館で今後話し合うテーマについて率直な意見の交換を行いました。今後ともより多くの方々の参加をお待ちしております。