(この原稿は入稿締め切り1時間前の6月27午前7時32分に書いています。掲載されている情報はその時点でのものです)
四旬節から復活節に至る長い自粛期間を経て、制限をもってミサを一部公開で行うことの通達がでました。ただ、感染には波があるとも指摘され、完全に終息したわけではありませんから、未だ安全宣言が出ていないしばらくの間、ミサを捧げることの制約を守るための犠牲は継続しています。
いのちを守るためとはいえ、普段の活動が制限され、自粛ばかりを求められていると、どうしても思考が内向きになってしまいます。内向きになった思いは、自分の心の世界を中心に展開しますから、ともすればとても利己的になり、さらには、普段であれば心の奥底に秘めているような思いや、常識が盾となって表に出さない感情までもあらわにしてしまうということは、大司教様もおっしゃっています。このストレスのはけ口を、大変な立場にいる人に向けてはいけません。じっくり神さまの計らいはどのような形を私に示して下さるのか、神さまの時間の使い方に思いを合わせていきたいと思います。
他の小教区の情報を見てみますと、ある教会では、6月21日のミサは〇〇地区の人、29日は〇〇地区の人と地区ごとにして、ミサにあずかれるのは月に1、2回としています。奉仕者の手配もあるので各々小教区教会の状況はあるでしょう。
でも私は、来られる人は毎週ミサをモットーに、委員の方に今回設定をお願いました。ミサに参加できる人は、ミサに赴けない人の思いも背負いながら、ミサの祈りをせねばなりません。郵送されているミサ案内を参照下さい。
通達に、ミサに来ることのできる年齢制限がありますが、これは「いのちをまもる」、つまり「ミサに行きたい」という衝動を祈りにかえて、「私のいのち、神さまが与えてくれた私のいのち、神さまは私に、今どのような期待をなさっているのか、何ができるのか」について黙想することができるチャンスと考えて過ごしていただければと思います。(注:実際、およそ90歳の母にもそう言いました→怪訝な顔をされました→親子の間での福音宣教は難しいと感じることがあります。でもせねば。)
コロナ感染症対策で脚光を浴びたのが、インターネットを使った対応です。日曜10時の大司教司式ミサ、14時頃の教皇ミサ、他の教区、教会でも実施され、居ながら多様なミサをそれで「閲覧」できる状態となりました。でもちょっと疲れたという声も聞こえてきます。「つまらない」という感情は、人との心の距離感から発せられるものですから、実況中継では補えません。
Zoomやスカイプというインターネットから出る機能を使って会議を実施することが多くなりました。教会でも委員会や飲み会など、そうやって代わりに行うことも考えられたでしょう。でも「雑音」も大切です。インターネットを使った交流方法については、従来の会議室でのやり方と気持ちを切り替えなければなりません。機械を使った方法は、物理的距離を乗り越えて聞くには便利ですが、マイクの使い方にたけている人、声が大きい人、意志をもって発言したい人に、その場の流れが持っていかれることがあります。会議で起こる「雑音」「ひそひそ話」も実は重要で、思いもかけない呟きが、場を良い方向に持っていくことがよくあるからです。司会をする人のオンライン用トレーニングも必要です。私はしばらくそれらのツールは公的には使用せず、オンラインのミーティングのよい在り方を考えたいと思っています。
多摩教会の組織運営は、数年前改訂された規約によって運営されていました。その規約の定着完了前に、この感染症がはやりました。この規約には、「ミサ公開中止」「会合の時間制限、年齢制限」の場合の対応案件は入っていません。基となる教会法典も、ほぼ記載がないのです。また、教区からくる通達もおよそ1週間単位で、月1回の司牧評議会スケジュールでは対応できなくなっています。そして、参加者の年齢制限、集会ごとに名簿を作って対応する作業や保管、会場の換気も限界があります。
そこで、司牧評議会にあたる機能は、しばらく司牧評議会委員長による任命者での構成で行います。活動については、運営にあたる典礼、会計(集計は休み)、総務、営繕、受付、掃除のみです。さらに、今後の感染症による特別対応のため、教会家族委員会も機能し始める予定です(詳しくは後日)。
司祭修道者が神の御許に召されました。ニコラス神父様は福音宣教推進の中心でした。ネメシェギ神父様は多くの教えの著書を与え、シスター石川和子は聖歌の作曲で貢献されました。カルペンティール神父さまもそうです。病者のためにも祈っています。
日々の事柄を祈りで受け止め、バランスをとって心を健全に保って過ごしましょう。


寄稿:カルペンティール神父様への感謝
カルペンティール神父様への感謝
5月17日付けのカトリック新聞で、カルペンティール神父様が3月20日に帰天されたことを知りました。この記事が目に入った瞬間、ついに亡くなられかという悲しみと共に、101歳までよく頑張られたという感嘆の気持ちがこみ上げました。カルペンティール神父様は、当教会聖堂の窓を飾るステンドグラスを作製して頂いた方です。
献堂前年の1999年、当時の主任司祭 宮下神父様の要請を受けて、カルペンティール神父様はこのステンドグラスの作製に取り組まれましたが、神父様は新宿区百人町にあるドミニコ修道会の「学生の家」を本拠とされていました。製作状況を見たいと思い、工房を訪ねましたが、工房と言っても、物置小屋のような雰囲気の雑然とした作業場でした。一瞬、こんなところでステンドグラスが作れるのかと不思議に思ったほどでした。しかし、制作中の神父様を見ていると、その真剣な眼差し、素早い手作業で見事に色付けされたガラスが鉛の紐で、一つの絵にまとめられて行かれるので、ステンドグラスの誕生を僅かながら、垣間見た思いがしました。
神父様の学歴や美術家としての業績、そして多摩教会のステンドグラスについては、教会ホームページの「教会案内」に詳しく書いてありますので、ご参照下さい。特記すべきことは、若い時から美術を学ぶと共に、19歳で聖ドミニコ修道会に入会し、ベルギーの最高学府であるルーヴァン大学で学ばれ、1944年に司祭に叙階されたことです。
宣教師として1949年に来日され、その翌年には東京芸術大学に入られ、日本画を学ばれました。その精力的な学習と芸術活動の広さと深さには、驚かされます。それは、作品の様式が多彩なこと、その数量が半端でないこと、活動の範囲が世界的であること、などなどです。
2010年5月の献堂10周年には、記念ミサを歴代の主任司祭と共に、共同司式され、その後、ステンドグラスについて講話をして頂きました。小生が最後にお会いしたのは、2014年の秋で、引退の可能性について話され、故郷のアントワープに帰るか、四国にある養老施設に入るか、迷っているような話をされました。その後、送って下さったクリスマスカードの住所がアントワープであることから、やはり故郷を選ばれたことが分かりました。昨年末のカードが最後のものになりました。
人柄は物静かで、優しい方で、それは作品の中の人物の眼差しにもはっきりと表れています。こちらの無理なお願いでも、断られたことは一度もありませんでした。ただ、絵の勉強を教わった方々には、あるいは厳しかったのかも知れませんが。
2018年9月の100歳のお誕生日には、ベルギーのフィリップ国王からお菓子と記念品、アントワープ市長から花束が贈られ、沢山の人々が集まり、誕生日を祝われたとのことです。
因みに、カルペンティールというお名前はフラマン語の発音で、仏語ではシャルパンティエ、大工さんという意味です。二つともベルギーの公用語です。
カルペンティール神父様は今、主のみもとでも、相変わらず沢山の絵を描いておられるのでは? どうか安らかに憩われますように! 感謝の気持ちを込めて、お祈りいたします。
教会は機能しています
(この原稿は編集の方が指定した締め切りの1時間前、4月29日午前8時21分に記しています。情報はこの時点での内容です)
前回の多摩カトリックニュースは3月21日発行なので一カ月も間が空きました。教区の指針が頻繁に出される中で、どの時点で発行するのがニュースとしてふさわしいかという問いかけの中で、4月末が適当と判断し、4月18日発行を延期したのです。
前号で巻頭言の結びは以下の内容でした。
● 一人で祈っているとしても、祈りは一人ではない、万軍の天使が共に賛美をしている。
● マイナス気分になりそうなときは、せめて「0(ゼロ)」状態にもっていきましょう。それより無理に高くせず、低くなりそうなときは復活を通した主の力を求めましょう。
しかし、自粛が3週間も続くと別の感情と考えが出てきてしまうものです。「話したい」「楽しみたい」「別のことをしたい」「逃げたい」という気分の転換です。ゼロにするのは難しくなっています。そんなとき、どうしていますか?
青年時代、祈りを教えてもらった時、「1日15分祈るといいよ」と言われました。1日は1440分。1日のおよそ100分の1を神様との時間を持つというのです。はじめは集中できなくて苦痛でしたが、今は、インターネットやテレビの情報で気持ちが振り回されることの抑止になっていると、愛されているという原点に戻れていると、教わった仲間と分かち合っています。
私は「ミサに出席できない間のすごし」を全信徒に発行していますが、時間的配分に活用できる構成となっています。15分の祈りの流れを習慣づけるためにお使いください。
公開中止となっても、ミサがいつも通り多摩教会聖堂で行われています。ただ信徒が参加できないだけです。教会法で聖櫃がある聖堂では、月二回ミサが行われなければなりません。祭壇も主日には飾られているし、総務・会計などの運営機能はいつも通りです。東京の教会の情報が来ましたら、ブログに載せるよう心がけています。「今」を知るツールです。毎日の祈りの前後にお使いください。(多摩教会入門係ブログのサイトを一時お借りしてUPしています)
インターネット配信のミサが行われていますが、そのミサ説教の中でこのような言葉がありました。
「インターネットでミサを配信することで、即座にもう教会の建物はいらない、教会はバーチャルで充分だと結論づける誘惑もありますが、わたしは、教会共同体の意味を、あらためて落ち着いて見つめ直す機会が与えられていると思っています。ただ単に、日曜日にミサに出ればそれで終わりの教会ではなくて、日常生活の直中で、人間のいのちの営みに直接関わる教会のあり方を、あらためて模索する機会を与えられていると思います。信仰は生きています。」(4月26日、菊地東京大司教ミサ説教)
神の臨在を感じるための、受け身でない行動も期待されています。行動する時期は今かもしれないし、安全になってからかもしれません。それぞれの立場でしょう。
東京大司教は私にこんな内容を伝えてきました。
「東京教区としても今回は大災害のようなものですから、いのちを守るために何ができるか、具体的な検討をしていったらよいと思います。(中略)この時期を利用してアイディアを出した方がよいと思います。それは心に留めてください。」
現段階での情報をお伝えします。
5-1 カリタスジャパンは募金を開始しました。
スピードあるケアが必要な現在、以下の内容の支援のための募金を開始しました。今回は具体的に支援先が決まって募金という流れではなく、それぞれのカリタスジャパン教区担当がその現場の必要に応じて、つなぐ方式としています。それはタイムリーな支援の形であると思います。募金方法はカリタスジャパンのHP(こちら)で確認ください。
● 住まいや食糧、衣料や居場所の確保、滞日外国人のケア
● 優先される方々へのサポート、情報の保証、医療などを重点対象として支援
5-2 東京教区福祉委員会がマスク&ポンチョを集めています。
感染の危険を顧みず、医療や福祉に従事されている方々の現場では、身を守るためのマスクやポンチョの不足が深刻化しており、東京教区福祉委員会で集めています。もちろん自身と周りのためにマスクが必要です。余裕がありましたら検討ください。送料は自己負担でお願いします。東京教区HPに掲載されると思いますが、多摩教会マスク係まで送りください。
ということで、豊島神父のためにお祈りください。頑張っています。
今まさに、必死になってウイルス感染の危機と向き合っている人がいます。
自身の感染の危機を顧みず命をつなぐケアをしている人がいます。
一人でなく私たちがつながって乗り越えることができた。
その事実を証しするため、その歴史を刻んでいくために、ご協力お願いします。
「0(ゼロ)」でいます
(この原稿は編集の方が指定した締め切りの2分前、3月21日午前7時58分に記しています。情報はこの時点での内容です。)
多摩教会横の桜も開花し、復活祭の光景は揃っています。寒暖差はあるものの暖かさは極端で同時に蚊も元気に活動しています。春と夏の象徴が重なっているという不思議な状況です。
不思議な状況というより異常な時間が長く続いています。近辺では2月14日に都内タクシーの乗務員が「新型コロナウイルス感染症」(COVID-19)という報道があってから、見えない恐怖の中に過ごす意識となっています。
多摩教会は前号の多摩カトリックニューズに記載したとおり(※1)、大司教の示した指針をもって対応しています。しかし、アルコール消毒液の設置に関しては、世間と同じように品薄で溶液が不足しています。薬用石けんは教会内の水場すべてに設置しましたので、こまめな手洗いで対応してください。いわゆるペーパータオルは指針に従い撤去しました。ご自身でお持ちください。
2週間のミサ公開中止という、私にとっては初めての通達を受けとり、そこからまた延長されています。ミサのために教会に赴くことが叶わないのですから、今までの「通常」を維持していくということが、いかに大きなことか考えさせられます。
中止期間一カ月を迎えようとする今、忍耐の限界になったという手紙が届くようになりました。ミサを再開してほしいというものです。世間のイライラ度が高まっているようですから、気持ちはよくわかります。しかし、公式の通達をもって対応しているので、ご理解いただきたいと思います。
見えない恐怖という言葉を思うとき、ふと2011年の福島原発の影響による恐怖を思い起こします。地震のあとの恐怖から自分自身を持ち直すため、3月11日の教会で行われていた(当時私は秋津教会にいましたが)十字架の道行には大勢の人が来られ、地震速報のアラームが時々鳴る中、そして揺れもありながら、道行の「留(りゅう)」を回ったのです。しかし、今回は集まるということができません。クラスターを危惧しているからです。自分自身で信仰をもって毅然と過ごすという課題がでました。時期的に偶然ですが、これが私たちの四旬節におけるタスクでしょう。
インターネットで対応できることは実行するという試みも始まりました。教皇ミサも時間差はありますが閲覧できます(※2)。東京大司教のミサもできます(※3)。しかし、これだけでは足りません。あくまでも緊急処置です。そこで、主日の聖書箇所を味わうために、あえて文字にした手引きの冊子を多摩教会信徒の皆さんに送付しています。主日である日曜日に、落ち着いた時間を持って聖書と霊的聖体拝領を味わってください。ふだん聞き流してしまう聖書の一言一句も、説教や祈りも、文字と自分の気持ちをあわせると、それはご聖体の存在に対する意識に加わるものがあります。黙想に近いことができるチャンスをもって、またお互いお会いしましょう。
よく、「神父さま、お休みができていいですね」と言われますが、ミサの公開中止というのはお休みではありません。私にとっては、ミーティングがない分、狭い範囲で対応せねばならないし、司祭はミサを休むということではありませんので、務めは行っています。光景は、むしろ一人で朗読し、誰とも言葉を交わすことなくミサが行われるということになります。
昔の先輩神父さまは、神学生の私を指導する中でこうおっしゃいました。「一人で祈っていたとしても、祈りは一人ではない。そこには天使がいる。万軍の天使が共に賛美をしている。だから意識していなさい」と。今こそ、私たちの神に向かう祈りは共同の祈りとつながるのでしょう。
23日には新たな指針がでるということですから、復活祭がどのような処遇となるかわかりません。通達次第では、その後も気持ちにチャレンジ精神を必要とするでしょう。
マイナス気分になりそうなときは、せめて「0(ゼロ)」状態にもっていきましょう。それより高くする必要はありません。「0(ゼロ)」になったとき、自分が見えます。そして十字架を通した復活の力強さを得ることになると考えましょう。
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【 参 考 】
(※1)「多摩教会は前号の多摩カトリックニューズに記載したとおり」
「多摩カトリックニューズ2月号」の主任司祭巻頭言をご参照ください。
> 主任司祭 豊島 治 「正しく学びます」(『多摩カトリックニューズ』2020年2月号 巻頭言)
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(※2)「教皇ミサも時間差はありますが閲覧できます」
「The Holy See」などをご参照ください。
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(※3)「東京大司教のミサもできます」
「四旬節第三主日以降のミサ動画配信(2020.3.12)」(カトリック東京大司教区「東京教区からのお知らせ」)をご参照ください。
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巻頭言:主任司祭 豊島 治「正しく学びます」
COVID-19、通称、新型コロナウイルスの影響が多く報道され、現在各地で感染者が報告されています。また、北米ではインフルエンザの猛威も報告されています。これらはまだ実態がつかめないところがありますが、教会としては1月31日に大司教が出された指針(※1)に対応してきました。
指針により聖堂入り口の聖水器の聖水は抜いていますが、聖堂の出入り時は、自らの洗礼を受けたことを思い起こすために、十字をきって、聖堂に入りましょう。清めのしるしでもあるので、信者でなくても十字をきれます。
同じく、人に移さないようにということで、手洗いの励行をお願いします。教会のお手洗いには、薬用石けんを新しくしていますし、司式司祭もミサ前と聖体拝領前に、流水手洗いをしています。皆さんも丁寧な手洗いをこまめにされることをお勧めします。
カトリック新聞最新号の一面では、司祭がマスクをしながら、ミサ司式をしている写真が載っています(※2)。香港ではより細かく指示されており、マスクをつけての司式以外にも、不特定多数が触れる聖歌集の扱いを中止し、使い捨ての聖歌プリントをもって、毎回のミサに参加すべきという意見もあります。もし、多摩教会周辺で状況変化がありましたら、香港の指針も一部取り入れることになるでしょう。その際は説明をいたします。
実は私は、このニューズ原稿を都内某大学病院の時間外診察待合室で作っています。私の肉親の一人が、心臓機能の減退の兆候がみられるというので、連れてきたのです。
ひっきりなしに、救急隊が担架に人をのせて運び込みます。すべての受診希望者は、規定により最初の診察をうけます。トリアージといいます。症状を診て、どの患者に緊急性があるかという判断がされ、その順番で治療が始まります。幸い私たちは、軽症とみられたので、最後となりました。病院に着いたのが20時30分でしたが、治療が始まったのは、翌日午前3時30分からでした。処置はつづき、もう直ぐ5時になろうとしています。その間、トリアージ室からは呼び出されて、不安になっているご家族、ほっとした表情で部屋を後にする方、青ざめた表情になって、震えながら家族専用待合室に向かう人など、様々な往き来があるのです。共通している思いは、「好き好んで、病気を担ったのではない」ということ。
診察室のそれぞれに、「中国渡航歴のある方」という案内があります。現場では必要な医療を受けることができないで、病状が悪化しているという話や、外出が禁じられているので、かえって事態が深刻になっているという叫びもあります。もし国外に移動できたとしても、いわれのない言葉を浴びせられていることが報告されています。
聖書に登場する病人の苦しみは、病気自体による苦しみだけではなく、社会から排除され、隔離され、蔑視され、差別、偏見、嫌悪の的になっていました。それは、人間として耐えがたい惨めな体験を突きつけていると言えます。私たちの中で、得体の知れない者に対して恐怖感があるのは、致し方ないとしても、排除や隔離をしても、所詮ウイルスは、壁をもすり抜けることができるのです。
病院の待合場で過ごしたおよそ9時間。頭に浮かんだ言葉は、2月11日の世界病者の日の教皇メッセージです(※3)。教皇フランシスコは、病者を眺める人ではなく、病者を見るという言い回しを丁寧にしています。善きサマリア人 (ルカ10:25-37) のように、心で人を見つけることができるように。愛の目線で、友愛の視点で、友と呼べるようになるまで、相手を観ることができるように、この緊張感あふれる時勢に、心のゆとりを神様に求めても、良いのではないかと思います。
*******
【 参 考 】
(※1)「1月31日に大司教が出された指針」
カトリック東京大司教区の菊地功大司教は、2020年1月31日付で、「新型コロナウイルス感染症に伴う注意喚起」という文書を発表。教会関係者や信徒、教会においでになる方々に、諸々の注意を促した。
・「新型コロナウイルス感染症に伴う注意喚起 2020/1/31」(カトリック東京大司教区「菊地大司教メッセージ」、2020/1/31)
・・・・ < 文中へ戻る >
(※2)「カトリック新聞最新号の一面では、司祭がマスクをしながら、ミサ司式をしている写真が載っています」
(以下の「カトリック新聞」は短期間でリンクが切れますので、その後はCNSのほうをご覧ください)
・「バチカン、防護マスクを寄付、中国の新型肺炎感染拡大で【バチカン2月3日CNS】」(カトリック新聞「今週の記事」、2020/2/16)
・「To prevent spread of COVID-19, Hong Kong Diocese cancels Masses」(Catholic News Service 、2020/2/13)
・・・・ < 文中へ戻る >
(※3)「2月11日の世界病者の日の教皇メッセージ」
・「2020年『第28回世界病者の日』教皇メッセージ(2020.2.11)」(カトリック中央協議会、2020/1/27)
・「MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS FOR THE XXVIII WORLD DAY OF THE SICK 2020 (2020.2.11)」(THE HOLY SEE、2020/1/3)
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連載コラム:「田村一男さん さよなら」
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第106回
田村一男さん さよなら
田村さんが去る2月10日亡くなられた。またひとり多摩教会創設に尽力した同志がいなくなった。寂しい限りである。1月の終わりころ突然電話をいただき、「私の葬儀の時、ミサの司会を頼む」というものだった。聞き取りにくくはあったが、声に力を感じたので、こんなに早く逝ってしまったことに驚いている。
田村さんとの出会いは、多摩教会が東京教区から認められて間もないころだったように思う。当時はニュータウンといっても、諏訪・永山・愛宕しかなかった。私も田村さんと同じ諏訪に住んでおり、多摩教会のニューズの編集を私の家でやり、夜遅くなって、彼を家まで送っていったのを覚えている。その日、彼は私の家に来る途中、足をひねり、痛みをこらえての編集であった。そのため帰りは私が自転車の後ろに乗せ、彼の家まで送った。そのころ私は車を持っていなかったのである。
こんな彼との関係だったので、彼を先生と呼んだことはなかったし、彼もそんな関係をよしとしていてくれたのだと思う。
田村さんがエリオットの研究で、カトリック学術研究奨励賞を受賞したのは1979年のことである。一研究者としての彼の実力は、素晴らしいものだったようである。同じ出身大学の彼の後輩の言によれば、田村さんってすごいですよ。私なんか足元にも及ばない。しかしながら、教会の中では誰とでもあの人懐っこい笑顔で接してくれた。
田村さんも私も、その後ニュータウンの拡大に伴い、鶴牧地区へ来たが、よく彼の家へお邪魔させてもらった。そんな折、「最近、授業中の学生の私語がうるさいんだよ。」 なんて言われたことを覚えている。彼が歳をとったせいで、今まで感じないものが感じられたのか、学生の質が落ちてきたのか、わからないが一教官として、小中高の教員と同じような悩みを持っておられたことに、何かホッとするものを感じたことを覚えている。
2012年退官と伺ったが、長年の教官生活に生意気な言い方をさせていただくなら、やはり最も適したこところに彼はいたのだと思う。最も生き生き出来るところに彼自身がいたのだと思う。その意味からすれば幸せな人生なのだと思う。
この何年かの年賀状は、ご自分の体調の悪さを書いてきて心配していたが、昨年からの年賀状に次のような歌が書かれていた。
過ぎし日の その時どきの よき出会い 胸裏に収め 喜寿を 超えゆき (2019年)
晩歳を 令和のみ代に 生かされて ひと日ひと日の 空を仰がむ (2020年)
この歌を読ませて頂き、田村さんが生涯の終わりを感じながら、この静かな心境、いままでの人生をすべて肯定するような心境になれることを羨ましく思う。それも彼が自分の実績を誇るのではなく、「出会い」、「生かされている」自分に喜びを感じられていることである。
田村さんさようなら。 私たちのために天国から祈ってください。
巻頭言:主任司祭 豊島 治「来ます」
1月も半分が過ぎ、時の流れの速さを感じている方もおられます。外気温も高めが続き、インフルエンザを含め風邪もはやっているようです。ご自愛ください。
教会の組織は12月が年度末ですし、今年の多摩教会行事予定は、2月に総会を行うことになっていますので、今の時期、雰囲気的に、どうしても組織運営的なものに気持ちが流されてしまうのは、致し方ないのかもしれません。私の関わっている教区管轄の任務のうち3組織が、その年度末の作業に忙殺されてしまっているので、後ろ向きな気持ちに引っ張られます。
教会のカレンダーはそんな気持ちとは離れて、1月はクリスマスの祝いの続きから始まっていました。1月5日の降誕節の終わりが来ると、12日、主の洗礼を祝い、私たちの立ち位置を確認しました。その後からは、キリストと我々の関係を探索する年間主日が挟まれます。
年間期間中の2月11日、ルルドの記念日があります。全世界の教会はこの日を「世界病者の日」としています。ルルドのマリアについては、多くの著書やウェブページが存在していますので、語るまでもありません。病者の日の選定については、教皇ヨハネ・パウロ2世が、病気の苦しみに関する教書に当たるものを布告した上で、決まりました(※1)。ですので「病者の日」の第一義は、病気にある人の癒やしを求めます。ミサをはじめ、行きたいところに赴くことができないその人たちも、大勢います。
そして、関係する医療・施設・家族などと共に、病者の十字架を共に担うことで、疲労している人々、癒やしを求める方々のために、願いを捧げます。私も近年、齢を重ねた母のキーパーソンとして、医療機関との折衝で困り、しんどさを感じることがあります。多くの方がそのさなかにいます。どうしても抱え込みがちな状況にある方々に、力を与えられる祈りがあるとするなら、特にこの日でしょう。
また、身体的な外面でわかる困難を抱えている人と、内面に抱えている人もいることにも意識して祈りを捧げます。困難を抱えている人が集まるのが教会なのですから、互いに助け合いの意識を持つことになります。温かなものを体感したとき、心の頑なさが柔らかくなり、苦しんだ分、苦しむ人のために、何かできることはないかという気持ちに向かいたいものです。互いの困難さに思いやりの心を寄せ、その程度に応じながら、具体的に、支え合って生きていくことができるように、慈しみの主の導きを願いましょう。
教皇フランシスコは、2020年の病者のミサのテーマとして、“Come to me, all you who labour and are burdened, and I will give you rest” (Mt 11:28) 、「疲れた者、重荷を負う者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」 を掲げられました。日本語訳は、まだ世に出ていませんが、なぜ、イエスはそのような言葉を発せられたのかの文章が続いているようです。バチカンのウェブサイトから各国語版がでています (※2)。
病気などで通常の社会活動ができず、歯がゆい気持ちになっておられる方も大勢います。教会みんなで、そのことを思うことは当然です。
その上で教会のミサにおいて、私たちは招いてくださったイエス様の本意を探求しながら、典礼を過ごしていくという視点も、忘れないようにしましょう。ミサに居ることを漫然としているのではなくて、イエス様は私の一週間の生活内のどこをご覧になって “Come to me” と呼ばれているのか、そうすると自分がミサに来ている意味が深まると言えます。
*******
【 参 考 】
(※1)「病者の日の選定については、教皇ヨハネ・パウロ2世が、病気の苦しみに関する教書に当たるものを布告した上で、決まりました」
教皇ヨハネ・パウロ2世は、1984年2月11日(ルルドの聖母の記念日)に、使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリス(苦しみのキリスト教的意味)』を発表し、翌年2月11 日、教皇庁医療使徒職評議会を開設。1993 年には、この日を「世界病者の日」と定め、以降、歴代教皇は、毎年メッセージを発表している。全教会では毎年この日に、病者と、かかわる人たちのために祈りが捧げられている。
・ 諸文書:「世界病者の日 教皇メッセージ」(カトリック中央協議会)
・ 使徒的書簡:内山恵介訳「サルヴィフィチ・ドローリス(苦しみのキリスト教的意味)」(出版社:サンパウロ、1988/3/1)(Amazonでは>こちら)
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(※2)「バチカンのウエブサイトから各国語版がでています」
・ Messages World Day of the Sick:「MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS
FOR THE XXVIII WORLD DAY OF THE SICK 2020 2020/2/11」(THE HOLY SEE)
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連載コラム:「ひとしずく」
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第105回
ひとしずく
「Agnus dei」
Agnus dei, qui tollis peccata mundi
miserere nobis.
Agnus dei, qui tollis peccata mundi
dona nobis pacem.
指揮者の棒がそっとおろされる。静かに静かに最後の音の余韻が消えてゆく。聖堂に広がる感謝と平和と安堵の中に、私たちは包み込まれた。
多摩教会混声合唱団(ぶどうの実)では、毎年「祈りと聖劇の夕べ」で合唱を披露しているが、今年度は初めてラテン語のミサ曲に挑戦した。
シューベルトの「ミサ曲第2番」。彼が18歳の時に作曲した美しいミサ曲である。(ちなみに、かの有名な歌曲「魔王」も同年に作曲されている。)
複雑な和音やリズムはほとんどない。それだけに青空のような澄んだ響きが求められる。
団員一同必死に練習した。が、数々の困難が待っていた。怪しい音程やハーモニー、口がまわらぬラテン語、おまけにインフルエンザ・・・。本番、大丈夫か!?
そのうえ何とも恐ろしいことに、今年はソロもある。しかも数曲! あまり動じなさそうに見えるらしい私でも、やはり恐ろしいので、まじめに練習してみた。当日声が出なくなってしまったらと考えると、とてつもなく恐ろしいので、体調管理も万全にし、のどに良い蜂蜜のお世話にもなった。
そして迎えた本番。大きなミスもなく、合唱もソロも心を一つに練習以上に歌い、「アニュス・デイ」を残すだけとなった。うん、なかなかいい調子、決して悪くない。しかし、自分としては、何か大事なものを置いてきたような気がしてならないのだ。
あと1曲。一番難しいソロがある。伴奏が始まり前に出た時、ふっと忘れ物が降ってきた。
「この曲をお捧げします。」
小学生の頃に読んだ本で、今でも忘れられない話がある。アナトール・フランスの『聖母の軽業師』という短編である。確かこんな話だった。
「純朴で敬虔な軽業師バルナベは、ふとしたことで修道士となる。修道院では、修道士たちがそれぞれの能力を発揮して聖母への信仰を表していた。本を書いたり、音楽を創ったり、絵画を描いたり、彫刻を彫ったり、詩を詠んだり。
そんな中でバルナベは次第に嘆き悲しむようになる。自分には何もできない、と。
しかし、やがてバルナベは一人聖堂にこもるようになり、表情も明るくなっていく。何をしているのか不思議に思った修道士たちが聖堂を覗いてみると、バルナベは彼ができる唯一のこと、曲芸を祭壇の前で一心不乱にやっていたのだった。
驚き、やめさせようとする修道士たち。しかしその時、聖母が祭壇から降りてきて、衣の裾でバルナベの額の汗を優しくぬぐった。」
この話を読んで、なぜだか涙がこぼれた。そして、子供心にも感じ取った。バルナべの汗のひとしずくは尊い。自分のできることを、ただひたむきにひたすらに捧げるその生き方は美しい、と。
きっと私は“歌って”いた。うまく歌おうとしていた。もちろん人前で演奏する以上、技術を磨くことは必要だが、一番大切なことは、歌は祈りであること。
きっと、音楽への感性は研ぎ澄ませるものだろう。でも、それだけではない。柔らかく満たされていく祈りでもある。それが、これからも教会で私たちが歌い続ける意味だと思う。
バルナベのような生き方はできないかもしれない。でも、私は私の“ひとしずく”を捧げよう。大河のほんの一滴にすぎないけれど。それでも、いつかきっと大海に注ぎ、恵みあふれるその一滴になれる、そう信じて。
※ 最後になりましたが、「祈りと聖劇の夕べ」の出演者やスタッフの皆さん、会場にお越しいただいた皆さん、そして支えてくださったすべての皆さんに心から感謝いたします。本当にありがとうございました。
