8月22日、台風九号が関東地方に上陸し、多摩市は初めて避難勧告を発令、教会から1キロ北にある大栗川周辺にお住まいの方に避難所へいくようにとよびかけました。氾濫危険水位をこえたというのです。実際氾濫することなく水かさは下がりましたが、緊張しました。
そのような事態のとき、教会も浸水を防ぐため、止水板を据えます。夜中強い雨にうたれながら、川の増水におののきながら、道具をとるために駐車場にはいっていくと白い子猫が三匹親猫を中心に走り回っていてさながら屋内運動会のようです。
それから毎晩、私がはいってきても逃げることなく、四匹がそろって夜の見回りをしている私を礼儀よく見守ってくれるのです。ペットを飼うことに興味がなかった私も夜の面会者に期待するようになっていました。
この夏、日本版が発行された教皇回勅『ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に』にこんな節がありました。
「聖フランシスコは、傷つきやすいものへの気遣いの最良の手本であり、喜びと真心をもった、インテグラルなエコロジーの最高の規範(略)ちょうど、だれかと恋に落ちたときにおこる出来事のように、彼が太陽や月や小さな動物をみつめるときは(略)被造物すべてを賛美に引き込むのです」
7月22日からはじまった、画面上のモンスターを集めるスマートフォンゲームのブームも過ぎ去った8月末、本物の猫が無邪気に遊び回る光景は緊張している私を落ち着かせてくれました。飼い猫ではないようです。でも何か得になるものをもとめてさまようのでなく、孤独にたたずんでいるのではなく、居心地よく元気に跳ねまわる猫が多摩教会にいます。
【 巻頭言②:主任司祭 豊島 治 】
こんどのバザーでは収益は、カリタス・ジャパン経由で被災地に送られるということになっています。私はカリタス・ジャパン担当司祭ですので、少しばかり説明させていただきます。
カリタス・ジャパンは、日本の司教団のもとにある国内外の活動団体に金銭援助・啓発するNGOです。各教区に教区長が任命した担当司祭がいて年二回会議があります。
166カ国が加盟する国際カリタス(カリタス・インターナショナル)の一員です。
国際カリタス(カリタス・インターナショナル)は、世界165カ国カトリック教会が加盟して本部があります。現在副総裁は菊地司教さまです。災害など緊急支援が必要だと訴えると、バチカンにある本部から全世界のカリタス加盟国で緊急募金が行われ、被災地に送られます。東日本大震災ではこのシステムが機能して世界中から支援をいただきました。
東日本大震災では日本の司教団が一致して支援することがきまり、10のボランティアのベースやデスクが各所にでき、被災地に生きる人とともにすごしています。その際地域に親しみ、なじんでいる「カリタス」の名称をつけました。被災地ベースのひとつカリタス釜石はカリタス・ジャパンとは別の組織です。関わり方としては一年更新で情報共有や資金援助を行っています。東京カリタスの家も別の組織で東京教区が関わっている団体です。
日本国内も含めて世界から人的支援や金銭支援の受付を行っています。二回の厳しい審査をもって支援をきめます。順次審査をして支援が的確に行われているか国際審査をうけている、カトリック教会唯一の公認支援団体なのです。定例でどのような支援をし、その効果がどうであったかの説明をしています。
【 連載コラム 】
「荒野のオアシス教会を目指して」
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第69回
オアシスの出発点
僕は、プロテスタントの幼児洗礼です。2歳のときでしたから、今から12年前のことです。今思い出しても水をかけられたぐらいしか覚えていません。その後も母の影響で別のプロテスタント教会で、教会学校に通いました。しかしある理由で、その教会から離れることになり、教会学校も小学校2年生のころにやめてしまいます。その後はいろいろな教会に行き、母は「所属教会をどこにしようか」としばらく考えていましたが、そのうち所属教会がなくても神様とつながることはできると思うようになり、しばらくはあっちの教会に行き、こっちの教会に行く生活(これを僕の言葉で「教会難民」と言います)をしていました。
その少し前に、母が友人から晴佐久神父様というすごい方がいると聞き、調べたところ多摩教会にいることがわかりました。僕が初めて多摩教会に行ったのは初金のミサで、小学校3年生のころでした。その後もしばらくは「教会難民」でしたが、日曜日に教会に行かれなくなり、多摩教会の土曜日のミサに多く行くようになりました。当時、僕は多摩教会の信者になりたいとは思っていませんでしたが、ある日僕は言ってしまいました。
「僕、カトリックになりたい」
母はすごくびっくりして、すぐに晴佐久神父様に相談したら
「大丈夫です。仲間になりましょう」
と言ってくれました。
そして、2014年5月、僕は母と一緒に転会しました。こうして僕は多摩教会の一員になりました。
ところで、なぜ僕がカトリックになったかというと、実は「なりたい」と言ったときは、どうして僕がそんなことを言ったのかよくわかりませんでした。しかし、今思えば神様からの使命でカトリックになったと僕は思います。
僕は、福音で満ち溢れている多摩教会が大好きです。テロや戦争、自然災害が続いているこの時代。そんな時代だからこそ福音が必要でしょう。学校や仕事でストレスがたまってしまう日々がつらいと思う人も多いと思います。僕も学校で苦しい体験をいっぱいしてきて、一時期は学校に行かれなかった時もあります。
晴佐久神父様や豊島神父様が教えてくれた神様の福音を聞くと、心が安らかになります。あと、教会家族を大切にしているところも多摩教会のよいところだと思います。家族とは血のつながりのことではなく、互いに支えあい、助け合うことこそが家族なのだと僕は思います。教会も、そのような場所と言ってよいと僕は思います。多摩教会の人は、みんな親切です。去年と今年は、親切な青年会のメンバーに招かれ、中高生キャンプに行きました。福音に満ち溢れ、支えあってくれる仲間がいる。まさに「オアシス」であり、これから福音を必要としている大勢の人々が行き、そこから福音が広がっていく「オアシスの出発点」と言える場所だと僕は思います。
「わたしは君にオアシスという最高の体験をしてほしいから、君を多摩教会に呼んだ」
神様の声が、聞こえてきたような気がしました。
このオアシスを福音でいっぱいにしてくれた晴佐久神父様と豊島神父様、優しく心温かいオアシスのみんな、そして僕をこの素晴らしいオアシスに招かれた神様に感謝します。
皆さまに平和と祝福があるよう、お祈りしています。
【 お知らせ 】
9月2日の初金ごミサで豊島神父様は、「私たちの体は二つの要素から成り立っている。外側は年と共に弱くなり、うまく行かないことが多くなるが、内なる心がしっかりと成長して信仰を継承、神様がお与えになる信仰が育っている。み言葉を聞き、みこころを味わって、キリストが内に居て下さることを実感、外なるいろいろの弱さを取り去るよう願って御聖体をいただきましょう」と話されました。
続いての初金家族の会は神父様のお祈りで始まり、鶴牧の北村司郎さんから「多摩教会のはじまり」について、実体験からの素晴らしいお話を聞くことができました。
多摩教会の第一回家庭ミサは昭和47年6月でした。そして寺西神父様と集まった信徒の方が、荒れ野を旅する教会を盛り立てて、年間の教会行事を工夫しながら奉仕し、やがてマンションへ移り、かおり保育園ができあがり、今日の多摩教会へと展開するのですが、荒れ野はニュータウンの周辺の現実であったようです。
教会、エクレジアは寄り合いを示す言葉だそうですが、折しも多摩ブロックの活動が活発で多摩地区の若者が沢山集まり、信徒の皆さんもハイキングへ行くなど、工夫しながら教会行事が開かれ、聖母被昇天のパーティーで今も行われているバーベキューは第一回からの作業でした。まさに寄り合いという本来の歩みがあったようです。
北村さんのお話のあと、出席の皆さんからも活発なお話しが出ました。
被昇天のパーティーはある時期には、お盆に若者が帰って集まる場所であったとか、若い人たちが教会でいろいろと教わって育っていったなど、これからの教会活動にも活かしたいと感じる分かち合いができました。
初金家族の会、次回10月6日には、信徒の中村安男さんのミャンマーでの奉仕活動のお話を予定しています。
「みんな違って、みんないい」、初金ごミサに続いての初金家族の会に、皆様どうぞご参加ください。