島田 潤一
10月4日の初金ミサ、この日の聖人はアシジの聖フランシスコでした。説教の中で豊島神父様は、まず、10月がロザリオの月であるので、忙しい生活のなかで自分を見失っている人々に、祈ることにより、聖母のとりつぎを願い、ロザリオの神秘に与る機会を持ってほしいと勧められました。そして、聖フランシスコが生涯をかけて求めたものについて語られました。富豪の家に生まれ、名誉を求め、十字軍に参戦したが、病にかかり、脱落して帰国。だが、心はむなしく、自分の居場所を求めて、修道生活に入ったこと。ひたすら清貧を求め、何も持たず、裸のままでいられることを有り難く思う境地を求めたこと。
この聖人と同じ名前の教皇フランシスコは、我々が住むことを運命づけられている地球を傷つけ続けていることに警告を発しておられます。人間はどんなに追い込まれても、祈ることができます。その祈りにより、複雑な生活のなかでのシンプルさを求めることができます。「すべてのいのちを守るため」というテーマを持って来日される教皇のことを頭に入れて、前に進んでいきましょう。
ミサ後、信徒館で今後話し合うテーマについて率直な意見の交換を行いました。今後ともより多くの方々の参加をお待ちしております。