「2年生になりました。この1年を振返って!」
新受洗者の皆さん、おめでとうございます。昨年受洗したばかりの私です。皆様、どうぞ宜しくお願いします。この一年を振り返り、併せて昨年の受洗者文集に載せられなかったこぼれ話をしたいと思います。
私の受洗のきっかけとなった東京カテドラルでの東日本大震災被災者追悼と復興祈念コンサート。そこでの神秘体験、柔らかいスポットライトのような光を浴びて、何かが「わかった」と思った瞬間を文集に書きました。その後何人かの方から「そんなこと、起きるわけないよ」と言われました。全くです! 私もそう思います。今でもそう思います。
しかし、身近な人々を通して、疑いようのないものとして、再確認させられる出来事が連続して起こりました。
追悼コンサートでは「葡萄の枝」のお説教があると事前に聞いて、「不要な枝は火にくべられて、焼かれてしまう話? 追悼なのになんてひどい!」と、怒りを感じていました。でも、中学時代、修道士の先生から頂いた聖書は実家に置きっぱなしで、開くこともなく、記憶違いかもしれないから、じっくり読んでみよう、よし買いに行こうと四谷の書店へ。その時対応して下さったKさんから、「演奏会は、私も行きます。楽しみです。私も関口教会の聖歌隊で歌ってます」、こんな言葉を頂きました。
ところで、カテドラルには素晴らしいパイプオルガンがあります。しかし大変残念なことに、祭壇に向かって指揮をすると、オルガン奏者からは、背中合わせで指揮棒は全く見えません。このままでは、伴奏には使えません。
その難問をテレビ局で働く友人が、祭壇前に小型のカメラとオルガン奏者脇にモニター設置し、その間を150メートルのケーブルで見事解決してくれました。勿論無償で。教会関係者でない私、友人、彼の部下が演奏会の前日と当日、誰もいない聖堂に入り作業をするので、教会からFさんが、立会ってくださいました。2日間にわたり大変長い時間、お付合いいただきました。
演奏会も無事終わり打上げで、Fさんから、「住まいはどこですか?多摩市なら、近くの多摩教会にはハレレと呼ばれている、とても素晴らしい神父様がいる。そこには兄もいますから、是非行ってみて下さい」と多摩教会へ行くことをすすめられました。
私は、リハーサルに家族で来てくれた中学からの友人が多摩教会にいて、以前、彼に会うために教会のバザーへも、また彼の作曲した聖劇も見に行ったこと、晴佐久神父様にもご挨拶したことがあることを話しました。
この後、私が一昨年の復活祭に多摩教会を訪れた時に、神父様銀祝のコンサートで一緒に歌うことになるのですが、そのメンバーのお一人Tさんが、Fさんのお兄さんであったとは、後から知って驚きました。しかもKさんは、Fさんの娘さん、つまりはTさんの姪子さんだったとは、さらにその後知って驚き2倍!
また、友人と私が高校時代に始めた聖歌隊は、今もグリークラブとして活動を続け、昨年春には、私が追悼コンサートで共演した南相馬の合唱団と彼らも共演したとは! 更にこの演奏会ではSさんも、もうひとつの共演合唱団の一員として、一緒だったとは!
でもなんといっても極めつけは、私自身受洗後一週も欠かさず、御ミサに与れたことです。何をしても長続きしない、この私が、です!
私の場合、神父様のおっしゃる「信者の意地」そんなカッコいいものではありません。日曜日しか休みのない私は、身も心もボロボロで、マリア様に一週間無事過ごせたことを感謝し、御ミサの最後の言葉「行きましょう、主の平安のうちに!」を聞いて、これから一週間をやっていく、自信と元気を頂いて聖堂をあとにします。毎週「おすがり」しているだけなのです。
なのに、聖書朗読も答唱詩篇も数回、やらせていただきました。しかもこの復活徹夜祭には代親、連願の詠唱というご褒美まで頂いてしまいました!
希望してから受洗するまでの37年間を、一気に埋めんばかりのとても濃い、充実した、大きな喜びに満ちたこの一年でした。
多摩教会、そこは兄弟達が集まるオアシスであることは勿論です。私にとってはワンダーランド。否、ミラクルが本当に自分に起きた、そして今も、これからも起こり続けるであろう、まさしく天国の入り口です。