「荒野のオアシス教会を目指して」
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第74回
「見返りを期待しない他者とのかかわり」
飛行場を出ると外は真っ暗だった。深夜の暑さと車のクラクションに排気ガス、私はインドに初めて降り立った。ここはムンバイ。後ろからほんのかすかに袖を引く者がいる。必ず振り向かせるとの強い意志を感じる。意志に振り向けば、腰骨に1歳ほどの子を乗せた母親が、すでに右手を差し出している。子は、じっと私を見つめて、まばたきもしない。明らかに母親に協力している。これが母子の職業。紙幣を握った右手は素早くサリーの中へ。言葉はない。高い方から低い方へ水が流れるのは当たり前なのだ。
「見返りを期待しない他者との関わり!」これがインドの最初だった。
もう27年も前になる。NGOの主宰者とインドやバングラディシュを訪問することになった。
小さなビニール片を重ねた屋根のスラム街。たくさんの子どもたち。恐る恐る1人が寄ってきて、私の受け入れを見るとたちまちとり巻く。元気が私をとり巻く。貧しさには負けていない。失礼がないように大声で叱る父親、母親は、土間の片隅で夕食の支度をしている。これが家族。
ささくれた黒板でチョークの授業が進む。40人ほどの教室。中学生のような女の子のそばには1年生のような男の子もいる。それだけではない。ガラスのない窓から重なるように顔、また顔、顔がのぞいている。外の子どもたちは、仕事をしていて、学校には行けないのだ。
生まれてから死ぬまで固定化された格差社会。だが、子どもたちには屈託がない。NGOはこの壁を取り崩そうと子どもたちに「教育」を贈り、学校を建設し、井戸も掘り、病気の子を救うこともしてきた。
私の里子の1人は、南インド・チェンナイにある「マルコホーム」の少女だ。デカン高原の南端、大きな岩に小さな灌木の不毛の地。5人のシスターが、大きなマンゴーの木の下で、鍬を振り上げて、井戸を掘り、学校を作ってきた。25人ほどの子どもたちは、玄関先で勉強の最中だった。「ホールへ集まりなさい」シスターの声。誰も立ち上がらない。だけど動き出している・・・。皆手で体を引きずって移動している。誰も手助けしない。マルコホームは、ポリオなどで親から捨てられた子どもたちが暮している。
NGOが、毎年手術費を届け、順に手術を受けて歩けるようになった。中には麻酔を断った子もいた。麻酔代を他の子の手術費に充てたのだ。
数年後、女の子に再会した。しきりに目をこすった。親と呼べる人を持たない。親に会えたうれしさに涙が出て止まらないのだ。女の子は、手術を受けても自分の足で立つことはできなかった。やがて女の子は17才になった。「私は弁護士になって、障害を持った人や貧しい人や女性のために闘いたい」と表明した。少女は、飛び抜けて成績が良く、六年制の大学へ入学した。しかし、その先は難関らしい。女の子は銀行員になった。眼鏡の奥には柔和な目があり、動作は落ち着き払っている。きっと人の苦しみや悲しみに寄り添うように生きているに違いない。
「日本の家族が幸せで健康でありますように!」里子たちは祈ってくれている。皆、毎日、早朝からのミサを欠かさない。期待しないのに届けられる見返り。オアシスはこんな人と人との関わり。
NGOの名は、「エスナック」。主宰者独りで1人の里子から始めて35年、巣立った子は6000人を超える。主宰者はシスター藤田。私の代母だ。