連載コラム:「日々のオアシス」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第70回
日々のオアシス

A・W(ペンネーム)

 私が受洗したのは高校2年生の復活徹夜祭の時です。キリスト教との出会いをさかのぼると、母が持っていた十字架のペンダント(ロザリオに似ていて薄紫色の透明なガラス玉が連なっているが、ロザリオの様なT字型にはなっておらず、ご像がついていた)をきれいだなと憧れや畏れをもって眺めていた幼い子どもの頃にさかのぼります。
 そのペンダントは戸棚の中にしまってあったのですが、こっそり戸棚をあけては拝んでいたりもしたように覚えています。母はプロテスタント系のミッションスクールの出身だったので、家の中に新約聖書や讃美歌集がありました。時折「主われを愛す・・・」と口ずさんだりもしていました。

 教会にはじめて行ったのは小学生になってからです。学校の帰り道に見知らぬ女性が声をかけてきたのです。私の記憶ではその人はシスターのようにベールをつけていました。「日曜日に教会に来て見ませんか?」現代の子供ならば不審者!? と逃げ出し、学校も家庭も大騒ぎになりそうな話ですが、私が小学生だった頃は今思えばのんびりしたもので、素直な子供だった(?)私は友達と一緒に次の日曜日に教会に行ったのでした。初めて行った教会で何のお話を聞いたのか何も覚えていませんが、それがはじめての「教会」との出会いでした。しかし一度行って、それきり続けていくことはありませんでした。
 大人になって、その教会はどんな教会だったのだろうと「グーグル・マップ」で検索したら、便利なものでちゃんと見つかりました。プロテスタント系の教会で、今も福音を伝える活動をされているのをホームページで知ることができ、なんだか嬉しくなりました。

 カトリック教会との出会いは私を声楽に導いてくれたピアノの先生です。中学3年生の時にカトリック小田原教会に連れて行ってくれたのです。聖歌隊と一緒に毎週の歌ミサで歌うことがとても嬉しかったことを思い出します。
 洗礼を受ける決心をした日のことは今でも覚えていますが、学校帰りに寄り道して横浜(当時、横浜高島屋内の有隣堂の一角に「サンパウロコーナー」という女子パウロ会が運営するキリスト教に関する本や聖品を扱うお店がありました)から帰る相鉄線の電車内で夕日を眺めていたら、「私は神様から愛されている!」という確信が唐突に心に湧きあがったのです。
 そう思うに至るまでに様々な出会いがありました。教理の勉強をもう一人の求道者の男子高校生と1年間受けましたが、彼は受洗直前に世を去りました。キリスト教の勉強をしていると知って、初対面の神父様が本をプレゼントしてくださいました。また、私が気づかないところでも、たくさんの方が祈ってくださったのだと思います。ピアノの先生に代母になっていただき、先生と同じ「セシリア」と、聖人伝を読んで共感した「幼きイエズスの聖テレーズ」の霊名をいただきました。・・・それから四半世紀を超え、今回、このように普段は思い返すこともない自分の歩んできた道のりを振り返ってみると、月並みな言い方ではありますが、全てが神のみ摂理のうちにあるのだと気づかされます。

 さて私にとっての「オアシス」とは何か。
 それは日々の生活の中で、人と心が通ったときに感じる喜びで、それは心を照らしてくれます。「砂漠のオアシス」は人を憩わせますが、それ自体は静かで単純で誇りません。そのような在り方を目指して歩んでいきたいと思います。