連載コラム:「宗教の未来と教会」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第87回
宗教の未来と教会

諏訪・永山・聖ヶ丘地区 佐内 美香

 最近、第二バチカン公会議を勉強中。エキュメニズムが強く打ち出されている公会議後の他宗教との交わりをどう考えていったらよいのだろう。「宗教の未来を話そう」というシンポジウムに行ってみた。
 シンポジウムは仏教の僧侶、神道の禰宜、ムスリム(イスラム教徒、イスラムに聖職者はいない)、キリスト教の司祭(晴佐久神父)の4人に事前に聞いた3つの質問への回答をもとに、ディスカッション形式で進められた。
 質問1:宗教とは何か?
 僧侶は物事の判断基準、禰宜とムスリムは生きるヒント、司祭は一人では生きていかれない人間が仲間とつながり、神の愛に気付くことと答えられた。
 質問2:不安な気持ちを抱えて何かを信じたい。そのような時、宗教が果たす役割とは?
 僧侶は心のお守り、禰宜は心のよりどころ、ムスリムは不安をなくすこと、司祭は一人では解消できない不安や血縁を越えた「福音家族」としてつながりを持ち、奉仕し合うことと答えられた。
 質問3:宗教の未来像とは?
 これについては、このシンポジウムの本題として多くの意見が交わされた。僧侶はインターネットの有効活用やご自身がフランシスコ教皇に諸宗教者の集いで謁見された時の教皇の「外に出て自分の言葉で語れ」という言葉に共感したこと、仏教は家単位から個人の信仰へとなることを期待していることなどを話された。禰宜は神社という日本独自の地域に根付いた宗教の特質を生かして、祭りや年中行事など、世代をつなぎ地域社会に貢献していく努力を続けたいと話された。ムスリムは特定の教会に属さない個人信仰というイスラムのかたちから、宗教を超えた個人個人のつながりの方を重視したいと話された。司祭は原理主義から限りなく離れた宗教、押しつけるのではなく相手の立場に立ってそれぞれの宗教が共に困っている人を助ける世界を目指そうと話された。

 このシンポジウムは各宗教の代表者が他の宗教を尊重しつつ自分たちの思いを語る良い機会だったと思う。宗教は山登りに例えられる。登り口、ルートは違っても目指す頂上(神仏)は同じだと。
 だが、それぞれの宗教には独自の歴史や文化的背景の違いがある。その垣根を越えて大いなる力のもと、協力し合える未来であることを望む。
 幸せとは安心して生きていくことだ。すべての人々が安心して生きる神の国を実現するために、特に神に救われた体験をもつキリスト者たちは、迷える人々と神を出会わせるお手伝いができるのではないだろうか。その役割は大きい。そのためにも教会は人々が憩える場所としてのオアシスでなければならない。教会を教会として機能させ、門戸を開き、外に出て行き、宗教を越えて多くの人々のために奉仕し、幸せの輪を広げることが、キリストに選ばれし者の使命だと強く感じた。そしてそのことが宗教の未来を明るく照らすのだと思う。