連載コラム:「侍者奉仕の思い出」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第95回
「侍者奉仕の思い出」

愛宕・乞田・鹿島・松が谷・和田地区 齋藤 浩

 わたしが侍者の奉仕をはじめたのは、小学校4年生のころですから、侍者歴はもうかれこれ70年近くになりました。当時のミサは、今と違って、司祭は会衆に背を向けて、祭壇中央の聖櫃に向かいミサを挙げていました。侍者も「ミサごたえ」といって、ラテン語の祈りを唱えなくてはなりませんので、一生懸命にラテン語の祈りを暗記した覚えがあります。(カトリック赤羽教会にて)
 第二バチカン公会議(1962~1965年)の典礼刷新を受けて、侍者の役割も大きく変わってきました。
 現在のミサ形式は、司祭と会衆が対面して心が一つになり、素晴らしいミサのあり方です。侍者の役割は昔と比べて大分楽になったと思います。
 わたしは高齢者の仲間入り、難聴や手のしびれを感じるようになりましたが、ミサの中で侍者の奉仕をしていると、不思議に手のしびれは感じられません。これは肉体の目では見えないですが、内陣におられるイエスさまとマリアさま、そして大勢の天使達に囲まれて、癒やされているのだと思います。
 しかし、難聴の方は大分悪化し奉仕に支障をきたすようになりましたので、残念ですがこの辺で侍者奉仕を引退させていただきます。
 多摩共同体のメンバーとして、一人でも多くの方が典礼奉仕に携わることができれば素晴らしいことです。
 ご健康な方は是非この奉仕に参加してください。
 これまでいろいろと、皆様もご指導ありがとうございました。 神に感謝!