連載コラム:「オアシスの出発点」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第69回
オアシスの出発点

諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区 渡辺 悠(ペンネーム)

 僕は、プロテスタントの幼児洗礼です。2歳のときでしたから、今から12年前のことです。今思い出しても水をかけられたぐらいしか覚えていません。その後も母の影響で別のプロテスタント教会で、教会学校に通いました。しかしある理由で、その教会から離れることになり、教会学校も小学校2年生のころにやめてしまいます。その後はいろいろな教会に行き、母は「所属教会をどこにしようか」としばらく考えていましたが、そのうち所属教会がなくても神様とつながることはできると思うようになり、しばらくはあっちの教会に行き、こっちの教会に行く生活(これを僕の言葉で「教会難民」と言います)をしていました。
 その少し前に、母が友人から晴佐久神父様というすごい方がいると聞き、調べたところ多摩教会にいることがわかりました。僕が初めて多摩教会に行ったのは初金のミサで、小学校3年生のころでした。その後もしばらくは「教会難民」でしたが、日曜日に教会に行かれなくなり、多摩教会の土曜日のミサに多く行くようになりました。当時、僕は多摩教会の信者になりたいとは思っていませんでしたが、ある日僕は言ってしまいました。
 「僕、カトリックになりたい」
 母はすごくびっくりして、すぐに晴佐久神父様に相談したら
 「大丈夫です。仲間になりましょう」
 と言ってくれました。
 そして、2014年5月、僕は母と一緒に転会しました。こうして僕は多摩教会の一員になりました。

 ところで、なぜ僕がカトリックになったかというと、実は「なりたい」と言ったときは、どうして僕がそんなことを言ったのかよくわかりませんでした。しかし、今思えば神様からの使命でカトリックになったと僕は思います。
 僕は、福音で満ち溢れている多摩教会が大好きです。テロや戦争、自然災害が続いているこの時代。そんな時代だからこそ福音が必要でしょう。学校や仕事でストレスがたまってしまう日々がつらいと思う人も多いと思います。僕も学校で苦しい体験をいっぱいしてきて、一時期は学校に行かれなかった時もあります。
 晴佐久神父様や豊島神父様が教えてくれた神様の福音を聞くと、心が安らかになります。あと、教会家族を大切にしているところも多摩教会のよいところだと思います。家族とは血のつながりのことではなく、互いに支えあい、助け合うことこそが家族なのだと僕は思います。教会も、そのような場所と言ってよいと僕は思います。多摩教会の人は、みんな親切です。去年と今年は、親切な青年会のメンバーに招かれ、中高生キャンプに行きました。福音に満ち溢れ、支えあってくれる仲間がいる。まさに「オアシス」であり、これから福音を必要としている大勢の人々が行き、そこから福音が広がっていく「オアシスの出発点」と言える場所だと僕は思います。
 「わたしは君にオアシスという最高の体験をしてほしいから、君を多摩教会に呼んだ」
 神様の声が、聞こえてきたような気がしました。

 このオアシスを福音でいっぱいにしてくれた晴佐久神父様と豊島神父様、優しく心温かいオアシスのみんな、そして僕をこの素晴らしいオアシスに招かれた神様に感謝します。
 皆さまに平和と祝福があるよう、お祈りしています。