「マルタ、マルタ」と主は呼んでくださった
受洗6年目になる山藤(さんとう)ふみと申します。よろしくお願いいたします。
教会は祈りの場であるという方がいます。カトリック多摩教会の祭壇を納めた方に、大川さんという方がいます。その方の祈る姿を拝見したとき、まさしく「神に近づく」祈りを捧げている方だと見惚れてしまいました。私は、カトリックの場合は特に、教会活動全体が生涯教育の場であり、その活動を通して「祈り」と「心のオアシス」が広がっていくという印象を持っています。
いつか何かお手伝いしたという気持ちは持っていましたが、現実の私は、土曜夜のミサ後は、ほうきにまたがる魔女よろしく、さっと暗闇に消えていました。その結果、ごく少人数の方のお名前と顔が一致するだけで、まずい状態でした。
その少人数の中に、波田野洋子さんがいらっしゃいました。お会いするたびに印象に残りました。台所の作業台に大きなボウルを置き、一心にジャガイモの皮をむいていました。後で、有名な「波田野さんのコロッケ」の下ごしらえをしていたのだと知りました。
夏祭りかバザーの当日でした。橋の下を荷物を持って歩いていらっしゃるのに出会い、声をかけると、「朝6時に田舎を出て、3回乗り換えて、やっとたどり着いたの。今日は、お昼で失礼しようと思って」と、おっしゃいました。夕方まで皆に声をかけられ大活躍されていました。
次の日偶然、教会に立ち寄ると波田野さんも来られていました。「お疲れでしょう」と言うと、「まあね。昨日、大勢で台所を使ったので、ちょっと見に来たの」とおっしゃって、五徳を磨いたり、布巾を石鹸で洗ったりと、片づけものをされていました。私などは、当日、半日働くだけでも「面白かったけど大変!」と言ってしまうので、黙って頭を下げました。
波田野さんが「コルベ会」の方であると知ったのは後のことです。
カトリック多摩教会の「守護の聖人」は、ポーランド出身のマキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894年1月8日〜1941年8月14日帰天)です。
コルベ神父の生涯は、波乱に満ちたものでありがながら、終生「無原罪の聖母マリア」の霊性の中にあり、「いつもみ心のうちに」と信仰を守りとおした生涯でした。「ペンは剣よりも強し」と言いますが、聖母の騎士社の出版物を通しての宣教と聖書のすべての聖句の信仰と実行が、アウシュビッツでの身代わりの申し出と死に、まっすぐつながった生き方を示した方でした。
多摩近在のカトリック信仰をもつ方々が新教会を建てるにあたり、多くの方の御尽力と御縁があって聖コルベ神父を「守護の聖人」として掲げられたことは、不思議なお恵みを頂いたのだと、お御堂に入るたびに思います。
「コルベ会」は10数人のメンバーが、数十年もの長い間、コツコツと研鑽を続けてきたグループです。
メンバーの高齢化や、諸般の事情により、活動を縮小されて継続してきたものの、2014年3月で閉会を公表されました。「コルベ会」は、教会や福祉への協力と、自立や親睦を目的として活動してきたとのことです。
甘夏ピールやソースづくりに参加されていたメンバーの方々は、「プロ集団」としての気迫がありました。一人ひとりの方が、仕事の流れの中で、ご自分の立ち位置を承知していて、手際よく働いていました。人によって「仕事に行く時間なので」と簡単に挨拶を交わし、出て行かれました。「必要なところに必要なだけ」が、長年の奉仕の中で身に付いている気持ちの良い、すがすがしさでした。
「マルタ、マルタ、大切なことはひとつ」と主は言われました。
「コルベ会」の継続は大切なことと考え、立候補にたどり着いた私です。