今までの私は真っ暗なトンネルの中にいるようでした。
そんな私を見かねた妹が教会に行くことを勧めてくれました。妹は高円寺教会で晴佐久神父様から神の福音を聞き、心に光が灯ったと言うのです。姉も同じように言って私を誘いましたが、私はまったく信じられませんでした。
長い間、悩み苦しみ人を憎み、私は自分でも嫌になるような人間でした。夜、床に入るとこのまま目が覚めなければよいのに、といつも思っていました。
姉も妹も何度も勧めます。晴佐久神父様は今は多摩教会にいらっしゃるからと、彼女たちは多摩教会の住所や電話を調べて、私を引っ張るようにして連れてきてくれました。あまりに勧めるので「一回ぐらいは行ってもいい」と応じたのです。美しい川沿いをしばらく歩き、ふと見ると「カトリック多摩教会」の文字が目にうつりました。そして優しいまなざしのマリア様の像の隣の階段を上り、御聖堂の中に入りました。初めての体験です。神秘的な空間でした。それでも私はまだ神の存在を疑っていました。
ミサが始まり、晴佐久神父様が静かに登場なさいました。聖歌が流れ、聖句を聞き、何かが少しずつ変わってきました。その場に集う人々の微笑みをたたえたお顔が何よりも印象的でした。救われるとはこういうことかもしれないと感じられ、また来たいと思いました。
ミサ後、神父様とお話しする機会を得られましたが、何と申し上げたか覚えていません。ただ、いただいたお言葉だけは鮮明に記憶に残っています。「あなたは何もしなくてもよい」とおっしゃってくださいました。このひと言は私にとって忘れることのできないものです。姉や妹の話をもっと早く信じていればよかった、もっと早く神を知りたかったと感じた瞬間でした。
その後は何のためらいもありませんでした。洗礼を授けていただきたいという気持ちでいっぱいになりました。実際、洗礼志願書をいの一番に提出したのは私だったそうです。
この世のことなどちっぽけなものにすぎない、自分は今まで何をしていたのか、と過去の自らを恥ずかしく思えるようになりました。私の気持ちをこのように変えてくださった神様に、今は本当に感謝しています。
私は入門講座を受け始めて、まだ半年です。教会のことも、聖書も、ほとんど何もわかりません。それでも、これから信仰を深め教会のために、そして人々のために貢献していくつもりです。
今の私には怖いものはありません。教会という、鍵のかかっていない安らぎにあふれた家に帰ることが、いつでも可能だからです。「私は幸せです!」と大声で皆に伝えたいぐらいです。
本当にありがとうございました。
神父様、どうぞ私がこの先も迷うことがないよう、再び暗闇に入りこんでしまうことがないよう、お導きください。