私の十字架(受洗者記念文集)

ペトロ ゆうし(仮名)

 私は、罪を犯しました。決して赦されることはない、重い十字架を背負いました。
 罪の意識に囚われ、暗闇に自ら落ちていきました。私は、すべてを失いました。

 暗闇で苦しみ、もがいていました。

 昨年のクリスマス、「ここクリ」で初めて教会に足を踏み入れました。聖堂で歌を聴き、胸が苦しくなり涙をぼろぼろと流しました。晴佐久神父様は、「友達になりましょう」と言ってくださいました。なんか、またここに来たいと思いました。
 年明けには、毎週金曜日の夜に入門講座に通うようになりました。一週間をなんとか生き抜き、すがる思いで教会に来ました。毎回、神父様のお話を聴き、教会の皆さんとお話をして、おいしいご飯をいただきました。
 「教会家族」これは、私が好きな言葉です。共に食卓を囲み食事をし、心を開き話をする。これは、本当の家族です。私の帰る場所。私が私でいられる。何も飾らず気取らず、弱い自分でいていい、ありのままの自分でいられる、そんな場所ができました。
 ミサでは、毎回涙がぼろぼろと溢れ出て泣き続けていました。自分が犯した罪に、十字架に押し潰されていたのかもしれません。何回も何回も十字を切り、お祈りしました。

 洗礼を受けたあの日、初めて御聖体をいただきイエス様が私の体に入ったとき、心がとてもとても温かく感じられました。イエス様が私の十字架を一緒に背負ってくれている、「もう大丈夫だよ」と語りかけてくれている、そう思えました。苦しみの涙は、止まりました。
 私の罪は、赦されたわけではありません。ひとの罪を赦せる心ができたとき、私の罪も赦されるのかもしれません。私のように苦しんでいる人に、そっと寄り添える者になりたいです。
 いま私にできることは、お祈りすることだけです。大切なひとを想い、笑顔でいられますように、心穏やかでいられますように、お守りくださいと、神様にお祈りしています。

 私は、教会に来ることができてよかったです。あのクリスマスの日、神様が私に進むべき道を、そっと照らしてくださったのだと思います。私はすべてを失いましたが、神様の存在を知ることができました。晴佐久神父様を通して福音を聴き、イエス・キリストの教えを知り救われました。
 晴佐久神父様、入門係の皆さん、代親さん、教会で出逢った皆さん、私の心にそっと寄り添って温かく接していただき心から感謝します。これからも、どうぞよろしくお願い致します。

 天の国にいくのは、もう少し先にします。イエス様がもういいよと呼んでくれるまで、生きていきます。

 主よ、私の進むべき道を迷わぬように明るく照らしてください。
 主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気をお与えください。
 主よ、心に平安をお与えください。

 神に感謝  キリストに賛美