私は今、32年間の放蕩生活を経て、安心して父の家にいます。
私がイエス・キリストに出会ったのは16歳の夏休みでした。
映画「ナザレのイエス」を見てイエスの教えこそ私が求める生き方に必要な指針だと衝撃を受けました。その後、キリスト教(プロテスタント)の大学に進学し、そこで宗教部長に立候補し、学校内での礼拝を企画、進行、説教までして礼拝に出ない学生に、どうしたらキリスト教に興味を持ってもらえるのか、いつも考えていました。イエスの教えをどうしても伝えたかったからです。しかし、信者になることはできませんでした。私は「神」を完全に理解していない、イエス・キリストはあくまでも人間として尊敬していると考えていたからです。
卒業後も相変わらず、キリスト教関連の本はよく読んでいましたが、教会に通うことは考えていませんでした。団体が苦手で「一人宗教」で良いと思っていました。結婚はもちろんキリスト教式で、出産するときに選んだ病院は「聖母病院」でした。キリスト教関係の施設は、私にとって居心地がよかったからです。
娘たちの幼稚園を選ぶ基準もキリスト教教育をしているところでした。中学、高校も見学に行って、一目で気に入ったカトリック・ミッションスクールを選びました。
ここでやっとカトリックとつながり、晴佐久神父様とつながったのです。そして晴佐久神父様の「神はあなたを愛しています。」という言葉を聴き、初めて私なんて神からしたら1/人類(人類分の1)の存在でしかないと思っていたのが、神対私=1対1であり、「あなた」とは「この私」であると自覚したのです。それでもまだ神の存在は霧がかかったような状態でした。決定的に心にひっかかるものがあったのです。
「私には神の声が聴こえない」
こんなに求めているのになぜだろう。私は初めて心から祈りました。その答えを神はある本の中に見つけるよう導いてくださいました。イグナチオの『霊操』です。神は外から来るものではなく、自分の中にいるというのです。自分の中の神―私は、私に現存する神の力を体験していました。ある日突然、私の心に浮かんできた受洗しようという気持ち、教会に行かなければという、マグマのように湧き上がってくる思い、あれは一体なんだったのか。
「そうか、それが聖霊の働きだったのか」と気づいたのです。
私は私の意志ではない何かに動かされてここまで来たのです。 32年かかりましたが、それは私に必要だった過程であり、神の方こそずっと私に語りかけ、働きかけ、私を求めてくださっていたのです。その気づきが「開心」です。今まで「回心」、神の方を向いていたかもしれませんが、心を開くことをしていなかったのです。
それからの私の祈りは、お願いというよりも神について考え、神と1対1で対話することになりました。私が存在するのは神が求めてくださっている愛の証しです。その神の愛に応えて生きていきます。そしてこれからは体験者として福音宣言する者となります。
晴佐久神父様、私を目覚めさせてくださりありがとうございました。
入門係の皆さま、多摩教会の皆さまのご尽力に感謝いたします。
そして神に感謝―