水をかけられて以来、私の心は満たされています。喜びと平安に満ちています。今までの人生に感謝し、まったく新しい人生を始めようと思います。「Child of the Light」(光の子)としてこの人生を。
ああ、これが「秘跡」というものなのか、と思います。水をかけられながら、原初キリスト教のヨルダン川で、ザバーッと頭から水を潜る情景が浮かんできて、私の中で何かが、確かに変化しました。二千年もの間、秘跡は生き続けているのですね。
これほどみずみずしく、生き生きしたイエス様のエネルギーが、連綿と続いてきたことに、心から驚嘆します。そして、それを守ってきた本当にたくさんの方々、教皇様・司教様・司祭様、聖人聖女の方々、殉教者の方々、修道士・修道女の方々、信者の皆さんに、心からの敬意と称賛を捧げたいです。そして、この大きなコミュニティーの一員にならせていただいたことに、喜びと感謝と誇りを感じます。
私が多摩教会に初めて伺ったのは、昨年の11月末のことでした。マザー・テレサの修道会のシスターから、晴佐久神父様のことを教えていただき、この神父様からイエス様の教えを学ぼう、と思ったからです。
訪れた多摩教会は、私にとってまさしく「荒れ野の中のオアシス」でした。ミサにあずかるたびに心が満たされました。そして教会の皆さんの言葉の端々から、立ち居振る舞いのすべてから、存在の有り様から、信仰を持ち続けることがどういうことなのかが、言葉を超えて伝わり、どんなに癒されたことでしょう。ああ、ここには本当の誠実さがある、欺瞞に満ちた社会の中で、ここだけは愛に基づいて生きる方たちがいる。私ももう一度、人を信じ、神を信じて生きてみよう、と思うことができました。
晴佐久神父様のCDも毎日聞きました。電車の中でも、買物中も寝る前も。まるで渇きを癒すように聞き続け、3カ月たった頃、ふと気づくと、心の痛みが消えていたのです。思い出すと心がチクチク痛んだ事々を、もう思い出しても痛くない。心の傷がピッタリふさがって、すっかり癒されていました。私にとっては奇跡でした。
この4カ月間は、神に近づきたくても、心のどこかで近づけなかった私が癒され、神と和解し、親しく神と出会えた、神へ帰還する4カ月でした。
そして洗礼を受け、私は神によって満たされました。これからも何があっても、何がなくても、すべては神の御心の中で生きていくことができます。
晴佐久神父様、代母様、入門係の皆様、教会の皆様、お導きいただきまして、本当にありがとうございました。言葉に尽くせぬ感謝で一杯です。これから、さらに信仰を深め、皆様にご恩返しができるよう、歩み続けたいと思います。