「あかつきの村の便り」はいつも感動をもって読むのですが、4月20日付けの最新号の1頁目、グエンバン・リーさんの文章には特に強い衝撃を覚えました。これは是非教会の皆様にも読んでもらいたいと思いました。
4年前、家の中で集めた大型の不要品を取りに来ていただけるか、あかつきの村に電話して、初めてリーさんとお話をしました。
日本人同士の会話とは違い、リーさんは極度に口数か少なく、ちょっと戸惑いましたが、こちらの意志が通じた感触はありました。ところが、一度目二度目と約束の日時に現れず、夜になってやっとリーさんと連絡が取れて、次のことがわかりました。都内の一カ所で荷物を積み込んでいるうちに、暗くなりそうで、帰り道が長いこともあり、群馬に戻ってしまったということ。都内の交通事情と12月下旬という条件を考えると、全く無理もないことと思われました。
ベトナムの方はどうやって多摩まで来られるのか、私は少なからず心配しました。1丁目のTさんも不用になったが、まだ充分使える物を沢山玄関内に寄せて、待ってくださいました。このままお正月を迎えるのかと思っている時、リーさんから電話があり、「今日は多摩を目標とするので、昼過ぎには来られる」とのこと。約束の時間を過ぎてから電話が鳴り、「今、佐倉さんの家の前にいる。30分前からいるのだが、誰もいない」とのこと。今いる場所の番地を教えてもらい、I さんのお宅の前にいることがわかりました。I さん家は2丁目、私の家は3丁目だが、続く番地が同じで、道はカーブしているが、1分もかからない近さです。こんな複雑なことわかってもらえるかしらと思いながら、外に飛び出して行くと、左手のカーブから幽霊のような大型ダンプがゆらりと現れました。手作りと思われる「あかつきの村」の文字が幽霊の額の部分に大きく張り付けてあります。
リーさんは中年の体格の良い方でした。手伝いもなく独りで荷物を積み込み、時間がないと、用意したおやつも辞退され、大急ぎで1丁目のTさん宅に、私が先導して行きました。同じようにてきぱきと落ち着き払って、荷物を積み込み、帰路に着かれました。薄暮の行幸橋を左に折れ、甲州街道に向かって、高い運転席から「もう大丈夫」と言うように、ちょっと合図をして去って行かれました。
ベトナムを脱出して40年近く、あかつきの村の創始者・石川 能也神父の熱き思いを受け継いで、生きてきたその原点を今この「お便り」の文章に見ています。
その文章に心を揺さぶられた私は、次の日奇しくも主日のミサで晴佐久神父の説教の中心が「熱き心」であったので、このリーさんの文章を多くの方に読んでいただきたいと思いました。
夜、暗い内に国を脱出する計画は2回とも失敗しました。3回目は日が出るころ、あかつきの明かりの中、脱出することを計画しました。そして、あかつき「RANG DONG」のころ(一晩緊張して働いていた公安たちが寝るころ)、脱出に成功しました。
小舟は段々と広い海へ進み、国を後にしました。船に乗る予定の人数がオーバーし、一時混乱状態となり、その間、船のエンジンも止まってしまい、何度も修理をしました。修理はうまくいきましたが、高い波にもまれ、ほとんどの皆が船酔いに苦しみました。
船は公海に入り、安定した速度で到着予定地へ向かっていたと思うと、翌日は突然高波になって、皆また船酔いになり、またしても船のエンジンが止まってしまいました。いくら直しても直らず、高波で船が不安定なため、海水が大雨のように船の中に入ってきてしまい、とても危険な状態になり、船が海水でいっぱいならない様にするので精一杯でした。
エンジンなしの小舟は海に流され、どこに行くのでしょうか・・・? すべて神様に任せて、昼も夜も絶えず祈り続けました。
夜の海は真っ暗で、誰もが恐怖に襲われ、何一つ安心できることはありません。海はとても静かだと思うと、突然に怒るような高波になり、小舟を地獄の底に投げ込むような恐ろしい姿になります。小舟に乗った時に、それぞれが自分の命をかける覚悟は持っていたのでしょうが、それでも責任者として、自分以外の88人と、お母さんの体内に居る3人の赤ん坊の命に対して、重い責任を感じていたので、14回目のあかつきを迎えた15日目の午後の奇跡のような出来ことに、その責任から解放され、感謝の気持で一杯になりました。
祈りの声は、天に届いたのです。
その日、海は非常に静かで何か奇跡が起こるのを待っているような感じでした。
小舟の左側からノックの様な音が聞こえ、船に上がって見てみると、大きな一匹のウミガメが現われたのです。そして何回もノックの音が続き、一人の若い者が手を出すと、簡単にウミガメを船の中に入れることができました。10日間くらい食べ物がなかったので、皆の意見でウミガメのお肉を皆に配って食べ、皆元気になり、若い者たちは、静かな海に飛び込んで体を綺麗にしたりしました。
その直後に、大きな船が私たちを助けてくれました。その船の船長の話しによると、その夜は大型台風が来ていて、一歩遅かったら私たちの命はなかっただろうということでした。私にとって、暗い海で14回あかつき「RANG DÔNG」を待ち望んだ思いは、一生忘れられません。
その後、日本に入国できて、石川神父様と出会って、あかつきの村に入ったときは、楽園に入る様に感じられました、なぜなら暗い海で「あかつき」「RANG DÔNG」を待ち望んだ後、「あかつきの村」の「あかつき」をみることができたからです。
今でも、色んな原因で難民になる人々の数は少なくありません。彼らは、どんな「あかつき」を見ることができるのでしょうか?神様に、彼らを助けてくださいと祈るしか方法がないかもしれません。
「見よ、きょうだいがともにすわっている、なんというめぐみ、なんというよろこび」(塩田泉神父作曲)
いつまでも、あかつきの村が明るい「あかつき」であることを深く望んでいます。