巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

希望のシンボル

主任司祭 晴佐久 昌英神父

  前回、9月に福島市の野田町教会を訪問したとき、市内でカーラジオから流れてくる異様な放送に驚きました。
「○○市、○○シーベルト。××町、××シーベルト。・・・」。
 言うまでもなく、福島各地の「本日の放射能」の数値です。アナウンサーがまるで天気予報のように淡々と読み上げるその放送は、SF映画の1シーンのようでした。
 野田町教会のトマス神父様とはその時初めてお会いしましたが、親切にもてなしてくださり、誠実なお人柄に大変好感を持ちました。神父様はポーランド出身で、故郷のお母様からの度重なる「帰っておいで」コールに参っているそうです。お母様は、息子の教会は事故を起こした原発の門のすぐ前にあると思い込んでいるそうで、遠い国で「フクシマの教会」と聞けばそう思うのも無理はないかもしれません。しかし、実際にその「フクシマ」に東京から来て、「本日の放射能」放送などを聞くと、まさに原発の門のすぐ前まで来たと言う実感を持ってしまったのも事実です。現にそこで暮らす人たちの怒りと苛立ち、不安と焦りはどれほどでしょうか。
 トマス神父様は教会に隣接する幼稚園の園長でもありますが、園児たちのことを大変心配していました。すでに県内外へ避難して行った子どもたちも多く、園生は半減していましたが、残っている子どもたちをどう守るかということに関して一幼稚園のできることには限界があり、行政も東電も当てにできず、それこそ途方に暮れるというご様子でした。
 何かお手伝いできることはありませんかとおたずねすると、ちょっと言いにくそうに、実は、震災で聖堂のマリア像が倒れて砕けてしまったのだけれど、こんな時だから再建もできずにいるのだと打ち明けてくださいました。さすがはポーランドの神父様、コルベ神父様もそうであったようにマリア様への崇敬がひとしおであることに感動しました。と同時に一瞬頭をよぎったのは「マリア像っていくら?」という、まことに恥ずかしくも現実的な思いでしたが、口では大見得を切ってしまいました。
 「こんな時だからこそ、むしろ聖母像は希望のシンボルになるでしょう。ぜひ、わたしたち多摩教会から、寄付させてください。多摩教会では被災地支援として、毎月目的を定めて献金を集めています。10月はこちらの聖母像のために集めます」

  このたび、みなさんのご協力により献金が100万円集りました。心から感謝いたします。これくらいあれば、聖堂に見劣りしない聖母像を安置できるはずです。大見得切ったものとしてはほっとした、というのが正直な思いでもありますが、ともかくも11月はじめ、野田町教会に届けてまいりました。
 2ヶ月ぶりにお会いしたトマス神父様に「お変わりありませんか」とご挨拶すると「お変わりありました」とのお返事。なんと、幼稚園が閉鎖になるというのです。園児が減って立ち行かなくなったと言うことです。園児たちはもちろん、ご両親も職員も卒園生もショックを受けていて、園長としては何とか残したいと努力したのですが、修道会の決定なので仕方がないとのこと。
「わたしは、日本人がすぐに『仕方がない』というのが理解できなかった。原発のことでも、もっと怒りの声をあげ、反対し、行動すべきなのに、おとなしく『仕方がない』という姿に苛立っていた。しかし、今度という今度は、もうどうしようもない。まさに、仕方がない。わたしも日本人になりました・・・」
 返すことばもありませんでした。
 それでも、多摩教会からの献金をお渡しすると大変感激なさって、聖母像が安置されるときはぜひ、ミサを捧げに来てくださいとご招待されましたので、喜んでとお返事しました。都合が合えば多摩の信者さんたちも一緒に行けるといいなと思っています。そこでささやかな交流をして、互いに励ましあい、教会の喜びが生まれれば、まさに聖母像は希望のシンボルとして輝くでしょう。聖母は救い主の母、教会の母、被災地の母ですから。
 11月は、盛岡の信者さんたちの自主的な被災地支援活動である「ナザレの会」を応援することにいたしました。引き続き、献金をお願いします。