巻頭言:主任司祭 豊島 治「愛 あります」

愛 あります

主任司祭 豊島 治

 気がつけば9月の後半。カトリック売店には2018年カレンダー・手帳が並び始めました。通称『パパさまカレンダー』『祈りの風景』『カトリックカレンダー』というおなじみのレパートリーですが、陳列棚をみると時間が経つ早さにしみじみとします。

 人間ほど約束をし、予定をたてて生きる存在はあまりありません。先輩の司祭のなかには単年の手帳では間に合わないとかで『三年手帳』『五年手帳』を購入して数年先の予定を書き込んでいらっしゃいます。予定箇所が多ければそれは「多忙」ということになるでしょう。
 逆に予定が書かれていない「空白」部分に注目してみましょう。「自由な時間」もしくは「手帳に書き込むほどではない日常的な予定」という意味で使用されているかと考えますが、その白い部分に私たちと神さまとの関係を思い起こしてみてはどうでしょうか。

 今月20日から那須にあるトラピスチヌの宿泊施設を貸し切り使用させていただいて、現地にいるトニー神父さまの協力のもと、個人が黙想する機会を得ます。観想修道院で行うのは初めてなので、普段典礼や講座に関わる方数名に参加してもらいます。
 黙想を英語で表現すると「meditation(メディテーション)」ではなく「retreat(リトリート)」であると英語の先生が教えてくれました。後者は辞書でみると第一の意味として「前線から撤退する」とあります。「やるべきこと」に翻弄されている私たちですが「生かされている」という基本的土台をとりもどすには一時的な「撤退」もありです。撤退先は奄美大島もいいところですが、トラピスチヌでは食事を修道女さんたちがつくってくれます。

 今年刊行された冊子に日本の司教団からの『いのちのまなざし』と教皇さまからの『愛のよろこび』がありますが、両方とも「わかっているつもり」「そのうちに」という忙しさ・煩わしさ・恐れなどの各衝動によって、なおざりになりがちな大切なことを確認させてくれます。誰にでも生まれた意味がある、世界や社会のはしっこにおいやられて、メジャーなグループを羨ましそうにみて悩みながら生きている人たちは究極の選択を迫られている。そんな状況でも福音の光は闇の柵(しがらみ)を解放させ、愛の力が輝きの場所へと導きます。遠方にいかなくても日常の生きる意味を確認することができるので、手帳の白い部分の時間の過ごし方に是非ご活用ください。