このたび、東京教区の人事異動により、わたくし晴佐久神父は、浅草教会・上野教会へ転任することとなりました。司祭叙階以来担当する、七つ目の教会ということになります。
最近は司祭の数が少なくなってきたため、二つの教会を担当するということが珍しくなくなりました。任命書では、浅草教会と上野教会、双方の主任司祭ということになっています。つまり、どちらの教会の信者さんにとっても、自分たちの主任司祭は晴佐久神父であり、ミサも二つ、教会委員会も二つなら、入門講座や聖書講座も二つずつ、当然司祭館も二つで、半分ずつ暮らすことになります。
そう聞けば大変そうに聞こえるかもしれませんが、実は以前、青梅と五日市という二つの教会を担当した経験があり、それはそれでいい面もたくさんあって楽しかったので、むしろ、「わーい、二つも任せてもらえる!」という思いです。一つでもこんなに大きな恵みがあり、実りがあるのだから、二つなら倍、いや、二つならではの相乗効果で倍以上の、さまざまな喜びが生まれるということを知っているからです。
多摩教会は、七年間の在任となりました。これは、私としては最長期間です。この間、「荒れ野のオアシス教会をめざして」をスローガンにして、「福音を語る教会」、「人々を受け入れる教会」、「家族として共に生きる教会」を目指してきましたが、この七年間で、ある程度の実りはあったと言えるのではないでしょうか。
この間に新たに生まれたグループを見れば、分かりやすいかも知れません。受付チーム、入門係、病床訪問チーム、教会ショップアンジェラ、カフェオアシス、合唱グループ葡萄の実、侍者会、ホームページ福音の村、おやつの会、初金家族の会、青年会、後期青年会、混声合唱団カルペ・ディエムなどなど。イベントの実行委員会としては、祈りと聖劇の夕べ、心の病に苦しんでいる人のためのクリスマス会、心の病に苦しんでいる人のための夏祭り、そして先月の祈りと歌の夕べ、聖劇ミュージカル「みんなの家」などなど。また、第一日曜日のいやしのミサや、第三日曜日の心のいやしを求める青年の集いも、毎月続けてきました。
これらはすべて、「福音を語る」ため、「人々を受け入れる」ため、「家族として共に生きる」ためのグループです。あってもなくてもいいようなグループではありません。キリストの教会として、神の国の目に見えるしるしとして、多摩市聖ヶ丘に十字架を立てて看板を出している教会として、あってあたりまえのグループばかりです。
浅草と上野というところは、人の集まるところです。伝統があり、文化に恵まれ、若者が多く、交通の要所でもあります。苦しみの中で福音を求めている人、孤独の中で教会家族を求めている人も、大勢いることでしょう。そこに十字架を立てて看板を出している教会の使命を思う時、そのお手伝いができる喜びに心は躍ります。
司祭生活最長の七年を共にし、司祭生活最良の教会家族を離れていくのは、正直言って本当にさみしい思いです。しかし、神のみこころは常に前を向いています。晴佐久神父、二つの十字架、二つの看板の元へ出発です。
思い浮かべてください。二つの受付、二つの入門係、二つのカフェ、二つの青年会、二つの教会家族、二つの「みんなの家」!