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2002年7月号 No.347 2002.7.13

「福音的使命を生きる」ために準備を始めましょう 宮下 良平 神父
2 ホームページ準備委員会議事録 岩藤 大和
3 「福音的使命を生きる」のポイント 加藤 春彦
4 ロザリオの祈りについてのご案内 典礼部
5 ポーランドでの思い出 尾崎ひろみ

小教区再編成「福音的使命を生きる」ために準備を始めましょう

                                 宮下良平 神父

 6月29日に発表された「福音的使命を生きる ・・新しい一歩のための提案・・』 をもうお読みになったでしょうか。昨年発表された『新しい一歩』では、何がどのよ うになるのかビジョンが見えてこない内容でしたが、一年間のいろいろな機会と場で の討議を経て、今度の発表された提案は、ある程度具体的な提案がなされています。
 ところで、私たちにとっての大きな関心の一つは、多分、どこの教会と協力してゆ くかということではないでしょうか。今回の宣教協力体の編成案によって、多摩教会 は府中教会、調布教会と同じ宣教協力体になりました。これは『京王線トライアング ル』宣教協力体とでも言うものです。
 今までの小教区を大きくグループ化していた地域協力体は、だいたい地理的な分類 地域を範囲としていました。多摩地域協力体は一般に東京多摩地区と呼ばれている広 い地域の8つの教会(小教区)がありました。
 今回の編成案の基本的考え方は、首都圏の鉄道を利用する人の流れを考慮して、同 じ鉄道路線で近い距離にある3〜4つの教会が同じグループ(宣教協力体)になってい ます。したがって、現在の地域協力体の枠内での再編成ということには必ずしもこだ わっていないものとなっています。多摩教会も、現在の多摩地域協力体の小教区との グループ化ではなくなりました.
 さて、今回の編成案を提案されて、はたと気づかされることは、この3つの小教区 (聖堂共同体)は、京王線を介して近いということでした。多摩教会はこれから府中 教会・調布教会の方々と、どのように宣教協力体とし て福音的使命に取り扱うかを模索してゆかなくてはなりません。
 『福音的使命を生きる』の7Pに、福音的使命の3つのポイントが述べられています。
 1. 福音のメッセージを伝える。
 2. ともに賛美と感謝を捧げる,
 3. 互いに助け合い、まわりの人を助ける。
この3つのポイントを踏まえながら、3つの 教会の信徒が先ず出会い、知り合いになりな がら、具体的なことをどのように行ってゆくのか話し合われてゆくことでしょう。
 多摩教会の信徒の私たちも、自分たちが託されている福音的使命を再認識、再確認 することを個々人としても初めてゆかなくてはなりません。


 ところで、この 「福音的使命を生きる」の提案を受けて、各地域協力体の小教区 で出された意見を集約して、地域協力体ごとに教区事務局へ提出しなくてはなりませ ん。そこで、これからの小教区再編成へ向けての具体的準備の予定をお知らせいたし ますのでご承知おきください。



ホームページ準備委員会議事録                 岩藤大和
開催日時:2002年 6月16日11時30分〜12時10分
開催場所:執務室
出席者 :宮下神父・ 新井孝利・谷内正彦・井上信一・松原 睦・斉藤 浩・岩藤大和

 新たな福音宣教の手段として、多摩教会のインターネットホームページ掲載を目指し て、初めての会合が行われた。出席できなかった加藤(泰)さんからの提言メモをた たき台に以下の討議がされた。
・ホームページは新たな手段であり、見る人全てに開かれた福音宣教であること。
・魅力あるものにするために1.全体のつくり、2.日々の更新、3.アクセスへの迅速な 対応が大きな課題になる。
・ハード面ではしっかりしたサーバーの設置が不可欠である。NTTのレンタルなど手 段は色々ある。
・ソフト面でもホームページを更新管理する専任的なグループが必要である。
・全国小数区のホームページの調査をすることと、わたし達は何を伝えたいのかをし つかり考え議論すること。
・手始めに教会の紹介から始めてはどうか.
・電話代わりに最新情報を若いセンスで、利用してもらえるものにする。
・出きれば日本語だけでなく英語,他の外国語も視野いれる。

ホームページの内容をどのようなものにするか案を作ることにした。


「福音的使命を生きる」のポイント
                                       加藤春彦(南大沢)

 ちょうど一年前、岡田大司教のメッセージ「新しい一歩」が出され、東京教区の新 たなうごきがはじまりました。今回、教区の再編成プロジェクトチームからそれをさ らに一歩進める、「福音的使命を生きる・・・・・新しい一歩のための提案・・・・・ 」が出されました。
「新しい一歩」の中ですでに触れられていたように、来年春から東京教区を20くらい の宣教協力体に再編成し、次の段階ではこれらの宣教協力体が、従来の小教区の役割 を果たすようなります。今回、多摩教会は府中教会と調布教会とともに、宣教協力体 を作っていくことが発表されました。
 さて、来年春から新たな体制で動き始めますが、今大切なのは、この二つの教会と どのようにつきあっていくか、というようなことにとらわれる前に、こうした新しい 動きが、「何のために行われるのか?」を十分に考え議論することだと思います。
 「教会は今のままではタメだ」という深刻で緊急な問題意識がその出発点になって います。新聖堂のできたばかりの居心地のいい多摩教会では、そんなことあるのかな あ? と思われる方も大勢おられると思いますが、東京の教会、日本の教会はいくつ もの問題に直面しています。司祭の高齢化と召命の減少、日本人信徒とほぼ同数いる と言われる、滞日外国人信徒のケアの問題、何よりも若者が集まらない・_・あげれ ばきりがありません。
 教会を取り巻く環境、教会の抱える現状これらを変えていくために、私達は原点に 戻らなければならない。それが「福音的使命に生きる」ということだというのが今回 の文書の中心です。
 今後の動きを理解するためにも、この文書をゆっくり読んでみることをおすすめし ます。今後、教会内でこの文書を話題に話し合うことも必要だと思います。いずれに せよ、とても重要な文書です。
 余力のある方にはもう一冊今回の問題を考える上で、沢山のヒントを与えてくれる 本を紹介します。大阪教区の中川神父が最近出された「妖怪の棲む教会」(夢窓庵  定価970円)。カトリック新聞などでも話題になっている本です。



ロザリオの祈りについてのご案内
                                      (典礼部)

 ロザリオの祈りは、聖母マリアへの崇敬と神への執り成しを願うカトリックの伝統 的な祈りです。最近洗礼を受けられた方には耳あたらしい祈りかもしれませんので、 カトリック中央協議会発行の小冊子「ロザリオの祈り 3ページ、はじめに」から引 用し、案内に代えさせていただきます。尚、8月24/25日に予定されている田村助祭 司式の集会祭儀のあとで、このロザリオの祈りを三連(下記参照)唱えることになっ ています。祈りの意向等詳細につきましては後日案内させていただきます。

 『ロザリオの祈りは、イエス・キリストの生涯を黙想しながら、わたしたち一人ひ とりの心の母である聖母マリアに心を合わせて祈る信心です。一人で、家庭で、また 教会の仲間とともに祈ることが勧められます。
 この祈りは、喜び(受肉)、苦しみ(受難)、栄え(復活)の各神秘が五つずつ、 計十五の黙想から成り立っています。一つの黙想をするときは、ふつう以下に記され ている黙想への招きを初めに唱え、続いて主の祈りを一回、聖母マリアへの祈りを十 回、結びに詠唱を唱えます。これが「一連」です。「五連」すなわち各神秘の五つの 黙想がまとまって「一環」になります。
 一日に一環を唱える場合は、喜びの神秘を月曜日、木曜日に、苦しみの神秘を火曜 日、金曜日に、栄えの神秘を水曜日、土曜日、日曜日に黙想する習慣があります。ま た、一環を続けて唱える場合、その前に使徒信条、主の祈り、聖母マリアへの祈り (三回),栄唱を加えることもできます。
 「ロザリオ」とはバラの冠という意味で、聖母マリアへの祈り一つひとつを一輪の バラとみなすところからきています。(カトリック中央協議会)』

 ロザリオの祈りの詳細については、「カトリック祈祷書」(東京教区司祭協議会編、 53ページ)、「カトリックの祈り」(サンパウロ編、127ページ)等をご参照くださ い。尚ここでいわれている「聖母マリアへの祈り」とは、以前は文語体の「めでたし 聖寵満ちみてるマリア.・・・」で始まる「天使祝詞(アヴェ・マリア)」のことで すが、最近では「恵みあふれる聖マリア・・・」で始まる口語体のお祈りが親しまれ はじめています。以上 (文責:内山)


 ポーランドでの思い出
                         尾崎ひろみ(南大沢)

ワールドカップ開会式のあった5月31日から13日間、あるツアーに参加して中欧の国々 を訪ねてきました。
 旅に出掛けるにあたっては、これだけははずせないというポイントを決めているの ですが、今回の旅の目的はオシフィエンチム(アウシュビッツ)に行くこと。そして 強制収容所の中で行われたことを、過去の事実としてしっかり受けとめてくることで した。宮下神父様が撮影されたビデオを、昨年拝見した時点では、「いつか行ってみ よう。」と思う程度だったのです。ところが春の観光シーズン到来とともに「行こう! 」に変化していました。映画『ぼくの神さま』を見たことも「行こう!」という気持 ちを後押ししてくれたと思います。
 催行人員がなかなか集まらず、3度目にしてようやく出発できることになったこの 旅で、思いもかけない大きなプレゼントを受け取ることになりました。
 それはツアー2日目のこと。ジェラゾーバポーラにあるショパンの生家の見学を終 えて、ガイドのアンナさんとショパンのことや、庭の植物のことなどについて雑談し ていたときでした。話のついでに、払がカトリック教会に所属していて・教会の守護 聖人がコルベ神父様であることを話しました。多摩教会のことを話題にしたおかげで ワルシャワヘの帰途、なんとニエポカラノフに立ち寄ることになったのです。アウシュ ビッツに行く前でしたので同行した方のほとんどは、コルベ神父様の名前すらおそら く聞いたことがなかったと思います。ミサ中のため聖十字架教会に入場できなかった そのかわりということで変更できたのでしょうが、私のたったひと言で旅程にない修 道院に立ち寄ることになってしまいほんとうにゴメンナサイ!でも私にとつては、今 回の旅でのハイライトと言つてもいい出来事でした。
 聖母の騎士修道院は国道から少しそれた場所にあり、とても静かでのどかな雰囲気 のするところでした。パスが駐車したすぐ近くに木造の建物があり、それは以前礼拝 堂だったのですが、今はコルペ記念館になっているのだそうです。バスを降り、コル ベ神父様の像の前でカメラのシャッターを押していると、他のグループ見送りのため 出ていらしたブラザーが、日本から来たツアー客に気づいてくれました。そしてコル ペ神父様といっしょに写真を撮ろうと、私たちを呼びよせてくださったのです。アン ナさんに通訳をお願いして多摩教会の守護聖人がコルベ神父様であることを伝えよう としたのですが、はたしてうまく伝わったかどうか・・・。
 聖堂の中にも入ってゆっくりお祈りしたかったのですが、なにしろ予定外のこと。 外観のみをさっと見学してきたという感じになってしまいました。それでも私の心が 満ちあふれていたことは言うまでもありません。神様に感謝。
 その日はいったんワルシャワに戻り、3日目はクラクフ、そして4日目にヴィエリチ カ岩塩坑を見学した後、旅のいちばんの目的であるオシフィエンチムに到着しました。 どんなものが展示されているかまで熟知しているつもりでしたが、実物の衝撃は予想 以上に大きかったです。ある意味ではヒロシマやナガサキで経験した以上の衝撃だっ たかもしれません。その証拠に、底抜けに明るくておしやペリ好きなツアー仲間のだ れひとりとして言葉を発することなく、沈黙のまま展示物に見入っておりました。女 性にとって命とも言える髪の毛の山や、子ども用の小さな靴を見ていると、同性とし て、彼女達の無念のおもい が強く伝わってくるような気がしました。
 それと同時に、「もし自分がここに収容されていたとしたら、あるいは看守の立場 になっていたとしたらどう行動したであろうか」という自問自答をずっと続けていま した。『夜と霧』に書かれていることや、最近公開された『エス』でえがかれている 心理実験のことが何度も頭の中をよぎりました。このような異常な状況に置かれたと したら、心の片隅に潜む残虐性や狂気が、私という人格の前面に押し出されてくるか もしれないというおもいもありました。自問自答のすえ、コルペ神父様のような道を 選択する可能性もあるんだという結論に到達したときは、カトリックの信者であるこ とに心から感謝したい気持ちでい っぱいでした。
 しかしそれですべてがすっきりしたわけではありませんでした。収容所の中でずっ と居心地のわるさを感じていたもうひとつの理由は日本がドイツの同盟国であったこ と。それだと思います。ビルケナウ(第2収容所)の門を出たところで、自転車に乗っ たおじさんが私たちに「ジャパニーズか?」と聞いてきました。「そうだ」と答える と、アルコールが入っているらしい赤ら顔でそうかそうかというようにうなずいて立 ち去って行きました。真意を確かめることはできませんでしたが、もしかして日本人 もドイツ人と同じようなことをしていたんだよな。」と言いたかったのだろうか。た だ単に国籍を確認したかっただけかもしれませんが、あの場所で聞かれたということ はかなりの重みをともなって響いてきました。
 中国や韓国をはじめとするアジア各地に日本人が残してきた負の遺産を訪れること でこの旅を終結できるのかもしれない。突然の大雨で、青空の下で見たのとは一変し てしまった収容所をながめながらそんなことを考えました。


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