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2009年11月号 No.435  2009.11.21

天国的な会食
晴佐久 昌英 神父
感謝 感謝 北村 勝彦・真美
ロアゼール神父様司祭叙階金祝おめでとうございます 北村 司郎
足が痛くてミサで立っていられない! 石塚 時雄

天国的な会食

                              主任司祭 晴佐久 昌英

 ミサや講演の依頼を受けて全国の教会を訪れる機会が多く、さまざまな小教区を見てきました。いずこもそれなりにがんばってはいるのですが、いくつかの共通した問題を抱えていて、役員の方が思案している姿は見慣れた光景です。たとえば、信者が高齢化して若い人が少ないとか、新たに洗礼を受ける人がほとんどいないとか。なかでもよく聞く悩みは、「信者同士の関りが希薄でミサが終るとみんなすぐに帰ってしまう」というものです。確かに、よほどの大教会でもない限り、日曜日の昼過ぎてもなおにぎやかな教会はほとんど見かけません。むしろ駅前の喫茶店が親しい信者同士でもりあがっているという話を聞くこともあります。
 日本のカトリック教会は、まず宣教師に聖堂を建てていただき、神父様にさあどうぞと招いていただき、手取り足取り教えていただき、ありがたく秘跡をいただきと、何でも「いただく」教会として始まったので、何もいただけないならもう帰ります、というのは普通の信者の普通の思いなのかもしれません。それにそもそも、ミサが終ったころは当然おなかもすいているわけで、さあ帰ってお昼にしようというのもごく自然な話。せっかく集った信者さんたちが、ミサの後も今ひと時教会に残って親しく交わるというのは、そう簡単なことではないようです。

 ところが、多摩教会に来てみたら、なんと信者さん相互の奉仕による軽食サービスがあるではありませんか。ミサの後、ごく当たり前のようにみんなホールに集って、親しくおしゃべりをしながら一緒にお昼を食べている様子に感動しました。当人たちには見慣れた光景かもしれませんが、こんな天国的な会食を実現している教会は滅多にあるものではありません。久しぶりに会う方と話が弾んだり、たまたま同席した人同士が紹介しあったり、これこそ教会家族の食事というべきでしょう。さすがに信者たちが自らの手で立ち上げた多摩教会、単に「いただく」ばかりでなく、互いに「差し上げる」という教会の本質が生きている教会だとの感を強くしました。
 考えてみると、教会の本質は一緒に飯を食うというところにあります。イエス自身が常に宴の真ん中にいましたし、従う婦人たちはそれぞれのものを出し合って旅する共同体の食事を支えていました。イエスと弟子たちの一致の極みである最後の晩餐においてイエスは、「この食事をしたいと切に願っていた」と言い、「この食事をこれからも行いなさい」と命じます。復活の主はエマオに向う弟子たちに現れて食事を共にし、湖のほとりでは朝食を用意し、弟子たちの真ん中に現れたときには「何か食べ物があるか」と尋ねて魚を食べます。初代教会が「家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし」ていたのは、ともに食事をすることこそが、イエスとひとつになり、信者がひとつになり、教会が神の国の宴の目に見えるしるしになるための、最良の方法だと知っていたからです。

 いうまでもなくその教会家族の食事はミサとして実現しているわけですが、その意味では軽食サービスの食事は、実はミサの一部なのです。聖体拝領した信者たちが、その喜びを互いに分かち合い、今ひと時教会という家族を味わう食事ではないでしょうか。
 そうは言っても、奉仕する人たちの努力は並大抵ではなく、長年続けているうちに手伝う人も減り、体力的な問題もあって、このまま続けていけるだろうかという声も上がってきました。そこで以前より各地区を中心に話し合いを重ね、担当者で相談した結果、それでもなんとか工夫を重ね、できる範囲でもう少しがんばっていこうということになりました。軽食サービスが各地区で輪番になっているのは、互いに仕えあい、奉仕し合うことに意味があるからです。ぜひ、みんなでこの天国的な会食を大切にし、誇りにしていきましょう。いっそう多くの人に食べていただきたいですし、そのためにも新たにお手伝いくださる方を求めています。どんなお手伝いでも結構ですから、お申し出ください。忙しい中、真心で奉仕している信者の姿は、何よりの宣教でもあります。ご聖体でイエスさまに食べさせてもらった信者たちは、イエス様と共に食べさせる側になっていくのです。

感謝 感謝

                              北村勝彦・真美

 10月25日。今秋一番の冷え込みの日曜日。
みなさまのお祈りの中、娘は洗礼のお恵みをいただくことができました。
また、暖かい言葉やお祝いを賜り、家族一同とても幸せな気持ちでいっぱいになりました。
どうもありがとうございました。心より御礼申し上げます。
 今回は、幼児洗礼を授ける親に対して、神父様が勉強会を開いてくださいました。
その中で「こどもの信仰を育てるのは親の努力が必要。ちゃんと家族でミサにあずかって欲しい」と話されました。
 また、幼児洗礼は特に、洗礼を授けっぱなしではだめで、こどもに信仰を育み根付かせるために、親がブレないこと。親がこどもの信仰教育に全面的に責任があること等々。何もかもが心にストレートに届くお話しでした。
いつも神父様の言葉には心を動かされますが、今回は親としての自覚を促されました。
 ミサが始まると、私たちはとても感慨深い思いでいっぱいになりました。
実は私たち家族は、5年前の晴佐久神父様司式の婚約式から始まっています。
当時は、2人で毎年恒例の無人島ツアーなどで、そこに集まる仲間たちと神父様と共に楽しく有意義な時間を共有させていただいておりました。
 そして今年。神父様は多摩教会にまさかの異動!
額に聖水を受けてもスヤスヤ眠る3ヶ月の娘を見ながら、、なんともステキなご縁の中で受洗させていただいていることに感激し感謝しながら、当時のことを思い起こしておりました。
 マリア・フランチェスカ・ラファエラ
前日の夜中まで、2人で迷いに迷って決めた洗礼名です。
これから娘はこの名前に導かれ支えられて、みなさまの中で成長させていただきます。
今後とも親子ともどもよろしくお願いいたします。

ロアゼール神父様司祭叙階金祝おめでとうございます

                              北村 司郎

 去る11月3日、おとなりの高幡教会でロアゼール神父様(以下ロアさんと書かせて頂く)の司祭叙階金祝のお祝いが行われた。奇しくもこの日はロアさんの75回目の誕生日でもあった。多摩教会は創立当初ロアさんに随分お世話になったので、その思い出を記しながら金祝のお祝いを申し上げたい。
 私がロアさんを知ったのは1971年の秋だったと記憶している。多摩教会はまだ創立していない。当時ロアさんは高幡教会の主任司祭であった。このニュータウンといっても、諏訪、永山、愛宕くらいしかなく陸の孤島と揶揄されていたが、そこに住む信徒たちで何とか教会をと歩み始めた際に、ロアさんは周辺教会の司祭の一人としていろいろと相談に乗っていただいた。それが多摩市での最初の白柳大司教様(当時)による家庭ミサにつながっていったのである。 71年12月26日のことである。その日ロアさんは私たちの後ろでオルガンを弾いて初ミサのお手伝いをしてくれた。ミサ後、多摩の地に教会をという白柳大司教様への我々の要求にも付き合ってくれた。
 多摩教会が誕生する72年春までの数ヵ月間、この地域に住む信徒の名簿を届けていただ<など多摩教会誕生の手助けをしていただいた。誕生後の8月15日被昇天を聖蹟記念館で行ったが(当時、皆が集まれる聖堂を持っていなかった)司教様、寺西主任神父様、とロアさんの共同司式だった。
 この2つの出来事の写真は献堂式の時のしおりに載っているので若き日のロアさんを見ていただきたい。
 その後は多摩プロックでの中高生の練成会で当時の中高生はお世話になったはずである。現在は40から50歳ぐらいになっているのだろうか。私は2度ほどしか参加していないが、野外活動の楽しさなどずいぶん学ばせていただいた。
 教会がおとなりということもあって、教会のキャンプを高幡の教会をお借りして行ったり、多摩教会の活動のひとつにベトナム難民の援助活動を行ったが、それにも高幡の信徒の方々が多くの援助をしていただいた。

 聖書の民の歴史観は我々のそれと反対で、過去が背後ではなく前の方(ケデム)にあり、未来は逆に後ろ(アハリート)にあると聞いたことがある。神様がこの歴史の中に介入しヘブライ人たちの民族に何をしてくれたか、それを目の前に見ていれば、将来は安泰ということであろう。私たちもそれに学ぶことも必要であろう。神様がロアさんを通して私たちの教会のために大きな恵みを与えてくれた。そして今もそれが続いている。それを目の前に見ることが必要であろう。ロアさんはそれを50年もの長い年月にわたって、いろいろな場所、時に行って来たことに感謝したい。特に多摩教会のためにはまだ教会として存在する前から、私たち信徒と関わり指導をしていただいたことを改めて感謝したい。ロアさんどうもありがとうございました。そして、叙階金祝、本当におめでとうございます。


足が痛くてミサで立っていられない!

                               石塚 時雄

1.私の足は悪く立っていられない。ミサは立つ時間が多いのでとてもつらい。先週もミサがおわった時、隣のご婦人から“ずいぶん、足がつらそうですネ”と声をかけられた。ミサ中、座ったままでいることも考えられるが、そんな人は見渡したところ聖堂内に誰も
いない。80歳、90歳の先輩方もちゃんと立っている。だから私も頑張って立ち続けよう。立つことに一生懸命、だから聖歌や祈りはもちろん聞いていない。南大沢の豊嶋氏がやってきて”来週のミサで「先唱」をやってください”と言う。“座ってやる仕事ならなんで
もやるから、「先唱」や「聖書朗読」だけは勘弁してください”と頼んだ。私は「身体障害者」となって、つくづ<「健常者」がうらやましい。この世の中で私だけが不幸なのだ
と考え込んでしまう。

2.ところがそうではない。東京教区「こころのセミナー」全3回の井貫正彦・精神科医の講義を聞いた。麹町教会の会場は毎回数百人の聴衆で埋め尽くされた。岡田大司教、幸田司教が毎回ていねいに会場の進行をリードする。3回の講義は「うつ」、「統合失調症」、 「トラウマ」について実に分かりやすく教えてくれた。ずいぶん大勢の方がこの“精神疾患”にかかっている。うつやトラウマで苦しんでいる方は実に多いのだ(麹町教会の会場を埋めた聴衆の多くが実は精神疾患に苦しむ信者であったと思います)。今、上映中の映画『沈まぬ太陽』[日本航空の540名御巣鷹山墜落事故死]の登場人物を引用して井貫医師は
◆息子・孫―家を航空券を送って呼び寄せた(飛行機事故死)老人
◆不倫のため搭乗日を交替してもらったために命拾いしたスチュワーデス
を例にあげ、一生、消し去ることのできない“トラウマ”にある人たちを説明した。
苦しんでいる人は大勢いる。私だけではない。

3.それにしても、この映画『沈まぬ太陽』は余りに面白い。山崎豊子原作のこの超大作を映画化するのは(日本航空は当然猛反対)想像を絶する苦労があったハズ。
鐘紡出身の伊藤会長が中曽根総理に短期間に解任された裏事情が映画では私にとって最もビックリしました。ぜひこの映画を見ましょう!実に面白いよ!

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