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2009年4月号 No.428  2009.4.18

はじめまして
晴佐久 昌英 神父
聖堂建設資金返済完了を祝して 井上 信一
洗礼の日を迎えて 小塚 和恵
伊藤淳助祭の叙階式 加藤 泰彦

はじめまして

                            主任司祭 晴佐久 昌英神父

 はじめまして。
 多摩教会のみなさんに、そんな心躍るご挨拶をさせていただきます。
 すべてはこの「はじめまして」から始まることに、私はいつも感動しています。
 生まれたばかりの赤ちゃんを抱きしめて、「はじめまして」。
 かけがえのない親友になるとも知らずに、「はじめまして」。
 数年後に神のみ前で愛を誓い合う二人が、「はじめまして」。
 いつの日か神の国の完成の日に、天の父のみもとで共に感謝と賛美を捧げることになる信徒と司祭が、「はじめまして」。
 あらゆるすばらしい未来が、この「はじめまして」のうちに秘められています。すべての「はじめまして」は、神の結んだ神のわざだからです。

 神は、神の国の完成の日に向けて、今もいつも創造のわざを続けておられます。人間は、その創造のわざの大切な協力者として造られました。神はある特別な力を人間に与え、人間がそれを用いて創造のわざに参与するようにお定めになったのです。
 その特別な力とは、互いに愛し合う力です。
 私たちが愛し合い、赦し合い、祈り合い、助け合うとき、私たちは神の創造のわざに奉仕しているということです。神が私たちを出会わせるのは、ひたすらそれを願ってのことにほかなりません。
 だれかと出会い、「はじめまして」と挨拶するとき、それは単に人と人が初めて顔をあわせているだけのことではなく、その二人の出会いのうちに今まさに神の国が始まっているという、心躍る瞬間なのです。

 前任の高円寺教会でも、本当にすばらしい「はじめまして」が溢れていました。司祭、信徒、信徒の家族、求道者、様々な人同士の様々な出会いによって様々な「はじめまして」が生まれ、それはある人にとっては神との「はじめまして」ともなり、やがてその人が復活祭に洗礼を受けるなんてことも、たくさんあったのです。
 ある大学生は、たまたま高円寺教会の前を通りかかったとき、にぎやかな音が聞こえてきたのでなんだろうと立ち止まったら、入り口の売店にいた入門係に声をかけられて、ちょうどホールで開かれていた青年たちのライヴコンサートへ案内され、次々と「はじめまして」と紹介されてみんなと友達になり、その日は打ち上げにまで参加して神父から福音を語ってもらい、その後教会へ通い始めました。悩みを抱えて苦しんでいたその彼は少しずつ元気を取り戻し、入門講座にも出るようになり、今年の復活祭に洗礼を受けました。受洗を決心して司祭面接をしたとき、彼は言いました。「あの時声をかけてもらえなかったら、ぼくはどうなっていただろう」。
 私の在任中の六年間に、高円寺教会で洗礼を受けた人は、五百四十一人です。その全員と、私はある日出会ったのです。「はじめまして」、と。ある日偶然のように出会った人と「はじめまして」と挨拶するとき、思わず感動してしまう理由が分かっていただけるでしょうか。

 このたび、多摩教会に受け入れてくださり、本当に感謝しています。これからどんな「はじめまして」が待っているのか、わくわくしています。私はみなさんとの出会いを、神のはからいと信じています。みなさんも、一人の司祭との出会いを神のみこころと全面的に信頼して、共に創造のみわざに協力していきましょう。たくさんの「はじめまして」が溢れる、心躍る教会になりますように。


聖堂建設資金返済完了を祝して

                               井上 信一

 1996年6月に当教会の臨時信徒総会が開かれ、本聖堂の建設計画が信徒の総意として決まりましたが、その時、聖堂建設のために計上された予算は、1億2千万円でした。それから大聖年である2000年の献堂に向かって、建設資金を確保するために、たくさんの方々が、個人やグループで様々な努力と犠牲を払ってきました。月定の建設献金だけでは、どうしても目標をクリアーできそうもないので、「生きた石造り献金」というウルトラC並みの特別献金も強行されました。こうして、過去の蓄積資金も含めて、2000年までに何とか1億2,500万円という資金を私たち自身の手で集めることができました。
 しかしながら、いざ建設の段階に入ろうとした時、予想以上の経費が掛かることが分かりました。それは一つに、喧々がくがくの議論の末、現実として無視できない車社会に対応するため、地下駐車場がどうしても必要であるという結論を出したことです。もう一つは、ボーリング調査の結果、地盤が予想以上に弱く、鉄鋼の杭打ちを行わねばならなかったことです。
 結局、建設工事、付帯工事、設備・調度品調達などで、総計2億2千万円の資金が必要となりました。大聖年の献堂という目標を実現するためには、もう教区の支援に頼るしか方法はありませんでした。こうして、教区の「相互扶助制度」による有利子の5,500万円と建設支援制度による無利子の5,000万円の借り入れを実施することになりました。これらの借入金は、5年以内に返済するのが規則ですが、多摩教会の信徒数からして、この両方の借金を5年で返済することは無理と判断して頂き、10年での返済を事実上認めて頂きました。教区本部の暖かいご理解に今でも感謝の気持ちを忘れられません。
 そして、2000年の5月に予定通り献堂式を執り行うことができたことは、本当に幸せなことでした。それから9年と3か月、皆様一人一人の忍耐と犠牲により、返済は粛々と行われ、ついにこの3月で全額を無事返済することができました。本当に多くの方々が、この聖堂建設という目標に向かってエネルギーをつぎ込み、心を一つにして歩むことができたからです。個人献金だけなく、バザー、軽食サービス、コルベ会を中心とした販売活動などによる収益金も総計すると相当なものです。それはたくさんの方々の苦労の積み重ねです。また、現在多摩教会にいる私たちだけでなく、多摩教会から転出された方々、そしてすでに天に召された方々にも感謝しなければなりません。さらには、多摩教会の外からもこの建設プロジェクトに、多くの支援をして頂いたことも忘れてはなりません。その一つの例として、お隣の高幡教会の皆さんが、「愛の輪を広げよう」という趣旨で、2000年の5月にバザーの利益の全額を聖堂のために献金して頂きました。有り難いことでした。
 何もなかった多摩の地に一粒の麦の種が播かれ、それが少しずつ育ち、ついに現在のような聖堂を持った共同体になりました。昨年11月に森司教様が話された「教会の原点」が何であるのかをもう一度思い起こしながら、この返済完了を皆で喜び合いたいと思います。

洗礼の日を迎えて

                               小塚 和恵

思えば 幼稚園の時に聞いた聖書のお話し、クリスマスの劇。
学生時代の朝の祈り、聖書の時間、そして日曜学校。

でも それらはたまたま与えられた環境でした。
その思いが 心の片隅に小さく丸まっていて “パチン”とはじけたのは
いつの頃だったか・・・

もう一度聖書を勉強したい! 祈りたい! と思い、この多摩教会にまいりました。
一年と少しのわずかな時間でしたが、加藤神父様のもと、聖書を開き、さまざまなお話を伺い、今日の日を迎えました。

これからは、神父様に最後に頂いた“ゆっくり ゆっくり”と言うお言葉を胸に 自分らしく感謝の心を持って、神と共に歩んで行きたいと思います。
加藤神父様、快く代母を引き受けて下さいました、金沢もり子さま、そして何も知らない私をお仲間に入れて下さいました、勉強会の皆様。本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願い致します。


伊藤淳助祭の叙階式

                                加藤泰彦(南大沢)

 3月15日(日)高幡教会で伊藤淳神学生の助祭叙階式が行われました。
 大学生の伊藤淳氏に立川教会で初めて会ったのは、もうはるか昔のこと。一緒に多摩ブロックの仲間として活動したあと、大学を卒業して彼はサラリーマンに。ところが、少しして企業を辞めカトリック女子高の先生に。もうベテランと呼ばれる年齢になった頃、今度は神学校へ。その間、彼がずっと考えていたことは福音のメッセージを伝えること。サラリーマンとして、カトリック校の教師として可能性を捜し求めていたけれども、何か物足りない、そのもどかしさがいつしか司祭の道という選択に最終的につながりました。この叙階式に与りながら、これまで彼が歩いてきた道のりを思い起こし、大きな計らいの手が、私たちが見つめている彼の背中をここまで押し、導いて来たのだなとつくづく思いました。
 幸田司教の司式で始まった式は、聖堂からあふれんばかりの人々の祈りと歌に包まれました。説教で幸田司教から「あなたが選んだことは、とんでもない事です」という発言が出ましたが、それは叙階の宣誓の言葉「神の助けによって」はじめて可能になることなのだなあと思いました。
 式後は隣接する光塩幼稚園の園舎に移りパーティが開かれました。伊藤師は挨拶で、学生時代に多摩ブロックの活動をしていた折に寺西師から言われた「神学校へ行けよ」という言葉がいつも頭のどこかにあったことを明かされましたが、当の寺西師はもうかなり前なのであまり記憶に無い、「あの頃は、男には皆に言っていた」とのことで皆の爆笑を誘いました。式に参加された元有名アイドルの歌などもあり、手作りのあたたかいパーティでした。
 来年の今頃は、新司祭としての彼の姿を見ることになるでしょう。今からその日が来るのを楽しみにしています。

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