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2009年3月号 No.427  2009.3.14

主イエスと出会い、再び会うために〔二〕
加藤 豊 神父
恵み多き6年間 岩藤 大和
感謝の言葉 新谷 ときわ
お体に気をつけてお過ごし下さい 増島 亮
送辞 塚本 博幸

体には気をつけて下さいね 宿里 春奈


主イエスと出会い再び会うために〔二〕

                              加藤 豊 神父

 「然様」。
 さようです。「自然」「天然」の「然」に「様」です。「然」とは、「そう」という意味、そうです。「然り」のことです。
 「アーメン」、それは「然り」。キリスト者は祈りの度に「わたしの拠り所はキリストです。然様です」と結んでいるのです。
 ところで、日本語の別れの挨拶は「さようなら」です。これは「然様ならば」からきています。つまり「そういうことなら」です。とはいえ、何の脈絡もなく「そういうことなら」と唐突にいわれても意味不明です。当の日本人でもよく解らないでしょう。「そういうことって、どういうことだ?」となります。ですから単語の伝達のみならず「文脈」や「行間」がわたしたちのコミュニケーションを左右しているのは確かです。否、むしろ「文脈」や「行間」が日本語文を解く鍵となるのかもしれません。
 「さようなら」の声が響くとき、そこでは気持ちや主張が直ちに言葉と結びついているわけではないので、いったいどういう関係性のなかで相互の挨拶が交わされているのか、その「文脈」や「行間」が解らなければ解りません。
 こうした点には、善さもあり、悪さもあり、いまとなっては日本人であるわたしたち自身がそのことをある程度自覚してはいますが、ただ、そういう言語感覚の背後には、それぞれの「人」が、それぞれの「然様」を受けとめ、そして「然る後に」あらためて歩いていこうとする姿勢、「人の心」と「時の流れ」との調和を志す感性が秘められていると思います。
 「然様」を土台に「自己」というものをとらえ、そのうえで未来へとその「自己」を傾ける、それはとても実践的なことで更なる未来もそこから芽生えてきます。ところがこんにち、多くの場合わたしたちは本来の「実践的」な思考と、西欧近代以降のいわゆる「合理的」な思考パターンとを混同している気がします。従って「自己を土台にして「然様」をとらえるものだから「然様」は人間次第で「如何様」にもなると錯覚してしまうことがあります。一見するとこちらのほうが「為せば成る」ふうで実践的な感じがしますが、その実こちらのほうが非現実的でありましょう。
 「然様」が「如何様」にすり変えられて、「自己」と「然様」が逆転すると、「然様」はその力を失います。そうすると「人の心」と「時の流れ」との調和が乱れます。それでもわたしたちは往々にして「自分の願望や執着が自分自身を振り回す」ということになかなか気がつかないものです。そもそも十人十色の「理」があるにも関わらず、一重に「合理的」とはこれ如何に。そして政界はパワーゲームをはじめます。ようするに今や「和洋折衷」の日本では、最も「合理的」と評される発想でさえも容易く「恐怖政治」のトリガーとなり得ることを意識しておく必要があると思うのです。特定の為政者の「理」が万物の「理」とされ、それが強制力を発揮してくると、「然様」はたちまち抹殺されます。そのことは結果的に抹殺した側にも不利をもたらし、後々「文脈」や「行間」が読み取れた頃にはもう手遅れに近い「然様」が広がっています。しかし、「斯様」な「然様」に沈もうと、人は悲しみを乗り越えていくことができるでしょう。「然様ならば」「然る後に」は「如何様にすべきか」と。
 わたしはこう考えています。誰もが皆、自分で正しいと思うことをすればいい、しかし、それを他人に強いることなどできないのが、「然様」の真であると。たとえばキリスト教徒迫害はいうまでもなくわたしたちにとって災難ですが、同様に教会の側からも非キリスト者に対して信教の自由を侵害したり、価値観を押し付けたりしてはならないはずです。「地域に開かれた教会づくり」以前に、わたしたちが「開かれたた地域に受け入れられている教会」であることを先ず感謝したいと思います。
 さて、わたしは多摩教会から移動しますが、それはせっかく慣れ親しんだみなさんとお別れしたいからではありません。かといって不本意にそうするのでもありません。一言でいえば、それは「然様」なのです(わたしが多摩教会にやってきたのもやはり「然様」なのです)。わたしたちの先祖が発見したこの「然様」と、それを礎とする「然様ならば」、それが一般には別れの挨拶だとしても、「終わりの台詞」と一括りにされてはなりません。それどころか「然様」はすべてを包み込む大海です。実際一人一人の人生には、様々な出会いと別れの繰り返しがあって、きっとそれらすべての然様という然様のうちに主イエスは共にいてくださいます。そしてそういう繰り返しがいつまで続くのかといえば、その答については既にみなさんがミサのなかで歌っておられるのです。「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」と。
 然り。アーメン。


恵み多き6年間
    加藤神父様、本当に有り難うございました

                            岩藤 大和

 み言葉を沢山、有り難うございました!
 ミサが終り、女子パウロ会の書籍訪販が行われている信徒館で、私は軽食を取っていた。隣にいた婦人からこんな話しがあった。『今日のミサのお話しは、心に沁み込むように胸にグサッと来ました。私のことを話されたかと思うくらい。易しい言葉で解りやすかったです。」今日、3月8日四旬節第2主日の加藤神父様のミサ説教では、「私、隠れキリシタン」、「私、イベント信者」などの言葉を引き合いに、ミサ自体が忘れてならない主の記念、記憶の内面化であることについて、解きほぐして話された。
 師が多摩教会に赴任されて6年間、このような心に響くお話を聞き、多くの信仰の気付きをさせて頂いたが、約1ケ月で復活祭、師の異動まで残り5週となってしまった。

 思い出を沢山、有り難うございましたた
 2002年8月、義母が亡くなり葬儀が習志野教会で行われた。司式して頂いたのが加藤師だった。その時師は司祭に叙階されて2年目、本当に若々しい司祭でしたが、厳かで感銘深い司式だったことを今でも鮮明に記憶している。司祭の高齢化が進む今、このように若い司祭が多摩教会に来て頂けたら夢のように嬉しい、と思っていた。その翌年2003年4月27日、復活祭の翌週に加藤神父様は多摩教会に赴任された。
 2004年から3年間、私は師のブレインとして、典礼・年間行事・宣教脇力体など、教会内外との係わりをさせて頂くことになった。この間は、師と信徒司徒職を通して、多くの恵みを頂いた。此処での恵みとは、御旨に気付き、今までの自分の視点を変える・回心することなどを指している。
 2008年2月25日からの、師が同行した「コルベ神父ゆかりの地ポーランド・チェコ11日間巡礼の旅」に参加した。カトリックの重厚な歴史ある各地の聖堂で、ある時はその奥の院とも言える祭壇で、師によるミサとお話しに連日与れたこと。私にとって圧巻の思い出となった。

 多摩教会はなんと恵み多き教会か!
 ミサに与る信徒の数は増加の一途、ニュータウンの中の家庭ミサに端を発した教会は、今や900名に近づいている。それもここ数年の増加が目立つ。子供達は教会学校を毎回楽しみにしている。
 念願だった聖母子像も昨年5月に建てられ、聖堂の借り入れも予定より早く今月末で完済。願ってもない発展だ。
 これは信仰を求めて人が集まる“教会”の「内面的イベント」即ちミサと、心に響くみ言葉・ミサ説教を6年間、師から頂いた信徒達の気付きの結果、と言いたい。

 少し早めですが、多摩教套5代目主任司祭・加藤神父様、6年間本当に有り難うございました。
五井・鴨川教会に移られても、健康で司牧に当たられることを、心からお祈り申し上げます。


感謝の言葉

                             新谷 ときわ

 加藤神父様をお送りする日が近づいてまいりました。新しい任地で、またどのようなお働きをなさるのでしょうか。
 金曜日、あまりお休みしないでミサにあずかり、講話をうかがうことが出来ました。初めの頃は「聖書と典礼」だったと記憶しますが強く印象に残っているのは、神父様にとって私たちは殆ど初対面の信徒ですのに、教えるとか説くとかいうのではなく、心を開いてまっすぐに信徒と向き合って語って下さっている、と感じたこと、そして私たちもそのことに誠実にお応えしていかなくてはならないと思ったことです。お話は時々飛躍し、メモをとるのが大変で、どうしてこの方はこんなに沢山の引き出しを、持っていらっしやるのかと、半ばあきれながらうかがっていますと、時間の終りにはちやんと元に戻って、スジがつながるのです。
 私は旧約聖書を、自分が好きでわかる気がする所しか読んでいなくて、片仮名の人名や数字が延々と続く所は適当に飛ばしてきました。しかし旧約が書かれた歴史的背景とか、数字の意味しているものなどを学ぶうちに、自分のいい加減な読み方に気づかされて「使徒言行録」の中の『導く者なくば、いかで悟り得ん』という言葉は、本当だなあとつくづく思います。
 神父様の御健康をお祈りいたします。


お体に気をつけてお過ごし下さい

                             増島 亮

 6年間という長い間でしたが、僕にとってはすごく短い時間たったように思います。以前神父様が説教の時に言っていた「短い時間というのは、過ごした時間の質があるということ」という意味が今わかったような気がします。
 神父様には初聖体や堅信式などで、たいへんお世話になりました。そんな神父様が離れてしまうというのは、とても寂しいことです。今まで本当にありがとうございました。
 お体に気をつけてお過ごし下さい。



                             塚本 博幸

 出会いがあるということは別れが必ず来る、とはよく言ったもので、とうとう加藤神父ともお別れをしなければならない時がやってきてしまいました。振り返ってみれば短かったこの6年間、たくさんのことを神父様から教わりました。
 まず、ギターです。中学一年の私にとって、「ギターが弾ける」ということの持つ不良性と「神父様」という神秘的なイメージが相反し、お会いするまでは全くその人物像が定まりませんでした。実際にギターを教わりながらお話しを聞いて、加藤神父のあたたかい性格にとても親近感をおぽえました。    ≒
 次に、キリスト教についてです。加藤神父からお話を聴いたのは主にミサのお説教や、夏季合宿などでの夜に行われる集いにおいてでした。中高生になってキリスト教と自分とのかかわり方を考え直さねばならない時期に来ている際に、加藤神父のわかりやすく、ま
っすぐ私の心に響いてくるお話によって自らを霊的にも、人間的にも適切に成長させて頂いた気がします。
 このように挙げていったらきりがないくらい加藤神父にはお世話になりました。ありがとうございました、という平易な言葉で片付けたくありませんので、異動先の教会での加藤神父のご多幸をお祈りして私の送辞とさせていただきたいと思います。

体には気をつけて下さいね

                              宿里 春奈

 多摩教会での6年間お疲れ様でした。長いようで短かったこの時間で、神父様はすっかり多摩教会に溶け込んで、まだずっとこの教会にいて下さるような気がしてなりません。神父様が教会学校や中高生会の合宿で、私たちに解りやすいようにお説教や興味深い話を
してくれたのを憶えています。その中にあった問い掛けは、私にとって勉強、そして財産になるものばかりでした。それと、勉強家で穏やかな神父様の無邪気で楽しい面を見れたのも合宿だったなあ、と今思い返しています。
 司祭職の大変さや多忙さは、私にはまだまだ難しく分からないのですが、苦難があったと思います。その中でも神父様はいつも笑顔で、優しく対応してくれました。頼もしい言葉に、私はどれ程支えられたでしょう。神父様にはそのような力があるのだと思います。
 あちらの教会でも、その力で多くの人の助けとなり、楽しくやっていってほしいと祈っています。神父様は体調を崩しやすいので、体には気をつけて下さいね。寂しくなりますが、多摩教会皆が加藤神父様を思っているのを忘れずに、無理をしないよう頑張って下さ
い。本当にありがとうございました。

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