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2007年12月号 No.412  2007.12.22

神事の介入 加藤 豊 神父
歌、それは賛美のいけにえ 吉田 雨衣夫  
雑感 Nさんのこと
増田 尚司

神事の介入

                                            加藤 豊 神父

 人の間で起きる出来事、これをして「人事(ひとごと)」といいます。よく、「まったく、他人事(ひとごと)だと思って….」とか、「他人事(ひとごと)のようにいうなよ…」などといったり、いわれたりしますが、この「他人事(ひとごと)」とは、もともとは「人事(ひとごと)」すなわち「それらは人の世の過ぎ行く物事である」という達観した視点から生じた表現でした。とはいえ実際には、すべては「人事(ひとごと)」だと簡単に割り切れないからこそ、よく、「とても他人事(ひとごと)とは思えない」、「決して他人事(ひとごと)ではない」などといったり、いわれたりしています。もとより人は誰も「人」である限り「人事(ひとごと)」から逃れることなどできず、その意味では、無関心な態度や言動を文字で書き記す場合、無論「人事(ひとごと)」よりも「他人事(ひとごと)」のほうが適切なのはいうまでもありません。

 ところで、神代(かみよ)のはなしを「神話」といい、それらは古今東西どのようなお国でも、およそ「人事(ひとごと)」とは一線を画した次元の異なる事象、つまり「神事(かみごと)」でありますが、そのような「神事(かみごと)」は、本来わたしたちの事象である「人事(ひとごと)」に直接的な作用を及ぼさないのが普通です。「神事(かみごと)」は通常わたしたちにとって「他人事(たにんごと)」絵空事です。昔から「人事(ひとごと)」の舞台は地上で、「神事(かみごと)」の舞台は天上と相場が決まっているのです。たとえば七月は七夕で織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)との年に一度の面会日で、その舞台は「天の川(あまのがわ)」です。もっとも七夕の起源は中国ですが、日本にも神代(かみよ)のはなしはあって、その舞台は高天原(たかまがはら)といわれる天上で、「天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸(いわと)に籠ってからは世界が暗闇に覆われた」など、今なお語り継がれる「神事(かみごと)」です。人は皆、人の世に関わり、人の営みはみな畢竟「人事(ひとごと)」で、神代(かみよ)のはなしは畢竟「神事(かみごと)」であるはずです。

 ところが、今から約2000年前、わたしたちが生きているこの地上で「神事(かみごと)」が起きてしまったのです。それをきっかけに「人事(ひとごと)」と「神事(かみごと)」とは結ばれてしまいました。この出来事は後に「新約(しんやく)」と呼ばれるようになりますが、これこそ誰にとっても「他人事(ひとごと)」ではないものです。なにしろその時に誕生したひとりの赤ちゃんは全ての人の救いのためにお産まれになったというのですから。

 さて、そうはいってもこの日本の大多数の人たちは、やはりクリスマスを一種の「神事(かみごと)」だとは認めたがらないでしょう。しかし、世間一般がどれほどクリスマスを「人事(ひとごと)」としてのみ演出し、できるだけ「人事(ひとごと)」の範疇に還元しようとしたところで、その心理(ご降誕とは無関係にクリスマスを催したいという本音)は滑稽さを増してしまうでことでしょう。否、非キリスト者の人たちにも毎年「なんか違うよなぁ…」と、感じている人が沢山いるのです。ムードに流されず、真実を見極めようとしている人たちです。 

 ひっそりとお産まれになったその救い主は、今年もきっとひっそりとおいでになるでしょう。「ご降誕」は、いわば「人事(ひとごと)」に介入してきた「神事(かみごと)」です。しかし、それがなかなかムードの域を出ないので、その神秘は今年もひっそりと人知れず一隅で祝われる祭典(秘儀)として留まるのです。それもまた意味あることなのです。

歌、それは賛美のいけにえ (第3回信徒セミナー)

                            豊ヶ丘  吉田 雨衣夫

 11月25日第3回信徒セミナーが典礼音楽家の新垣先生をお迎えして開催されました。
テーマは「歌、それは賛美のいけにえ」。12時15分から始まった講演会は大勢の参加者で盛況を呈しました。
 まず、アジア特に日本と欧州の文化圏の違いといったお話から始まりました。お話では日本人は3拍子が苦手だそうです。これは日頃のミサでも気になっていたのですが、本当にそうだと思います。典礼聖歌にも3拍子の曲がたくさんありますが、いつも「歌いにくいなあ」と思いながら歌っています。
 お話は第2ヴァチカン公会議から現在のわが国のミサへの変遷、その中での日本語典礼聖歌の成り立ち、通常式文の文語から口語への変化、典礼暦の変化など、ほぼ半世紀にわたる日本のカトリック教会の歴史が紹介されました。
 「閉ざす心・開く心」では神の言葉に心を閉ざしたザカリアと神の言葉を心に留めたマリアの例を対比されて開く心とは信じる心である事を説かれました。
お話の中では「6月24日の晩課のヨハネの賛歌がドレミの始まりである」など聴衆を飽きさせない挿話などがありました。
 「異言と預言」の項では音楽は異言であってはならない。そのためには「霊で祈り、理性でも祈れ。霊で賛美し、理性で賛美せよ。(コリント前)」 また、神を賛美する歌の歌詞の重要性をお話になりました。主日のミサへの参加はそのまま神への感謝であり、賛美の歌は異言であってはならないのです。
 「賛美のいけにえ」ではキリスト教は賛美の宗教であり、我々には神の賜物以外に誇るものは何もない。人間にできる事はただ神を讃えることだという事をヘブル書のパウロの言葉を引いて話されました。これは「何故歌うのか」ということの根本的な答えの一つなのではないでしょうか。
 祈りの中から湧き出す賛美、感謝の中から溢れる賛美、「賛美、それは沈黙の溢れ」であることを熱く語られました。
 講話の後、実技のご指導がありましたがその中でもミサの中に占める音楽の役割の重要性「答唱詩編の答唱はミサへの行動的な参加である」、「朗読は音楽の始まりである」と様々なエピソードを交えてお話されました。
 多分、お話になりたいことはもっと沢山在ったのでしょう、もどかしげな早口の2時間半でした。

雑感 Nさんのこと
                             増田 尚司

 今夏テレビで放映された靴屋さん、Nさんのことはご覧になった方もおられるかも知れません。私事ですが、私の姪っ子は足膝関節の難病で、松葉杖と電動車で生活しています。成人して大阪の日赤病院で医療経理系を担当しています。彼女のこれまでは辛苦の連続でしたが、とてもバイタリティのある子で、特注の車で片道1時間もかけて通勤しています。私どもはこの子から沢山の元気をもらっています。
 足のハンデを持つ人は、自分に合った靴を探すことが難しい。作り手の方が面倒くさく根負けして、注文を受けてくれません。このNさんは16才から靴作りで40年、苦労されて今日まで靴作り一筋に生きておられる方です。姪っ子も口コミでこのNさんを紹介され出かけました。これまで、京都で15万円もかけて、しかも具合が悪く困っていたからです。
 Nさんは、私のところで作れば材質を落とさず、手間賃も三分の一もいただけないと言い。ただ、もったいないからというので今の靴を再生して手直ししてくれました。3万円で作られた靴が実に具合が良く、足に優しく、姪っ子は感動しました。後日、母親と一緒にNさんへお礼に行きましたところ、大変恐縮されて、「こんなに喜んでいただけるなんて、お礼は私の方です、また元気が出ます」と言われたそうです。
 Nさんは、あの大震災で店を失い、バラックの中で細々とその日暮らしの毎日だった。ある日、震災前に靴の面倒を見た障害を持つ青年が捜してきて、「おじさん元気で生きていてくれてよかった。僕はおじさんの靴がないと困るので助かった」と言いました。Nさんは「こんなことではいかん、俺を待ってくれている人がいる」と、再び奮起して商工会からも融資を受け、小さいながらも店を再建し、福祉の方には積極的に働きかけ、障害をもつ人に接し靴作りで再生のきっかけをつかんだのだそうです。
 神戸は、昔から靴の産地として有名です。震災で多くの同業者が廃業している中で、営利効率主義に走らず、障害者のために手作り靴の製作を始めました。主人と肩を並べ買物にいくことが夢だった50代の主婦も、外に出かけることの自信のなかった青年も、Nさんの靴でそれぞれ快適な生活ができたといいます。そしてお礼に来られた時、「やったあ!お礼を言うのは私の方です、元気が出ます」Nさんはこう言われるそうです。人は生かされ、生かしもする。人様のおかげで感謝し、生きる意味・意義を見出す。自己の存在理由に気づき、発見する人は幸い。
 「今、全国から若い後継者を育てるためにお弟子さんを入れている。店はボロだが、私は還暦も過ぎ、まだ震災の後遺症もあり、店の台所も決して豊ではないが、若い人が来てくれるだけでも先が明るく見えるのです。人様の役に立ちたい。お礼を言うのは私の方です。」
 昨今の自然も世相も、物の豊かさと相反する形で、加速的に貧しく乏しくなって来るような現在、このような人を見ているとホットするような気持にさせられます。

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