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2007年11月号 No.411  2007.11.24

死者の月によせて 星野 正道 神父
「秋」に想う 藤田 照子  
毎年お米をありがとうございます
石塚 時雄

死者の月によせて

                          星野 正道 神父

 晩秋の頃となりました。木々の葉がうつくしく色づき、街路を舞う 時、わたしたちのこころは自ずとこの世を去ったなつかしい人々の所に 飛んで行きます。旅が多いわたしの生活でしたが最近、ふと、ああしん どいな、と思うことが多くなりました。以前は達成感のようなものが自 分を支えていてくれたのですがいつの間にかそういったものは記憶の彼方に消えていきました。年をとったのでしょう。そういえば出会える人 の数よりも別れる人の数が増えてきたことに気付きます。いつの間にか 亡くなった人に話しかけていることがよくあります。「やっとあの時の あなたの気持ちを思えるようになりました。」なにも返事は聞けなくて も互いにことばを響かせあっているように感じます。
 そんな時いつも心にうかんでくる歌があります。小学唱歌の「ふるさ と」です。とくに3番が気に入っています。
        こころざしを果たして、
        いつの日にか帰らん。
        山は青きふるさと、
        水はきよきふるさと。
 こころざしとは何のことでしょうか。社会的に立派な評価を獲得する こと、立身出世のことでしょうか。それも否定できませんがむしろ神さ まがひとり一人に立ててくださったこころざし、のことではないでしょ うか。神さまはある人には健康を、ある人には病弱を、ある人には堅固 な意志を、ある人には受容的なこころを、ある人にはかがやくような個 性を、ある人には平凡さを与えてくださいました。わたしたちはこれら の中のどれかを求め、あるものを拒否しようとします。しかしこれらは すべて幸せになるための条件にしか過ぎません。こういった条件の中で どうか愛の人になってほしいというのが神のこころざしでしょう。だれ も限界に条件付けられていない人はいません。この限界もまた神さまが わたしたちに与えてくださった条件です。与えられた条件の中で限りを 尽くすときそこに愛が生まれてきます。わたしたちに先だって天に召さ れた方々もさまざまな限界の中を生きられました。わたしたちもこの神 さまのこころざしをたいせつにしましょう。限界やさまざまな条件に取 り囲まれているように感じるかも知れませんが、そうだからこそわたし たちの人生はかけがえのないものになっていきます。そのかけがえのな い人生だけをたずさえて山青きふるさと、水きよきふるさとに再び結集 できるのです。そこでわたしたちはすでに先立った方々ともう一度出会 うことができるのです。
パウロは言いました。
すべてのものは神から出て、神によって保たれ、神に向かっているので す。(ロマ11―36)

「秋」に想う
                            豊ケ丘   藤田 照子

 ある秋晴れの日、黄色と紫色の食用菊を頂きました。「もってのほ か」です。同じ日の夕方、遺跡発掘仕事の傍ら採取したというご近所の 方からの銀杏の到来物もありました。勿論、その日の夕食は秋満艦飾と
なりました。遠い幼い日、母方の祖母が黄菊のてんぷらを食べさせてく れました。ほろ苦い味と共に花を食べるって不思議なこと・・・と、 思った記憶があります。祖母は手仕事も上手な人でしたが、丁寧な台所
仕事は家族の記念日、行事のご馳走、孫たちを喜ばせるために魔法のよ うでした。私は祖母が大好きでしたから、遊びに行くといつも、お邪魔虫で纏わりついてはお味見やお手伝いの真似事をさせてもらいました。 又、この頃、「ままごと」が大好きでコスモスや小菊等、秋の草花や木 の実を集め遊びまわっていた幸せな幼少期を過ごしました。
 長い年月が流れ、職を引き、姑を天国に送りだし、子供たちも独立し ました。ぽっかり空洞ができてしまったようでした。それまで教会のミ サは大事にしておりましたが、積極的に交わってはきませんでした。  日曜信者でした。人付き合いも下手でしたが、「どうぞ教会にたくさん の友達をお与えください」と祈っていたある日のこと、Aさんから言葉 遊び(?)の集まりに誘っていただきました。そこで大胆にも今の「ふ くろうの会」のような思いをお話いたしました。
 それから、紆余曲折がありましたが私達の「ふくろうの会」は200 2年4月にスタートし、年に4回程度ですが今年の12月には27回目 を迎えることになりました。貝取のこぶし館を利用しておりますので不 定期ですが、食卓を囲んでのおしゃべり会です。“ままごと”から少し も進歩してないインチキ料理ですがよい友がたくさんいて協力してくだ さり、先輩方も喜んでご参加くださいますので励みになっております。 話題も生活の知恵、映画、巡礼、日々の想い等多岐にわたっており、お 互いに元気を貰っております。最近2回、シスター・ヒロメナもお出で くださり修道院との距離が近くなったように感じます。シスターは、1 回目にはホイヴエルス神父様の「最上のわざ」をご披露くださり、それ を美しく製本してプレゼントしてくださる方がいて・・・
 神様は私の祈りをお聞きくださり、いろいろな形で教会にたくさんの 友達を与えてくださいました。ふくろうの会もそのひとつです。
 最近、NHKの朝のドラマ、“ちりとてちん”で、箸職人が孫娘に 「笑え、たくさん笑って生きろ」と臨終に言い残した言葉が心に響きま した。聖書にもあります。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさ い。」(テサロニケ1・15章)と。孫たちにこんなメッセージが伝えられたらと、紅葉散る里山を散策しながら密かに想ったことでした。
                           感謝のうちに


毎年お米をありがとうございます

                          (山友会) 石塚 時雄

 私はNPO山友会に事務局長として勤めています。山友会は浅草・山谷でホー ムレス・路上生活者に無料の診療、衣服や食事の提供、生活保護の相談に応じ ています。ボランティアの方が多数働いています。私のような常勤スタッフは 少人数なので、総務を担当する私でさえなんでもやります。「おにぎり」を数 百個作って、毎週配って歩くこと(炊き出し)もやっています。いつも多摩教会 の皆様から山友会にお米を寄贈していただいていますが、そうしたお米で作っ た「おにぎり」を隅田公園に並ぶホームレスの方に渡すと、むしゃぶりついて 食べてくれます。“あ〜今朝から何も食べていなかったのだナ”と分ります。 最近は列の中に若い青年の姿を見かけます。聞くと「インターネットカフェ」 に泊まりアルバイトで生活していて、今日はアルバイトにあぶれた日だとのこ とです。路上生活(公園や商店シャッター脇で寝る)に厳しい冬になりました。我々が冷たく硬いコンクリートの上で一晩寝ると、まず確実に骨はガタガタ、体力は衰弱、それに精神的に参ってしまいます。ホームレスの人に接している と、つくづく私のように家に帰れば冬でも暖かい部屋と家庭があるのは幸せな ことだと感じます。
 山友会は路上生活者が密集している浅草・山谷地区で無料クリニックを創設 してから、はやくも23年になります。ホームレス・路上生活者はほとんど 「健康保険証」を持っていません。病気になっても容易には医院には行けませ ん。いつでも誰でもタダで医師の診療が受けられる常設無料クリニックは山友 会の最大の特徴で、路上生活者からは本当に頼りにされています。8名の医 師、10名の看護師が毎日、交替でボランティア参加しております。患者に渡 す薬代は全国多数の方々からの募金でまかなっています。心から、感謝、感謝 です。
 多摩教会の皆様、今年も、コルベ会のお米集めにご協力をお願いいたします。

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