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2007年1月号 No.401  2007.1.20

見果てぬ夢の彼方へと 加藤 豊神父
或る体験 新谷 ときわ  

見果てぬ夢の彼方へと
                                                               加藤 豊 神父

 新しい年に入っています。皆さん、今年もよろしくお願いします。
 毎年のことながらこのニューズ1月号の巻頭言は、わたしにとっていわば「書初」に当たりますから、内容がリアルタイムかどうかという問題はさておき、原稿は、毎年1月2日に書くようにしています。
 そうです。皆さん知っていましたか?1月2日は「書初」「初荷」の日なのです(ちなみに、去年は確か「初夢」について書いたと思うのですが、これもまた1月2日に見た夢がその年の「初夢」です。蛇足ではありますが)。
 さて、おそらくわたし自身はよく夢を見るほうだと思います。夢を見たその朝はけっこう克明に覚えていたりします。いまはそれほどでもありませんが、以前は、忘れたくない夢を見た朝などは、記憶があるうちにメモで残しておくようなこともしました。
 ところが、その朝は「なんて感動的な夢だったのだろう」と思ったにも関わらず、後からメモを読み返してみては、「あれっ」と感じることが多々ありました。わざわざ覚えておかねばならぬほどの夢だろうか、といった具合に。
 そうこうしているうちに気づいたことがあります。わたしたちの琴線に触れるもの、それは単なる「あらすじ」や状況説明という外枠ではない、ということでした。むしろ、ほんの些細な出来事であろうとも、その実膨大なドラマ性を秘めているからこそ、そのドラマがもたらす「感動」によって心が大きく動きはじめます。「感動」とは、まさにわたしたちをして明日に向かって進んで行ける力を与えてくれるものでありましょう。
 その意味で、わたしたちが目覚めていながら見る夢でさえも、つまり一人一人が想い描く未来像や将来的なヴィジョンの類いは、きっとわたしたちが前進するための勇気となるものだと思います。
 「夢のない時代」といわれています。そのくせ理想ばかりが高く掲げられ、沢山の人が夢にも現実にも疲れているかのようです。しかし、そのような中で、日に日に労作が完成に近づく喜びを生きている人たちがおり、また、仲間の輪を広げて夢を語り合う日々を生きている人たちが少なからずいるのは実にすばらしい現実だと思います。
 「夢」に責任はない。「夢」が悪いわけではない。人間がそれを取り違えているだけなのです。だからでしょうか?いまや「夢」のほうがしだいにわたしたちから離れ去り、「夢」そのものが夢の世界に閉じこもってしまっているような気がするのです。
 今年もわたしたちは途方もない目的地である神の国へとはじめの一歩を踏み出しました。「神の国」、それは確かに「先の話」であるかもしれません。しかし、今が問題だからこそ「先の話」は大切なのであり、先があるからこそ「いま」は充実したものとなります。祈り、活動、わかちあい、それらはイエスの招きに応えるための、わたしたちの側からのアプローチ、わたしたちの心をして見果てぬ夢の彼方へと向かわせ、日々あらたな力で満たしてくれるものであろうと思います。「み国が来ますように」。

或る体験
                                                              新谷 ときわ

 六月半ば、外出しようとこの建物正面入口の階段を三、四段下りようとした所で急にからだがガクッとなって折り畳むように右膝を強打して座り込み、ひどくぶっつけました。我慢して歩き出しましたが痛くて一歩も踏み出せなくなり、携帯でその日たまたま自宅にいた娘に車で駆けつけてもらい、近くの整形医院で手当てを受けました。坐骨神経痛によるものと判りました。
 その夜、一人になってから宅急便で梅五キロが届きました。無農薬で完熟なので放っておいたら痛みそうなので『重石を使わない梅干し漬け』の方法で袋の中に塩も焼酎も一緒に入れて、口を固く縛り、ひとまず安心。翌日はゴミ出し、収集時間の制約もあって、自分で運ばないわけにいきませんので、こわい玄関を敬遠してエレベーターで地下へ降りて車用のスロープを上ってカゴに辿り着きました。子供たちに買物や振込みなど頼んで四、五日はしのぎましたが、これを続けていると身内の生活を乱すなと気づきました。前々から多摩市には関心がありましたのでこの際思い切って助力をお願いしようと思い、先ず手摺の設置と買物の代行を問合せることにしました。一昨年、浴室の改修を依頼した近くの工務店、お兄さんが水道屋さんで弟さんが大工さんです。気心が知れていますし浴室だけには手摺がついています。相談したらすぐに書類を取って来てくれました。ここは北部支援センターの受持ちで、市から民間に運営を委託されているのだそうです。自分で電話しましたら翌々日、二人の男女の方が見えて面談。手摺の件は、私は介護保険の対象にはならないが、歩行困難と、八十才の一人暮しなので「福祉」の面から努力してみましょうということで帰られました。重たい買物は「有償活動」の扱いで月二回、こちらは数日後、社協との契約をして七月半ばから数回お世話になり大変助かりました。手摺工事は取りかかる前に費用の補助を申請すること、認可までには多少日数がかかること、大工さんの見積り書を担当の方がチェックするなど、これらの手続きに私はノータッチで済みました。何回か両者の相談があったようで、私は取付け場所について細かいアドバイスを頂きました。
 お蔭様で八月後半に申請が通って涼風が吹き始めた頃、手摺が取り付けられ、木製なので雰囲気も柔らかで気に入っています。夏中私を悩ませた痛みもムクミも去ってしまい、正坐は苦手ですが床掃きには昔の箒も便利ですし水拭きにはモップが楽しいです。
 以上、援助の報告には費用の数字も書くべきですがケースバイケースの面もあると思い公表は差し控えます。しかし別に隠すつもりはありませんので・・・・・。
 こんな一つの体験が少しでもどなたかのお役に立てば嬉しいと思います。

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