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2005年3月号 No.379  2005.3.19

「善い人だから」ですか? 加藤 豊神父
2 洗礼を受けて 杉本 信
3 川原肇子さんをしのんで 八巻信生

 「善い人だから」ですか? 
                                            加藤 豊神父            
                         
 以前、わたしの知り合いがこんなことをいっていました。「俺は教会に行くような善人ではないからな」と。彼は、自称、無神論なのだそうですが、しかし、普段から自分の人生についてしっかりとした信念を持っており、とてもわたしなどには真似の出来ないような親切心や、真面目さに満ちています。その彼が「俺は善人ではないからな」といっていたのは非常に印象的でした。
 しかし、それにも増して、むしろこの時、わたしが気になったのは、彼が「善人でなければ教会に行けない」とか、「教会に通うからには善人にならねばならない」と感じていたことでした。わたしは、「いや、そうではなくて、人間は皆、神さまの前では罪人で、なかなか善人になれないからこそ、教会に通うのだ」と彼に説明しましたが、なかなか理解が得られませんでした。
 わたしたちは、自分の力だけでは救われないと思うからこそ、神さまの側から救いが示されることを求めているわけですから、もし、「教会は善人の集まり」、という見方やイメージが一般化しているとすれば、これはともすれば大変な誤解であるといわねばなりません。
 確かに人間には良心というものがあり、こんにち日本社会において宗教の役割として期待されているのは、この点についての何らかの示唆なのかもしれませんが、然るに、誰も皆、生身の人間である以上、畢竟、良心に従って生きることはままならず、やってはいけないと分かっていながら悪いことをしてしまったり、善意のつもりが結果的に相手を傷つけることになってしまったり、というなかで、おのずと自分の力の限界に突き当たる局面を体験するのです。そのような現実を前に、人間的な弱さを嘆き、絶望感を深めたところで、それは何の解決にもなりません。
 「俺は善人ではないからな」といっていた彼に、今のわたしは、こんなふうに問うことが出来ると思います。「そういう君だからこそ教会が必要なのではないだろうか?
 教会とはそういうものではないだろうか?」と。なぜなら彼は、人目には善人である自分の内面をみずから率直に見つめる良心に恵まれており、「罪人の自覚」というお恵みをいただいていると、わたしには思えるからです。
 イエスはこうおっしゃいました。「わたしが来たのは罪人を招くためである。健康な人に医者はいらない。医者を必要とするのは病人である」。教会に通うわたしたちは皆、医者を必要とする患者でありましょう。おそらくキリスト教信仰において大切なことは、善人になるための修行などではなく、むしろ神さまの御前における「罪人の自覚」や、自分を振り返る習慣、他人を裁くことに躊躇を感じてしまうような我が身の有り様の発見と、それらを丸ごと受け入れてくださる神さまの愛に対する感謝、これではないかと思います。

     洗礼を受けて
                                               杉本 信
                                      
  これまでの私は横柄で傲慢、非常に利己的な人間でした。「全ての恩恵は自分の努力の結果として、当然受ける事の出来る権利である。」「自分は一人で生きているし、生きる事が出来る。他人に助けてもらう必要は無い。まして神頼みなど以ての外
。」等々・・・。
 それが何故、カトリック教会に通い始めたのか?(しかも初めて来る人にとってあんな敷居の高い所へ)正直、自分でもわかりません。しいて挙げると、幸せな人生への感謝・自己救済の道を探して,キリスト教に対する学問的興味・欧米の文化に対する憧れ・他人を許す事ができる様にない・死=無の公式への反撥、等です。
 しかし、全てが要因として当てはまるのですが、敷居の高い教会ヘ一人で出かけて行くきっかけとしては弱すぎるというのが正直なところです。結果、何かの導きがあったのかな?と今では勝手に思っております。そして司祭をはじめ、皆様の導きもあり昨年のクリスマスに洗礼を受けることが出来ました。本当にありがとうございます。又、受洗を認めてくれた家族にも感謝しております。今だ、利己的な自分ではありますが、日々の回心の積み重ねの中、信仰の道を歩む事ができればと思っております。


川原肇子さんをしのんで

                               八巻 信生

 古い教会仲間としての川原肇子さんを追悼(しの)ぶ時、真っ先に思い浮かぶのは昭和47年のクリスマスの日である。この年の5月、東京教区68番目の小教区として「多摩教会」が設立され、初めてのクリスマス・ミサが多摩市の農協ホールで行われた。
 その時、川原さんが独りホールでクリスマスの飾り付けをしていた姿が私には忘れられません。
 その後、新たに購入した「シャンポール聖蹟桜ヶ丘」のマンション教会の内装も全て多摩美大教授の川原さんに依頼しました。また、教会の子供たちのために『夏休み“からしだね”勉強会』を開いたとき、さすが教育者だけに、熱心に絵の指導をしていた川原先生の姿が目に浮かびます。
 24日の川原さんの葬儀からの帰途、ある女子大生が『川原先生には美術のことだけでなく、人生のこと、いろいろなことを教えてもらいました』と話していた。この学生がつぶやいた言葉にキリスト者として生きた川原さんの姿を見たような気がしました。

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