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2004年12月号 No.376  2004.12.18

「酒が不味くなる」はなし 加藤 豊神父
新しい子どもの発見(要旨) クラウス・ルーメル神父
親睦研修会「グループ発表」要旨
洗礼を受けて ペトロ 豊嶋 祐太
5 サッカー部報告 中原 信一郎
6 これからもよろしくお願いします 結城 俊輔

「酒が不味くなる」はなし

                                      加藤 豊神父
 降誕祭、すなわち世にいう「クリスマス」について、その起原を訪ねるならば、おそらくキリスト信者以外の方でも、多くの人が「イエス・キリストの誕生日だろ?」とお答えになることでありましょう。いえ、判りません。ひょっとしたら、そのように答えてくださる方は、こんにち「多数派」ではないかもしれません。「イエス・キリストの誕生日だろ?それくらい知ってるよ」、そのように良心的に答えてくださる方は、今や「少数派」なのかもしれません。
 「多数派」であれ、「少数派」であれ、いずれにしても現在では、キリスト信者以外の方の間でも広く祝われることとなったこのクリスマス、そのクリスマスの起原について是非とも語りたいというわたしの願望、それは今年もルミネーション眩い街角からは「酒が不味くなる」と顰蹙を買ってしまう一種の愚問となるのでしょうか?
 とはいえ、わたしはこれでも一応、耶蘇の坊主であって、耶蘇にとっては大切な日であるこの降誕祭を、毎年、祝っているわけで、起原に則ったクリスマスこそ「真のクリスマス」であると信じて今日まで生きて来たわけで、わたしにとってクリスマスの起原を語ろうとすることは、そうさせてもらわなければどうにも収まらない事柄なのです。
 さて、実をいうと、降誕祭、すなわち世にいう「クリスマス」が12月25日に祝われるようになったのは、教会が誕生してからしばらく経ってからのことでありました。イエスの誕生が何月何日であったのか、当時はそれほど重要な問題とはなりませんでした(今も昔もキリスト信者にとって重要なのは「復活祭」のほうです)。キリスト教はローマ帝国の迫害にも屈せず増え続け、やがてローマの文化をも吸収し、その地における太陽信仰にちなんだ冬至のお祭りを降誕祭に当てはめたのです。ですから降誕祭の根拠は「日にち」にあるのではなく内容が示すメッセージ性にあるのは明らかです。
 イエス・キリスト誕生の詳細は、無論、聖書に書かれているわけですが、そこには増々「酒が不味くなる」はなしが記されています。どのような内容かというと、先ず、イエスの誕生によって、そのイエスに「王の座」を奪われるのではないかと懸念したヘロデ大王が、早速イエスを殺そうと計ったこと(マタイ1:13)、そして次に、イエスが生まれたとされる土地の二歳以下の男の子たちを皆殺しにしたこと(1:16)が書かれています。
 なんということでしょう。いったい何人の小さな男の子たちが残虐な暴君の犠牲とされたことでしょう。そうです。現代のわたしたちも、諸国の多大な犠牲の上に平和なクリスマスを過ごせているのだと思います。聖書が伝える「異常な光景」は、救い主(キリスト)と呼ばれる赤ちゃんの誕生を、単に表面的な喜びに終わらせてしまうことに歯止めをかけているかのようです。「賑やかな一夜」を本来の「聖なる夜」とするために、亡くなった人たちのこと、圧政に苦しむ人たちのことをいつも以上に思い起こしたいものです。

新しい子どもの発見 −モンテッソーリ教育の理論と実践― 
       講師:クラウス・ルーメル師 (イエズス会司祭)
              2004.11.23(火) カトリック多摩教会
   モンテッソーリの経歴に沿って、モンテッソーリ教育の理論がどのようにして生まれ
   確立・実践されていったか、スライドを用いながらお話が進められました。以下、簡
   単にまとめたものですが、ルーメル師のお話の構成・順序はこの通りではありません。

1.モンテッソーリの生涯
 マリア・モンテッソーリ(Maria Montessori,1870-1952)は、1870年8月31日イタリアの小都市キアラヴァレで、国家公務員である父アレッサンドロ・モンテッソーリと信仰深いカトリック信者の母レニルデ・ストッパーニの間に生まれ、敬虔なカトリック家庭に育った。また母方の親戚に司祭・学者であったアントニオ・ストッパーニがおり、彼の著作「信仰と科学」を16歳の時読んでいる。その環境下でキリスト教の信仰が深く培われ、信仰と科学の両立は彼女の一生のテーマのひとつとなった。
 幼児期、病床で「人間の使命は仕事をすることにある」と意識したという伝説もある彼女は、小学校を卒業する頃には当時女の子には不可能だったエンジニアになりたいという希望を持ち、工業学校・高等工業学校へと進学する。やがて彼女の関心は技術から生物学へと移っていき、高校卒業後これもまた当時男ばかりの世界であった医学部へ進学、イタリアで最初の女性医学博士となる。人間の生命の発達への関心はモンテッソーリの教育学の中心的テーマとなる。
 医師となったモンテッソーリは精神遅滞児の教育に取り組み、且つその指導者の養成にもあたる。彼女の関心・研究は教育学・心理学・哲学等多岐におよび、彼女の教育理論につながっていく。
 1907年、ローマのサン・ロレンツォの貧民街で社会福祉事業に協力、そこの子ども達の教育にあたる。ここで、人間らしく育つ環境によって奇跡的な変化を遂げる子ども達に「新しい子ども」を発見、この施設がモンテッソーリの最初の「子どもの家」となる。
 次第に「子どもの家」への社会の関心が高まり、また指導者の養成も求められるようになり、モンテッソーリは教員養成コースを各地で開設すると共に執筆活動も行ない、その教育法の普及活動を行なっていく。
 第1次世界大戦から第二次世界大戦の間には、平和運動も活発に行なっている。
 1952年オランダで倒れ、カトリック墓地に葬られた。

2.モンテッソーリ教育とは?
 犯罪人類学の先駆者であったロンブローゾ教授の下モンテッソーリは、「子どもは素質も大事だが、それ以上に大事なのは環境である」と学び、彼女の教育学の基本的概念、「正常(normal)」と「逸脱(abnormal)」−子どもの「正常」な育て方とは何か、どうして「逸脱」するのか−はこの時期形成された。
 また、精神遅滞児の研究者ピレイラ、イタール、セガン達の感覚教育論の影響を受け、「子どもは、感覚的な教育を通して初めて人間らしく育つ。その教育は全て具体的な教具と結びついている」という考えもモンテッソーリ教育の基本となる。
 以下、モンテッソーリ教育の要点をいくつか記す。
・適切な環境に置かれ適当な道具が与えられれば、子どもは「自発性」を発揮し、また「集中」することができる。
・2〜3歳児も本能的に「秩序感」をもっている。
・適切な教具のある適切な環境の「子どもの家」に置かれている子どもに、活動を選ぶ「自由」を与える.
・人間らしく育つための新しい能力(歩く、話す等)を身につける発達上の時期は決まっている。この身につける用意ができている時期を「敏感期」という。
・フレーベルが子どもは「遊び」によって育つと考えたのに対し、モンテッソーリは「仕事」によって育つと考えた。
・「想像力」を養うために童話を読むことは重要であるが、その時期を選ばなくてはならない。3〜4歳児は、感覚的体験を積んで想像の世界から現実の世界に移り替わる時期で、ありもしない話しをすると混乱をおこすのでふさわしくない。
・子どもが自発的な活動によって育つことができる「環境」を用意する。その人間らしく育つ環境によって子どもは「正常化」することができる。
・教師は、子どもが自発的活動によって育つことのできる環境を用意し、子ども達の発達を観察し記録する。決して評価や点数をつけたりはしない。
                               以上 記録:阿南基公美


親睦研修会「分かち合いのグループ発表」要旨
 テーマ“新しい子供の発見”、サブテーマを“モンテッソーリ教育の理論と実践”とした親睦研修会は、講師をイエズス会神父クラウス・ルーメル師に11月23日、多摩聖堂で行なわれた。調布・府中の共同体からも参加し、午前中はルーメル師の講話、午後は質疑のあと、参加者は7つのグループに分かれ講演会の内容を糸口に、夫々分かち合いが約1時間行なわれた。その後、聖堂でグループの発表があり、多摩・調布の主任司祭によるミサを奉げ、感謝のうちに無事終了した。以下、グループ発表の要旨を記す。
Aグループ(7名):
・ ルーメル師の講演は、子供の面倒を見ていたので、ほとんど聞けなかったが、分かち合いをして状況がわかってきた。
・ 子供には可能性、発展性などを持っている。それを引き出す環境を整えることが大切だ。
・ 子供が意識を集中させるような場、環境が必要だ。例えばティッシュの箱からティッシュを次々に出していく、これも集中している状態の1つ。子供はそれに達成感を感じている。
Bグループ(7名):
・ モンテッソーリ教育について、初めて聞いた、あるいは人から聞いたことがある。
・ 印象に残ったことは例えば感覚訓練、「命へのこころ遣い」、「他者の痛み」「人への心遣い」が生まれてくることの大切さなど。
・ 理論はすばらしいが、実生活の中では大変難しいことだ。
・ 今の社会でいろいろな問題があり、教育が大事だが、また教育者の教育も大切では。結局は大人である一人ひとりがきちんとする姿勢を示すこと。
・ 家庭内で、夫婦が価値観を共有し、仲が良いことを子供に示すことが大事。
Cグループ(7名):
・ こころに残った今日の言葉の1つに、環境、仕事と遊び、親が手本ということ。幼児教育にだけでなく人間全てに当てはまる。
・ 親が手本で、親の言葉使いや見ているテレビなどの影響が大きい。
・ 教会が子供を育てる上でとても大切な役割を担っていると、グループ意見が一致。
Dグループ(7名):
・ 難しいテーマだった。伝えたい事は「幼児教育」と「日本の教育」だ。
・ 教会の信仰教育は、本当に大切だ。幼児教育が今日のテーマなら若い人の参加があってよかったのに。
・ 今日の話を、学校などでいわゆる「キレている子供たち」にどう活かしたらいいのだろうか。
・ モンテッソーリ教育の根底にキリスト教がある。日本の教育の根底に宗教はなく、自由・個性の面より統制が主になっているようだ。
・ 幼稚園などで自由な生き生きした環境に子供を置いても、小学校に入るとそうではなくなってしまう。
Eグループ(7名):
・ モンテソーリではないが幼稚園や保育園で感覚教育を大事にしている所もあるようだ。
・ 自分達の経験や、人から見聞きした「今の子供達」について、いろいろ話が出た。
・ 今の日本の教育は、理想と現状とが掛け離れて、やりにくい面がある。
・ 子供を守るために注意することが出てきたり、親同士の仲良が良くないと、子供同士も仲良くなれない。
・ 孤立した親が増えている。「親が癒されないと、よく子育ては出来ない。」に胸を打たれた。
・ 「親が癒されないと」で、親や大人同士が今日の分かち合いや井戸端会議などの大切さに気付かされる。
・ 変わった観点から、里親になった方の話で、子育ては親だけでなく、いろんな人が関わっていると改めて感じた。
Fグループ(7名):
・ 女性6人の大変穏やかな分かち合いは、自己紹介から始めた。3人がシスターでした。
・ 幼児の教育の話から、小さい時の教育が本当に大切だと思う。
・ 働いている人も多く、仕事をしながら、本当に大切な子育てをどうしたらいいのか、現実との矛盾点を考えさせられた。
・ 家庭教育と学校教育ではどちらが大切か、どちらも大切でそのバランスが大切。
・ 高校・大学生の親から、上と下の世代の話に、世代の変化の大きいことにびっくりした。
・ 親が子供との会話の中で、素直に神様の存在について話せることの大切さを実感した。
Gグループ(7名):
・ モッテソーリと言う言葉は聞いたことがあるが、詳しくは分らなかった、から始まった。
・ 自分の幼児期を振り返って、育てた両親の素晴らしさを改めて感じた。
・ 自分が両親から育てられたように、自分は子供を育てていること。
・ 子育は、環境が一番大切だが、自由と我儘の違いの線引きに難しさがある。
                               以上  (記録:岩藤大和)


洗礼を受けて

                                   ペトロ 豊嶋 祐太
 ぼくは今年の7月に皆に祝福されてこの世に生まれて来ました。そして3ヵ月半後、待ちに待った洗礼を受けました。理由はともあれ、心から大泣きでした。
なんだか教会の仲間に入ることにとってもみんなが歓迎してくれるのですが、歓迎しているのに水をかけられるなんて…。でも、これで多摩教会の一員になりました。よろしくお願いします。
 洗礼を受けて変わったことは、ミサ中にぐずらなくなったこと。成長したからだけじゃありません。やっぱり洗礼を受けたからミサに集中出来る様になったのか な…。
 終わりに、早くミサ中に「アーメン」って言いたいです。現在おとうさん、おかあさんに特訓を受けてます。時々言えたっておとうさん、おかあさんは喜んでいる様です。まずは「アーメン」から神様に近付き中です。
 洗礼を授けてくださった加藤神父様ありがとうございました。

サッカー部報告
                            パウロ三木 中原 信一郎

主の平安
 私は、このカトリック多摩教会に転入してから4ケ月余りしか経っておりませんが、加藤神父様をはじめサッカー部の皆様他の心の深さ・温かさを感じながら、毎週のミサを通じて主であるイエス・キリストのお恵みと慈しみと愛を心からいただき、充実した日々を過ごすことができている思いがいたします。
 手前味噌ではありますが、はじめにご挨拶とともに感謝の意を述べさせて頂きました。
 さて、多摩教会のサッカー部は発足してから一年余り活動しており、主なメンバー構成は多摩教会の20〜40代の働きざかりの方々です。これまでにも調布教会や府中教会の若手、中央大学のサッカーサークル「ジプシー」の学生達と3ケ月に1度のペースで試合を行い、サーカーを通して大変良好なコミュニケーションが図られています。
 その活動の一環として、12月6日午後に旧西落合中学校のグラウンドを借り、府中教会やジプシーのメンバーと試合を行いました。何とその日は気温25度と季節はずれの初夏を思わせる陽気で、大変暑く、10分走るだけで息切れしてしまいました(少し情けない気持ちでしたが・・・?)が、3試合でき、まずまずの内容だったと思います。勝った試合の決勝点は敵チームのお情け[・決勝点は何と相手方に助っ人として入ったはずのわが多摩教会チームキャプテンの??]オウンゴールでした。ちなみにこの府中教会との4−3での勝利は、公式戦で多摩教会初勝利です。でも私たちのサッカー部の目的は勝ち負けはあまり大切ではなく、この活動を通して主であるイエス・キリストの愛(特に隣人愛)を感じながら、素晴らしいコミュニケーションが形作られ、良好な人間関係を築きながら、更なる愛の実践を継続できればと考えています。
 その夜の打ち上げ兼忘年会でも、私たち一同大変充実したひと時を過ごすことができ、神様に感謝しております。
 素晴らしい監督・マネージャー及び有志のお手伝いの方々に恵まれて、私たちにバイタリティを与えてくれて感謝の気持ちであります。今後ともよろしくお願いいたします。
 神父様も是非、共に、サッカーを楽しみましょう。
 それでは、皆様、来年も怪我なく新しい年が迎えられることをお祈りいたします。-アーメン-

これからもよろしくお願いします
                             
             中央大学サッカーサークル ジプシー代表 結城 俊輔
 やっぱり多摩教会の方々はみんな元気で優しくて面白くて最高ですね!府中のみなさんとも仲良くなれたし、とても楽しかったです!このような場に呼んでいただけることを、改めてうれしく思うと同時に、毎回食事までご馳走いただいて、本当にありがとうございます。
 「芝生でサッカーを」とのことだったので、僕らも芝のコートを探してみます!ですので、もし良いところがあればいつかやりましょう!
 本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

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